ハーフマラソン完走したので、はて、10km時はどうだったかな?と、思いました。ところが、完走した時の感動が思い出せません。そんな日があったはずなのに。なので、歩きながらも、初めて10km動いた(通しで走っていないです。ヘロヘロです。)が強烈に印象にあるので、その日のことを思い出して10kmの感動?にしたいと思います。では、行ってみよ。
その日は、2019年12月1日です。ほぼ半年前。相棒のGAMIN ForAthlete45の記録によるとです。10km(10.35km)移動を、1時間27分でやっています。8分27秒/kmで、今とそんなに変わりません?。なんで?。この日、激しく疲れたはずですが、、もう、遥かな昔になってしまいました。Logを見ると、真面目に、こどもの国4.2km大会練習として、4.2kmは続けて走っています。その後、歩き、走り、歩き、走り、歩き、最後の8.5kmから10kmまで1.5kmを走っていました。心拍数は158。私は心拍数162で死んでしまう設計なので、ギリギリです。ここ3ヶ月は高くても152ぐらいです。12月のあやパパは結構、追い込んでいたんですね。自分で驚きです。まあ、空気も冷たかったし、暑さ対策もいらなかったし、靴もすり減っていなかったですからねー。
この日の事は最後の辺だけ、強烈に疲れたので良く覚えています。家までの1km(やっぱり全工程の1割)で、ヘロヘロになりました。今までの6kmをそれなりに走って歩いて、最後の500mはダッシュなんかしたりして、やれそうな自信が出てきた頃でした。
まだ、桂川は遥か遠くそんなとこまで行く気もなかった頃です。それでも、初めての10km経験として踏ん張ってやり遂げた時に、もうくたくたになりました。走るのが終わり、家までの残り、300mが遠い。自分は歩いているのか?全然前に進んでいる気がしなかったのを覚えています。
この前の桂川ハーフでは途中から見えない力の応援が盛大にありました。10kmはそんなの、全然なし。家に帰り、お風呂に入ろうと(外はもう暗い)風呂に入ってお湯出して、そこから動けなかったりしました。なんて、しんどいんだとの印象だけ残りました。写真は、GAMINさんが、関門、関門で出してくれる、”よくやった、偉いぞバッジ”の10km版です。こんなのをもらうと、子供騙しと知りながら、嬉しくなる自分がいます。この時の喜びは、このバッジだけ?だったか?
今は、10kmなら1時間5分、体重はあれから5kg減、1ヶ月の走行距離は三倍以上(60km→200km)、いで立ちはそこそこランナー風?。GAMINバッジは45個。でも一番変化したのは、走る、走れる喜びと感謝が共にある事です。このボログを書く事も、時々出会う家来たちも、みんながみんな感謝です。これは、大変な事と思います。この歳になって、次に感動するのは、何かな?もう、無いかな?と、モノクロで続く日々の風景が当たり前になっていたのを、新しい目標とその先に続く素晴らしい出会いを楽しめる日々に変わりました。明日も、二日間、休んだのでハーフを渡月橋まで行きます。この前のハーフを自分のものにして、感謝に感謝する日となるために。
10kの 境を超えて 行く日々は 次の喜び 我に与えん あやパパ