還暦ホノルルマラソンを夢見て

メタボを改善し、還暦から新しい人生目指して、あくなきチャレンジをブログります。

相棒と仲間たち(その5)

2020年05月26日 | 日記
 あやパパの走りを癒してくれる鳥さんの話です。桂川を走っていて100%の確率で出会うのがカラス、スズメです。それと、ムクドリ。スズメさん達は愛らしいですね。いつ見ても。それに引き換え、カラスとムクドリはもう、徒党を組んで鳥品なしとの印象です。あやパパから見たら”またこいつらいるなあ〜”、カラスからは”とろいおっさんまたきたで〜”。お互い様です。でも、カラスはスズメとお仲間。スズメ目カラス科とのこと。ヘェ〜です。可愛い雀さん。とても、お仲間とは思えません。雀も、でっかくなったら態度悪くなるのかな?なんか、怖いですね。

 少し、カラス調べて見ると、「北欧の神話で最高神オーディーンの遣い。古代エジプトでは、アレキサンダー大王を砂漠の窮地で救い、ギリシャ神話でも、太陽神アポロンに仕えていて神聖な生き物」(https://www.makoyuta.com/archives-804/#i-10 より引用)ということで、実はとても偉い鳥の様です。態度は悪いですがね。
 
 態度の悪さに目を瞑り、もう少し調べてみると、カラスは生き物としても進化の先端を走っているとのこと。ヒトの次ぐらいに。鳥の中では、一番とか。確かに適応力はありそうです。なんか、ずる賢い、やな感じ。外国の人は大抵、ハシブトカラスを見ると、あまりの強烈さに、カラスのイメージが変わるそうです。やわい日本に凶暴な鳥。そんなとき、日本のカラスは島国でカモメとの競争で苦労が多いので強くなったと説明したら、すぐに納得してもらえる、かも。

 ムクドリも負けてはいません。昔は、田畑の害虫退治で褒められていた様ですが、最近は徒党を組み、迷惑掛けまくりのお邪魔虫ならぬ、お邪魔ドリ。中途半端に、知恵も回ると言うこで、駆除も大変。爆竹を夜に鳴らしてみたりして。そっちの方が、煩くて迷惑の様な気がしますが、、こいつらは、焼き鳥にしても不味そうです。

 先日、驚いたのは9号線を超え渡月橋に向かう中で、デッカイ鳥が鳴きながら飛んできました。メタボな鶏の特大のやつ。といえば想像つきますかね?鳥の名前は雉子。日本の国鳥です。ケーンケーン?と鳴くとありますが、ギュークェーに聞こえます。さすがです。これが、ギューンと来ました。でかい焼き鳥に見えました。美味そうです。

 昔、秋葉原デパートの1階に”キジ丼”を売っている店(鳥の胸肉を唐揚げにしたのを、甘だれを掛けて)確か、並500円、上700円で販売していました。これが美味しかったです。懐かしいB級グルメ。本物の国鳥はワンコインでは食べれないです。1万円札で雉子が描いてあるならOK?。秋葉原も駅がピカピカになりB急はもう無いですよね。懐かしいです。
 
 京都でも、羽束師橋の1.5km手前にいつも、店の前で焼き鳥を焼いているお店があります。「焼鶏居酒屋 鶏人」。とても、ボリュームがあり美味しそうです。さすがのあやパパもこれから20km走るのに、6kmほどで焼き鳥を食べる訳にもいきません。毎回、泣く泣く見るだけ、横目で。いろいろ大変でしょうが、頑張ってください。きっと、いつかは飲みに行きます。しかし、この周りには鳥はいないなあ。

 一方、但馬の山の中では可憐な小鳥たちの楽園、サンクチュアリーです。ウグイスから、セキレイからキツツキから、円山川では鷺、青鷺、鴨、鳶、鷹、郭公、子規、コウノトリまでいます。いないのは、ダチョウやペンギンぐらいです。特に、多々良木ダム湖周辺を走ると、小鳥の音楽が途絶えると子は1箇所しかありません。直接来て、確かめてくださいね。屋外バーベキューでは、牛肉でお願いします。

