古墳には様々な形があります。
文字だけでは分かりにくい方もいるのでは・・・・
ということでイラストで紹介!
(代表的なもの)
1.前方後円墳
3世紀から7世紀頃 近畿に分布
2.前方後方墳
古墳時代前期 東日本に分布
3.帆立貝形古墳
前方後円墳の前方が短いもの
4.双方中円墳
古 . . . 本文を読む
京都市東山区山科にある
天智天皇陵。
第39代 天 智 天 皇
父は第35代舒明天皇、
母は皇后・宝皇女(第36代皇極天皇・第38代斉明天皇)。
葛城皇子、中大兄皇子ともいわれ、
中臣鎌足と共に、蘇我家を滅ぼし、
政治改革(大化の改新)を行った人物です。
この方の話(・・・というかこの時代の話)は一言では、
難しい!
ポリポリ(。;´ . . . 本文を読む
京都府左京区・鞍馬寺。
(前回、前々回のUPはこちらを・・・・鞍馬山・1 鞍馬山・2)
九十九折、石畳、階段の参道を制覇し、
ようやく、建物が見えてきました。
着いた、着いた!
☆+。・゜8(´∀`8*))ワクワク((*8´∀`)8゜・。+☆
・・・・と思ってたら・・・・
甘かった!
ゥヮ━━。゜(゜⊃Д; . . . 本文を読む
京都府左京区、鞍馬寺に向かうべく、
由岐神社を後にします。
すぐ横に、義経の供養塔がありました。
源 義 経
源義朝の九男として生まれた義経の幼名は牛若。
平治の乱後、7歳で鞍馬寺に預けられます。
敵方の男子は殺されてしまう時代、
母・常盤御前の命乞いで、僧侶として生きていくためです。
(10年後、義兄・源頼朝の元に向かい、武士として生きますが・・・・)
&n . . . 本文を読む
上醍醐に続いて、「行くで~!」と気合が必要だったトコ、
京都市左京区にある鞍馬寺です。
何度か、近くまで来たことはあっても、なかなか訪問できなかった場所。
貴船神社を訪問後、訪れました。
仁王門
仁王門をくぐり、愛山料200円(中学生以上)を納め、
いざ、出陣!
(*・`д・)ガンバルッス!!
石段の参道の横に、ケーブルカーの乗り場があります。
足腰の . . . 本文を読む
京都府亀岡市。
千歳車塚古墳(ちとせくるまづかこふん)
5世紀ごろの、全長80mの前方後円墳。
被葬者は不明です。
田園風景の中にモコッ( ´∀`)と存在します。
丹波地区では大きい部類。
こんな風に、関西地区には前方後円墳や、様々な古墳が身近なトコにあります。
きちんと整備されている古墳もあれば、
周りに溶け込んでしまってる古墳もあり . . . 本文を読む
最近、雨の日になると視界がぼやけたり、
夜になると見えにくくなったり・・・・・。
自慢ではありませんが、田舎育ちのせいか、
子どもの頃から視力は良く、両目2.0。
大学時代くらいから視力は落ち、それでも1.5か1.2。
視力が悪い人からしてみれば、「え-----!」と思われるかもしれませんが、
「うわっ、悪くなった・・・・」と思うくらいです。
で、前日 . . . 本文を読む
「古墳」というのは、
3世紀後半~7世紀前半に築造された
墳丘を持つ墓のことをいいます。
その定義や解釈はマチマチですが・・・
古墳の被葬者(主)はほとんどが不明!
天皇陵など宮内庁が指定している陵墓に関しても、
数名を除いて「伝××天皇陵」です。
古代の天皇(大王)の墓が不確かな理由は、
「墓誌」がないからです。
墓誌・・・現 . . . 本文を読む
日本の女帝といえば、
第33代 推古天皇 (欽明天皇皇女 敏達天皇皇后)
第35代 皇極天皇 (敏達天皇曾孫 舒明天皇皇后)
第37代 斉明天皇 (皇極天皇 重祚)
第41代 持統天皇 (天智天皇皇女 天武天皇皇后)
第43代 元明天皇 (天智天皇皇女 草壁皇子妃)
第44代 元明天皇 (元明天皇皇女 独身)
第46代 孝謙天皇 (聖武天皇皇女 独身)
第48代 称徳天皇 (孝謙天 . . . 本文を読む
奈良県生駒郡平群町にある
烏土塚古墳(うどづかこふん)
ここは墳丘に登ることができます。
墳丘は長さ60.5m、後円部径35m、高さ約9m
この辺りでは最大規模の前方後円墳。
この辺りを治めていた豪族・平群氏の首長の墓ではないかといわれています。
この形・・・・・惚れ惚れする
*◇*~~~カン~~~(>Π<)~~~ . . . 本文を読む
東大寺大仏殿の東、丘陵の傾斜地にあるのが、
お水取りで有名な「二月堂」です。
寛文7年(1667年)、修二会の最中に、
奈良時代から残っていた建物が失火で焼失。
翌年、4代将軍・徳川家綱の援助で再建されました。
二月堂の横にあるのは「三月堂」と呼ばれている法華堂。
奈良時代の建物で現存する唯一の仏堂。
その正面にあるのが「四月堂」と呼ばれる三昧 . . . 本文を読む
華厳宗大本山・東大寺
創建は奈良時代。
本尊は盧遮那仏、「奈良の大仏さん」です。
創建当初から「東大寺」であったわけではなく、
若草山の麓に、聖武天皇と光明皇后の幼くして亡くした基皇子の菩提として
僧を住ませたのが、東大寺の前身「金鐘寺」の始まりだといわれています。
(これも諸説あるようです。)
743年、聖武天皇は大仏造立の詔を発し、
752年開眼供養が施されました。 . . . 本文を読む
承久3(1221)年、後鳥羽上皇は鎌倉幕府に対して挙兵。
平清盛、源頼朝、そして鎌倉幕府と、武士が中心の時代。
この頃、鎌倉幕府は源頼朝の直系は途絶え、
執権・北条氏が幕府を動かしていました。
後鳥羽上皇は朝廷の権力を回復させるために、
頼朝の次男・実朝が暗殺され、源氏将軍が途絶えたのを好機とし、
幕府討伐の為、挙兵します。
しかし上皇軍はわずか1ヶ月で鎮圧され、
. . . 本文を読む
古事記は日本最古の歴史書。
奈良時代(712年)、口伝であったものを、書き記したもの。
全3巻で、神代から推古天皇までの出来事が記されています。
帝紀(系譜)と旧辞(伝承)で成り立っています。
1-2巻は神代の、いわゆる神話。
3巻で天孫降臨して、天皇の話になります。
古事記は天皇が王統につくのは、間違いないですよー。
天皇は神様の子孫ですよー。と強調させるための書物ともいえます。
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京都の奥座敷・貴船。
本宮→中宮と上流に上ると、「奥宮」があります。
祭神:闇龗神(くらおかみのかみ)
本宮の高龗神(たかおかみのかみ)と同じらしい・・・
( ↑ 変換できた!)
奥宮の鳥居をくぐると・・・・・
長--------い参道が。
その終着点に奥宮の入り口が待っています。
1046年の水害で、社殿が流失し、
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