兵庫県加東市にある播州清水寺。
(前回の記事はこちらから→もう一つの清水寺-播州清水寺・1-)
どんなお寺かな・・・・と思ってたら、
右手になんか、発見!
(●´・⊥・)何??
年代物の石段。
途中、苔やら枯葉やらで、ここを通る人は・・・・・いないっぽい。
本当なら、本堂に参ってから行くもんなんだろうが・・・・
. . . 本文を読む
極力避けますが、以下、ネタバレが含まれることもあります。
ご了承ください。
外池昇 「天皇陵の誕生」 祥伝社新書
陵墓好きには、たまらない1冊です。
天皇陵は天皇の陵墓なのか、
なぜ明治天皇は東京でなく、京都に葬られたのか、
海中に投じた安徳天皇、即位が定かでない長慶天皇の陵墓の決め方、
・・・・・など . . . 本文を読む
兵庫県加東市にある清水寺(きよみずでら)
社伝では古墳時代、インドの僧・法道仙人が創建し、
627年、推古天皇により根本中堂が、
725年には聖武天皇が行基に命じて講堂が建立されたといいます。
西国三十三観音第25番札所で、
同じく16番札所の京都の清水寺と区別するため、
播州清水寺といいます。
ここは標高542mの山の上にあります。
方法は2つ。
登山道と車道
登 . . . 本文を読む
第89代の兄・後深草天皇の子孫を「持明院統」、
第90代の弟・亀山天皇の子孫を「大覚寺統」といい、
この後、皇室が2つに分裂。
持明院統が北朝(京都)、大覚寺統が南朝(吉野)となり、
天皇が2人いる時代、南北朝時代に突入します。
(詳しい内容は、また別の機会に・・・・)
その南朝3代(歴代98代)天皇が長慶天皇です。
対北朝の対し、強硬路線をとっていた . . . 本文を読む
兵庫県三田市にある東光山花山院菩提寺
真言宗花山院派の寺院です。
別名・花山院といい、東光山上(標高約400m)にあります。
創建は白雉年間(651年頃)とされ、開基はインドの僧・法道仙人といわれます。
ここは992年頃に、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、
播磨清水寺を登った際、東方の山上が光り輝くのを見て訪ね、隠棲の地としたといわれ、
法皇が晩年、帰京するま . . . 本文を読む
奈良県生駒郡斑鳩町。
法輪寺の正面に見える丘。
富郷陵墓参考地・・・・・・のはず。
「・・・・・のはず」の理由。
コレ、どこにあんのよ!!
いろいろなサイトで、ここが陵墓参考地なのは確かだけど、
頂上付近に円墳があるらしいけど・・・・
どっから入るのか、わからん!!
゛p(-Д`・●゜。☆オカシイナ . . . 本文を読む
奈良県生駒郡斑鳩町にある
法輪寺。
創建には2つの説があります。
1つ目は「山背大兄王 創建説」
622年に聖徳太子の病気平癒を願い、
子・山背大兄王と孫・由義王が建立したという説。
2つ目は法隆寺の焼失後、
百済の開法師・円明法師・下氷新物の3人が建てたという説。
史料が乏しく、創建はあくまでも不明ですが、
発掘調査で、飛鳥時代末期の7世紀中頃と考えられます。
. . . 本文を読む
今日は秋分の日。
夜と昼の長さがほぼ同じ日。
お彼岸です。
山の方では、少しずつ紅葉も始まってました。
ちなみにこの写真は、兵庫県加東市の山(海抜500mくらい)で撮ったものです。
あともう少しで、各地で紅葉が見られるようになりますね。
でも、この時期によく見かけるものはあります。
彼岸花。
別名・曼珠沙華。
. . . 本文を読む
生後わずか32日で皇太子に立てられ、
1歳になる前に亡くなってしまった期待の皇子。
聖武天皇と藤原安宿媛(後の光明皇后)の第1皇子
基皇子(もといのみこ)。
この皇子の早すぎる死によって、長屋王の変が発生するわけです。
(詳しくは歴史入門-長屋王の変-をご覧ください)
基皇子は「那保山」に葬られました。
那保山・・・佐保山といわれ、今は . . . 本文を読む
842年、承和の変が起こり、第54代 仁明天皇の皇太子だった
淳和天皇の皇子・恒貞親王は廃され、仁明天皇の第1皇子・道康親王が立太子します。
道康親王の立太子に関わったのが、藤原良房でした。
良房の妹・順子が仁明天皇に嫁ぎ、道康親王が生まれたためです。
850年、甥・道康親王が即位(第55代 文徳天皇)。
858年、文徳天皇が崩御すると、娘・明子と文徳天皇の間に生まれ . . . 本文を読む
奈良県桜井市にある
メスリ山古墳
全長224mの前方後円墳
後円部は3段構築。
後円部頂上の中央に木棺を納めた主石室があり、
その横に副石室があります。
主石室は盗掘されていましたが、
副石室は盗掘を免れ、たくさんの武器があったそうです。
古墳時代前期(4世紀初頭)の築造と考えられます。
墳丘には登っていませんが、
北側は公園 . . . 本文を読む
目次-陵墓(宮内庁関連)-
★歴代天皇以外★
☆追尊天皇☆ 薨去の後に天皇の尊号を諡された者
・岡宮天皇 (草壁皇子)
・崇道尽敬皇帝 (舎人親王) → 陵墓治定されず
・春日宮天皇 (施基皇子)
・崇道天皇   . . . 本文を読む
770年、天智天皇の孫・白壁王の即位で、
死後50年後に「天皇」の称号が贈られたのが、
白壁王の父で、天智天皇の第7皇子・施基皇子(施基親王)。
追尊春日宮天皇です。
奈良市矢田原町に田原西陵があります。
政治よりも和歌などの文化の道に生きた施基皇子。
壬申の乱で、皇位継承から遠ざかり、
皇位に執着しなかった皇子の血筋が結果、
現在ま . . . 本文を読む
安積親王(あさかしんのう)は、
聖武天皇の第ニ皇子として生まれました。
生誕と同じ年、前年に生まれた異母兄・基皇子が夭折し、
聖武天皇唯一の男子となりました。
しかし皇太子に立ったのは、異母姉・阿倍内親王。
安積親王の母が県犬養広刀自であるのに対し、
阿倍内親王の母が、藤原不比等の娘・光明皇后だったためです。
744年、恭仁京で17 . . . 本文を読む
台風18号の爪あとが凄まじく・・・・・
大津・京都方面には出かけられず・・・・・
でも、奈良は昨日行った・・・・・
行きたいトコはあるけど、どうせなら天気のいい日に行きたい・・・・・
で、今回はお姉とチビが同行。
仕方ない・・・・・たぶん、10年ぶりくらいの海遊館!
やはり想像通りの凄まじい人!!
それでも・・・ . . . 本文を読む