 さて、次回、走るときはカラスさんに少し敬意を示して走りたいと思います。写真は、もうすぐ雉子出現する桂川右岸の黄花。ウインターコスモス?と思います?。花言葉は「焼き鳥」なんてね。「美しい調和」でした。

 とらつぐみ ぬえ鳴く闇の 日々なれど 長々し夜も 日本から明日 あやパパ



憧れ(その2)

2020年05月25日 | 日記
 最近は、鯉のぼりを見ないなぁ。と、以前(多々良木ダム湖マラソン一人旅:5月5日)に書きましたが、かろうじて一箇所見つけました。朝来市羽渕(はぶち)という場所です。近くには、山口小学校があります。小さいお子さんを育てた経験のある方は、”百ます計算”をご存知かと思いますが、これを最初に陰山先生がやり始めた学校です。NHKが取材に来たりして、大騒ぎになりました。大学にゆく子供なんかいない山の学校から、大学にゆく子が続出。と紹介されていました。まあ、そうかもねー。

 そんな小学校の中で同学年中、九九を覚えるのが最後の最後で、あやパパほど頭の悪い子供は見た事が無いとまで言われました。有名人です。そりゃ、そうです。四六時中、何して遊ぼうかと真剣に考え、くたくたになるまで遊びました。木に登り、山に登り、川に潜り、空に飛行機を飛ばしました。毎日暗くなるまで。学校の勉強なんかは全く眼中になし。宿題なんて、あったことすら覚えていません。こんな調子。点数がいい訳ありません。

 しかし、流石に教育に関心の無い親も、学校から「彼の場合は、学校だけではとても無理。家で指導してください。」と、どやされたりして、これではダメとばかりに寝る前に、九九の特訓が始まりました。やりだせば、一週間ぐらいで覚えられた様ですが、おかげで無理やり飲み込まされた感じがあって、算数は大嫌いになりました。”うちわ”でバタバタ煽ぐ様な勉強のさせ方は逆効果という訳です。鯉のぼりの様にゆったりと、しないと。

 昔は写真よりでっかい鯉のぼりがそこ、かしこに泳いでいました。子供ながらに、良き伝統を肌で感じて育ちました。でも、私自身の鯉のぼりは泳いでいるのを見たことがありません。今でも2階の倉庫にある?はずですが。物心ついた頃には、親が、こういう事に飽きてしまい、また、手間も相当掛かる(支柱には、山からよりすぐりの細くて超長い杉の木を切り出してきてこのアルミのポールなんかよりもっと長く立派なので、大人四人ぐらいで立てないとダメ。)為に、ついに見る事ができませんでした。本当は、赤ちゃんの時に、きっと見せてもらっているはずですが、全く覚えていない。あの鯉のぼりの泳ぐ姿を見れたら、人生の課題の一つが解決する様にも思えます。

 この写真の家の様に、鯉が泳いでいるのは良い事ですが、うーん。なんか小さくなってしまった感があります。子供の頃の鯉のぼりは立派でした。一番大きい真鯉には金太郎さんが乗っていたりして。子供の頃から見ると、何かに付けて世の中が小さくなりました。今は、20kmほどを自分の足で走るので遠いと思っていた場所も距離感覚がさらに変わってきています。昨日は、休息日なので走りませんが、近所(片道2km)の業務スーパさんまで買物散歩しました。走り出すまでは、この業務スーパさんまでくると、なんて遠くまで来たんだ。としみじみ感じましたが、今は往復4kmなんてチョロすぎて、話にもなりません。でも、早足で歩いたりしたらそれなりに汗かいたですが。

 小学校や、中学校の家までの長い行き帰り、自然満喫、自然だけ。の中でもう少し、走ったりしてその運動の最中に暗記ものの勉強なんかしたら、机に向かい、放課後に何して遊ぼうか一生懸命に考えるよりよかったかもなー。子供の頃なら、百人一首なら三日もあれば遊びながら覚えられたと思います。子供達への教育は、このCOVIDー13禍で今までの学習ができないと日々報道されていますが、今までの教育手段を、抜本的に見直すべき時期に来ていると感じるのは私だけでしょうか。教育提供組織のための教育となってはいないでしょうか。自由な学びとは強化書通りの行動では無いとも。工夫を凝らした自然の中での”気付き”にこそ、ヒルベルトの第8問題を解く子が育つ。様な気がしてなりません。

 新しき 風を受ければ 鯉のぼり 泳ぐ姿に 未来をのせん  あやパパ

 

音楽のちから

2020年05月24日 | 日記
 走る時に、ほとんどの場合、何かしらの音楽を聞いています。今も、聞いています。
         Harry Styles - ”Sign of the Times”
若いのにたいしたものです。音楽の向こうに、別の世界を見せてくれる腕前ありや。大勢のミュージシャンが格闘して到達するこの境地、が本物か今後が楽しみです。

 そんな曲は昔は沢山ありました。最近は少ない?。80年代に青春を過ごし、その頃世の中に素晴らしい曲が溢れた幸運は、御同輩の皆さんと共有できる大きな財産と思います。

 1982年の夏だったか、秋葉原の高架下の道路沿いのお店で、赤いWalkmanを購入しました。相棒になりました。それまでの音楽の聴き方に革命が起きました。ソニーの盛田さんが”自分が欲しいから作って欲しい”とのエピソードも素敵です。若き時、スキー深夜バスに乗り信州を目指す車窓から聴いた曲は、心の思い出を作りました。あの頃には戻れませんが、インターネットも無く、邪魔臭い事も多かった日々の豊かな思い出のなんと素晴らしい事か。青春の光掛かる日々ならではでしょうか。

 あの頃から今の様に走っていたら、この歳になっても走っているだろうかと思ったりする事です。ハーフを走ると、早かろうが遅かろうが結構、体は疲弊します。その分、ビールは美味いけど。疲労回復のバランスを取り、少しづつでも、ホノルルに近づきたいものです。音楽に励まされて。

 ホノルルは、赤いWalkmanと行った21歳の時、次は29歳ぐらいの時の2回だけです。ほぼ、30年ぶり。あの時に次はマラソンで来るなんて可能性はゼロ以下でした。今回の事があって、ハワイにはゼロイカというSquid(烏賊)がいるはずなので食べないと。なんてね。

 走っている時に勇気をくれる音楽達については、今後、シリーズ物で沢山紹介できればと思います。写真は、鴨川タチアオイの花です。まだ、恥ずかしい様で、葉っぱに隠れて。これが咲き始めると、春も終わり。咲き終わると梅雨が終わり、夏が来ます。いつもとは違う夏が来ます。

 音楽は 魂の糧 一瞬の 時間を切りて 豊かに流れ  あやパパ


有三想運動(その2)

2020年05月24日 | 日記
 皆さん、今晩わ。遅くなりました。今日は5月23日です。私の場合は、夜が明けが一日の開始です。今はまだ、朝ではありません。言い訳は、このぐらいにして、今日もハーフやりましたがボロボロすぎでRUNの事は何にも書きません。
 
 水前寺清子さんの歌に365歩のマーチがあります。最近の若い人は知らないかな?、ご同輩はもちろんご存知ですよね。「三歩進んで、二歩下がる。」ですね。これでゆくと、2日で1セット。1年で三歩進める日は、年の半分なので182.5日×3歩=547.5歩、下がるのは同じく365歩。進めるのは、結局相対的に、182.5歩となります。大事なのは、一瞬でも”三歩”進む事です。一瞬でもね。そして、何もしなければ、下り続けるかも?しれない事です。水前寺さんの歌によると、進んだら下がるですが、進まなければ下がらないのでしょうか。また、二歩進んだら一歩下がるのでしょうか。この方が得なのでしょうか。一年365日やって、1/2しか進まない。何かありそうです。今日は、四歩戻った気分のあやパパです。

 今日、5月23日はJohn Forbes Nashさんの命日です。ご存知でしょうか。ゲーム理論発展に寄与しノーベル経済学賞を受賞した人です。「ナッシュ均衡」の名前が残っています。逆の言葉はパレート最適。前回のRUNはパレート最適。素敵版。
 
