去年辺りまでは
引っかかりそうなコメントも
なんとなく上手く
受け止めずにする〜っと流す事が出来る様になりました。
「スルー」じゃなく
「する〜っと」です。
これも時薬の一つでしょうか…
と
とあるブログにこんな事が書かれていました。
社会は「悲しんでいる人」が嫌いだ。
とりわけ「愛する人と死別して、深い悲しみに暮れている人」が嫌いだ。
社会は、愛する人を喪って、いつまでも悲しみ続けている人を忌避する。
(中略)
俺たちの住む社会は、死別後、短期間のうちに悲しみから立ち直ることを求めている。
亡くなった人のことなど忘れて、さっさと立ち直れと強制する。
・・・
「時薬」あるいは「日にち薬」という言葉がある。
この言葉は、死別の悲しみも、時間が経てば薄れていくということを意味している。
本当なのだろうか。
死別の悲しみは時間だけで解決されるものなのだろうか。
確かに、時間の経過と共に、気持ちは少しずつ変化していく(のかもしれない)。
俺の実感では、
胸が引き裂かれるような、身体の半分を削ぎ落とされたような、激しい悲しみは若干、薄れた(ような気もする)。
だが、時間が経つにつれて、悲しみの形は姿を変え、大きくて、深い悲しみが襲ってきた。
「強くて激しい悲しみ」から「深くて大きな悲しみ」へ。
一方、「寂しさ」という感情は、日を追うごとに深まっていく。
「時薬」あるいは「日にち薬」の本当の意味。
それは、死別後に襲ってくる様々な感情が無くなっていくことを意味するのではないような気がしている。
本当の意味は
時間の経過に伴って、「激しくて強い悲しみ」から、「深くて大きな悲しみ」に変わっていく。
そういうことなんじゃないだろうか。
そうだな…
と
共感した文章なので
載せました。