さて皆さん、長々と自説を述べてきましたが、そろそろまとめに入ります。私がこの場で言いたいことはひとつです。「豊洲は豊洲、築地は築地」というスローガンは築地にふさわしくありません。少なくともそこに客のニーズはありません。築地の客のニーズは「三方よし」の共同体の中にしかありません。場内と場外が揃ってこそ築地。皆さんはそこから目をそらさないでほしい。その事実を踏まえ、場外市場の置かれた状況を正しく理解した上で、皆さんにふさわしいスローガンを、僭越ながら私がここに披露します。
それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」という分断の呪いを解いて、皆さんの心をひとつに束ねる言葉です。
それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」というビジネスマインドを超えて、皆さんの可能性を新しい時代に開く言葉です。
それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」という傍観を卒業し、現実と正面から向き合う皆さんの勇気を表す言葉です。
皆さんが真に掲げるべきスローガン、それは
「都知事は都知事、築地は築地」
これしかありません。
そしてこの言葉には豊富なバリエーションがあります。たとえば
「オリンピックはオリンピック、築地は築地」とか、
「電通は電通、築地は築地」とか、
「森ビルは森ビル、築地は築地」とか、
いろいろと応用が利く優れモノです。築地に「三方よし」の連携を取り戻す。都知事や広告代理店やディベロッパーの与えるキャッチコピーから脱却する。そしてみんなで心をひとつにして築地に仲卸を復活させる。それ以外に築地が未来の客を取り込む道はありません。
私の存在を目障りと感じる方はどうぞ無視してください。「善人ヅラむかつく」とか「マイクの音量下げろよ」とか、今まで散々高飛車に心の中で人に浴びせてきた批判が、今自分に矢になって突き刺さっています。「穴があったら入りたい」とは言わないまでも、人前で政治的に振舞うのはやはり気恥ずかしいことです。でもその気恥ずかしさは、大切なものを守ろうとする人が進んで背負うべき荷物なのだとも思います。こうでもしなければ、私は築地から仲卸が消え、歴史的価値のある建物が破壊され、場外市場に地上げ屋が紛れ込み、東京の魚河岸文化が衰退していく悲しみを乗り越えることができません。私は場外の皆さんを貶めるために話しているのではありません。私は皆さんと敵対するためにここに立つのではありません。私は自分が背負う荷物を少しでも軽くしたいと思ってここに立っています。そして築地を愛する人は今日誰もが等しく同じ荷物を背負わされています。私の言葉が、私と同じ荷物を背負っていると感じている誰かの心に届くことを願っています。
(おわり)
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それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」という分断の呪いを解いて、皆さんの心をひとつに束ねる言葉です。
それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」というビジネスマインドを超えて、皆さんの可能性を新しい時代に開く言葉です。
それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」という傍観を卒業し、現実と正面から向き合う皆さんの勇気を表す言葉です。
皆さんが真に掲げるべきスローガン、それは
「都知事は都知事、築地は築地」
これしかありません。
そしてこの言葉には豊富なバリエーションがあります。たとえば
「オリンピックはオリンピック、築地は築地」とか、
「電通は電通、築地は築地」とか、
「森ビルは森ビル、築地は築地」とか、
いろいろと応用が利く優れモノです。築地に「三方よし」の連携を取り戻す。都知事や広告代理店やディベロッパーの与えるキャッチコピーから脱却する。そしてみんなで心をひとつにして築地に仲卸を復活させる。それ以外に築地が未来の客を取り込む道はありません。
私の存在を目障りと感じる方はどうぞ無視してください。「善人ヅラむかつく」とか「マイクの音量下げろよ」とか、今まで散々高飛車に心の中で人に浴びせてきた批判が、今自分に矢になって突き刺さっています。「穴があったら入りたい」とは言わないまでも、人前で政治的に振舞うのはやはり気恥ずかしいことです。でもその気恥ずかしさは、大切なものを守ろうとする人が進んで背負うべき荷物なのだとも思います。こうでもしなければ、私は築地から仲卸が消え、歴史的価値のある建物が破壊され、場外市場に地上げ屋が紛れ込み、東京の魚河岸文化が衰退していく悲しみを乗り越えることができません。私は場外の皆さんを貶めるために話しているのではありません。私は皆さんと敵対するためにここに立つのではありません。私は自分が背負う荷物を少しでも軽くしたいと思ってここに立っています。そして築地を愛する人は今日誰もが等しく同じ荷物を背負わされています。私の言葉が、私と同じ荷物を背負っていると感じている誰かの心に届くことを願っています。
(おわり)
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