 あやパパはナッシュ均衡の日でした。四歩下がる日?。それでも、ハーフの距離は”動き”ました。最低レベルは達成です。ナッシュさんの話は映画「ビューティフルマインド」にもなっていて、それなりに楽しいと思います。映画では紹介されていないこの天才の人生に更なる深みと闇と光がある様に思います。よかったら、映画とか、ググってみてもらえたらと。(ここで、「リーマン多様体の埋め込み問題」なんかを見たら、気持ちよく混乱できますね。)

 ナッシュさん達、数学者は人のやりとりに着目して理論化しましたが、ランニングで走る人と、走る人の周辺環境や、体調や、見えない何かなんか全部をζ関数の様にして計算すると、その人なりの素数階段ができて、マラソン完走に近づく、、、です。わからんけど。イメージですね。イメージ。え、言葉もわからないので、イメージも出ない。失礼しました。ではより混乱しそうなので、夜が明ける前に終わりにします。2294797(ニンニク夜中食うな)ですね。しつれー。

 複素数 走る距離の 裏側で 何かをしてる 気配ありけり あやパパ。


はじめての10km

2020年05月22日 | 10kmぐらい
  ハーフマラソン完走したので、はて、10km時はどうだったかな?と、思いました。ところが、完走した時の感動が思い出せません。そんな日があったはずなのに。なので、歩きながらも、初めて10km動いた(通しで走っていないです。ヘロヘロです。)が強烈に印象にあるので、その日のことを思い出して10kmの感動?にしたいと思います。では、行ってみよ。

 その日は、2019年12月1日です。ほぼ半年前。相棒のGAMIN ForAthlete45の記録によるとです。10km(10.35km)移動を、1時間27分でやっています。8分27秒/kmで、今とそんなに変わりません?。なんで?。この日、激しく疲れたはずですが、、もう、遥かな昔になってしまいました。Logを見ると、真面目に、こどもの国4.2km大会練習として、4.2kmは続けて走っています。その後、歩き、走り、歩き、走り、歩き、最後の8.5kmから10kmまで1.5kmを走っていました。心拍数は158。私は心拍数162で死んでしまう設計なので、ギリギリです。ここ3ヶ月は高くても152ぐらいです。12月のあやパパは結構、追い込んでいたんですね。自分で驚きです。まあ、空気も冷たかったし、暑さ対策もいらなかったし、靴もすり減っていなかったですからねー。

 この日の事は最後の辺だけ、強烈に疲れたので良く覚えています。家までの1km(やっぱり全工程の1割)で、ヘロヘロになりました。今までの6kmをそれなりに走って歩いて、最後の500mはダッシュなんかしたりして、やれそうな自信が出てきた頃でした。
 
 まだ、桂川は遥か遠くそんなとこまで行く気もなかった頃です。それでも、初めての10km経験として踏ん張ってやり遂げた時に、もうくたくたになりました。走るのが終わり、家までの残り、300mが遠い。自分は歩いているのか?全然前に進んでいる気がしなかったのを覚えています。
 
 この前の桂川ハーフでは途中から見えない力の応援が盛大にありました。10kmはそんなの、全然なし。家に帰り、お風呂に入ろうと(外はもう暗い)風呂に入ってお湯出して、そこから動けなかったりしました。なんて、しんどいんだとの印象だけ残りました。写真は、GAMINさんが、関門、関門で出してくれる、”よくやった、偉いぞバッジ”の10km版です。こんなのをもらうと、子供騙しと知りながら、嬉しくなる自分がいます。この時の喜びは、このバッジだけ?だったか?
 
 今は、10kmなら1時間5分、体重はあれから5kg減、1ヶ月の走行距離は三倍以上(60km→200km)、いで立ちはそこそこランナー風?。GAMINバッジは45個。でも一番変化したのは、走る、走れる喜びと感謝が共にある事です。このボログを書く事も、時々出会う家来たちも、みんながみんな感謝です。これは、大変な事と思います。この歳になって、次に感動するのは、何かな?もう、無いかな?と、モノクロで続く日々の風景が当たり前になっていたのを、新しい目標とその先に続く素晴らしい出会いを楽しめる日々に変わりました。明日も、二日間、休んだのでハーフを渡月橋まで行きます。この前のハーフを自分のものにして、感謝に感謝する日となるために。

 10kの 境を超えて 行く日々は 次の喜び 我に与えん あやパパ