banananbearの独り言

バツイチおばちゃんの日常生活をぼちぼち更新♪(´ε` )

タビ好き

2015-08-09 | 日記
九州と山口で放送しているローカル番組

http://www.kbc.co.jp/mbl/sp/tv/tabizuki/



全然有名人が出てこない、色んな小さな町や村の一般のおじちゃんおばちゃんたちとアポ無しの世間話をする番組である

あの前川清がこんなにしゃべるとは知らなかった

この番組が始まったのは3年ぐらい前らしいが、私はここ2年ぐらい毎週楽しみに観ている

有名人も有名な店も出てこないが、ホンワカした温かい番組だ

全国放送でないのが残念
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昭和20年8月9日

2015-08-09 | 日記
今日は長崎への原爆投下から70年の日

私の両親、両親の兄弟姉妹が被爆した日でもある

他人に被爆2世だということは口外するなと言われて生きてきた

しかし高齢になる親世代から聞いてきたことを、私たち2世は3世にあたるムスコたちにも話していかなければならないと感じている



父は12才、母は7才で被爆した

父は被爆した際の話はあまりしたがらなかったが母からは幼少時から繰り返し聞いた

母の実家は原爆投下地点から直線距離が4㎞だが、間にある山で遮られている場所

母は兄、兄、母、弟、弟、妹の6人兄弟姉妹

原爆投下、その日は縁側で4月に生まれた私の叔母である妹を抱っこしていた
兄弟姉妹全員が自宅に居たというが祖父はおそらく不在だったのだろう
(祖父は長崎重工三菱造船所の設計技師だったという)

祖母は妹の為に台所で重湯を作っていた

いきなりピカっと
そして瞬間、抱いていた妹をはじめ、兄弟の身体が飛ばされた

下の弟は気絶し、他の兄弟は台所に走り「熱い!熱い!」と水をかぶったという
気づけば、庭で遊んでいた兄たちは髪が縮れ、皮膚が赤くなっていたと…


祖母は子どもたちを連れ、気絶した下の弟を抱き防空壕へ


防空壕にはすでに大勢の人が逃げこんでいた
気絶した下の弟が、目覚めたのは翌日だったが、気絶しているので失禁してしまったのだが、逃げこんだ人たちから文句を言われた祖母、猛然と「気を失のうとやけん、仕方なかろうもん!!」と立ち向かったらしい



何度も何度も聞かされたこの話、母は山のお陰でその程度で済んだ
山が無ければ死んでただろう…と



原爆投下後、祖母は遊び盛りの子どもたちに、街には出るなと申し渡した
被爆された方々の話を伝え聞いたのであろう
その判断は正しかったと思う
直後の放射能濃度は相当なものだったろうから


母の話の中に、祖父がどうやって生き延びて自宅に戻ったのかということは出てこない
造船所に居て被爆したのなら生きて帰ったのが不思議なくらいである
次回、母が戻ってきたら祖父のことを聞いてみよう


そして、私のムスコにもしっかり母の話を伝えていこう
彼も被爆3世なのだから





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