アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

つむぎの会

2015年01月25日 | つむぎの会
今日はつむぎの会でした。
1月に参加するって…初めてかな?
毎年 雪がたくさんあって峠の山道が危険なので
1月2月はお休みしてました。
でも
今日は

こんないいお天気
峠の山道にも雪 なし
春を思わせる様な感じでした。
だから石巻に来ました。

1月17日の阪神淡路大震災の追悼以来
ザワザワした感じが抜けない
だから来ました。

東日本大震災の追悼はもちろんテレビでは見た事はなくて
考えてみれば
阪神淡路大震災の追悼も
初めてテレビで一日中見ていました。

16年後の東日本大震災の追悼も
阪神淡路大震災の追悼式の様に
20年と成人式とを結びつけた様なイベント事になるかもしれない。
それが嫌だ。
毎年 追悼式で復興を語られる事さえ嫌なのに
365日のたった1日だけ犠牲になった人だけを思ってもらいたい。
あとの364日は復興を語っていいから

「20年経っても悲しい」と娘さんをなくされた
おばあさんが涙を流して語った言葉が
全てだよね。って…

何年経っても癒される事なんかない。
悲しみが少なくなる事も薄れていく事もない。


昨夜は職場の新年会で
上がり気味のテンションで行ったから
やっぱり下がりました。
仙台に行っても大崎に行っても
ただアユと凛を思う一日でした。

少しタイミングがズレていたら…
1ヶ月2ヶ月結婚が遅かったら
凛が生まれるのがズレていたら
今もあの笑顔はあったのに
アユも凛も居たのに…
会いたい

石巻のガーベラ農家さん
いつもきれいなお花をありがとうございます。

疲れたから
早く寝ます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つぶやき

2015年01月23日 | つぶやき
ちょっとした事が
大きなイライラになってしまう事があって
それは 若い頃とは違う
これが更年期なのかもしれないのですが
それが
自分の痛い所にしみてくる様で
心が痛くて痛くて仕方ない時があります。

だから
イライラしない様に努力しています。

こんな気持ちは歳と共に薄くなってくれればいいですけど
どうも、そうではなさそうですしね。




阪神淡路大震災では
「思いの大きさに距離を感じる」
とつぶやいていた方がいました。

モノをなくした人
家族をなくした人
その時その場に居ただけの人
それぞれの思いの違いに
「距離を感じる」と言っていました。

距離は始めからあったんだろうけど
始めは気づかない。
みんなが同じだと錯覚して…
年数が増すとそれが錯覚だと気づいて
大切な人をなくした人の気持ちは
置いてきぼり

追悼がイベント化して
本当に追悼したい人はそれぞれでどうぞ!って感じなっていくの?かな?
元々 それぞれ思う日なのだろうけど
20年だから成人式とか
その日に生まれた人が「すごい人」みたいな扱い方は
変だし、ズレていると思う。

20年経っても成人式とは違う。
誕生日はお家でどうぞ


16年後の日本は
「悲し事は悲しいまま変わらず時を刻む」事をわかってくれる人
想像出来る人が沢山いて
優しくあってくれたらいいな

そしたら私のイライラももう少し
鎮まるかなぁ?

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甘えん坊猫ちゃん

2015年01月21日 | つぶやき
甘えん坊の猫は
人に抱っこされたり、撫でてもらえないと
ストレス溜まって
早く死んでしまうらしい。

ウチの母猫 ニーナも

朝は忙しいのに
ベタベタ スリスリ 耳チュパ
ありとあらゆる撫で方を要求⁈(笑)
ホント 甘えん坊ちゃん

今、私の足元から離れません。
お願い!
着替えさせて!(笑)

でもナデナデしてあげるから
元気で長生きしてね!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつもと変わらない毎日だけど

2015年01月20日 | アユと凛のこと
毎日普通に変わりなく過ごしていても
学校の役員会やら集まりやら
夜の会合には、どうも行く気にならなくて
テンション上がらない感じ
寒いからね。

冬は苦手です。
でも春に向かうと
3月が近づいて来るから
それも嫌なんですけどね。

今年の阪神淡路大震災の追悼の日は
たまたま1日家に居て
テレビをずっと見ていたからか
思う事がいろいろあったなぁと思います。
泣きながら見てました。

20年経っても
子供をなくした人は今の私と同じ事を言ってる。
私もきっとあと16年経っても同じ思いでいるだろうなって思います。

20年経つと
「復興」と「追悼」の思いの違いの格差がもっと大きくなるらしい。
悲しくて、あの日から足踏みしている人達が
復興の妨げになっている
って話しを聞いたら、すごく悲しくなりました。

子供をなくしたのは自分のせいじゃない。
悲しい気持ちが元気になったりしないし
無くなる事も少なくなる事もない。
事故や病気で一人だけなくなるわけではないから
他の人にはわからない異常な恐ろしい沢山の死に直面しなければならなかった。
たくさんのなくなった人を見て
その中に我が子を探したよ。
それが震災

簡単に
震災って言うけど…
10人20人じゃない
100人200人…もっと沢山のなくなった人の中から
アユと凛をずっと探したんだよ。
それが震災
たとえそんな思いが「復興」の妨げになると言われたとしても
それはどうしようもない。
その人が生きてる限り悲しい思いはなくならないもの。
私が生きてる限り私の悲しみは消えない。

やっぱり会いたいんだもの。
「ただいま!」って声が聞きたいもの。
凛の笑い声がもう一度聞きたいもの。
沢山のなくなった人達の顔が浮かぶもの…

みんなみんな
なくなるはずじゃなかった。
今も笑って泣いて悩んで、生活しているはずだった。
いつもそんな事を思っています。
いつも何をする時も思っている。
思って、思って、思い過ぎて
時々 頭の中が変になりそうになる…
現実がわからなくなったり…

いつもと変わらない毎日だけど
時々 泣けて来る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日は地域の飲み会

2015年01月18日 | 日記
昨日は地域の役員の新年会?
新年会

久々に会った
楽しかった
仕事の人じゃない人達(笑)

昨夜、酒田は地吹雪
ホワイトアウト

こんな時に飲みに出かける私達って…
と思ったら
二次会の居酒屋 満席
しかも、知り合いいっぱい

皆さん さすが酒田市民
ホワイトアウトの日は居酒屋だ~い!

帰りタクシーに乗らなかった人
無事に家に着いたのかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする