banananbearの独り言

バツイチおばちゃんの日常生活をぼちぼち更新♪(´ε` )

曾祖母

2015-08-10 | 日記
昨日から長崎の事を色々思い出していた

その中で父方の祖母の事を書いてみようと思う


父方の祖母といっても、実は私から見れば曾祖母にあたる

父の父、つまり私からは祖父となるが、祖父は戦時中か戦前かは分からぬが、家族を引き連れ満州へ出向いたそうだ

そこで生まれたのが父の上の妹
末っ子にあたる下の妹は…不明w

満州で何をしていたのかはよく分からないが、満州から日本に引き揚げる際に母が結核を患い、帰国後に亡くなっているので、私は父の母である祖母は知らない

引き揚げてきた祖父一家は曾祖母の家の世話になる事となったのだが、この曾祖母、かなりキツい御仁だったらしい


明治生まれの曾祖母、その時代に珍しく、父の父、祖父を連れて離婚し実家に戻り実家の姓に
その実家に祖父をおいて自分はちゃっかり再婚
再婚相手とは子どもが出来ず、海外旅行までしたらしい
その当時の写真が父の実家に飾ってあるのでそれと知った
私のご先祖ではあるが、若い頃の曾祖母はたしかに美人である(写真に修正がしてあったかも)

さて、その曾祖母の再婚相手G造さん(これまた写真で見る限りハンサムである)、割と早くにお亡くなりになりまたもや曾祖母は独り身となるが、再々婚はしなかった

独り身の曾祖母が生計を立てていたのはお茶とお花の先生としてであった
実家にはつくばいや水屋、炉も切ってあった


ここに曾祖母のむすこである私の祖父一家が厄介になった訳であるが、祖父もまた再婚を機に曾祖母の元へ父を始めとする子どもたち4人を置いていくのである

そこで姉、父、妹、妹の4人は曾祖母の養子となり、現在私が名乗っている姓に変ったのだった
という成り行きで曾祖母が父にとっての母、私から見て祖母に1代若返った(?)


便宜上、曾祖母とするが、かなり子どもたちへの躾は厳しかったそうだ

針仕事をしながら子どもたちに勉強をさせ、脇見や居眠りをすれば物差しが飛んで来たそうである

家の手伝いは勿論のこと、畑仕事に水汲みは父の分担、他に遠方への買い出しも
それだけやってれば、疲れて居眠りもするだろうが、曾祖母は許さない
しかも成績は常にトップでないとつまらん!教育ババア

妹である伯母たちからは父の成績は常にトップだったと聞いている(ただし、中学までは)


そんなある夜、泥棒が入りミシンを盗まれたそうだ
それに気づいた曾祖母、裸足で追いかけた手には包丁~_~;
無事にミシンを取り返すような明治女



私が物心ついた時には、すでにベッドに横たわって眉間にシワを寄せている曾祖母しか知らない
初の曾孫であるにも関わらず、全くと言っていい程可愛がってもらったり抱かれたりした覚えがなく、逆に嫌がられているようでさえあり、私は父の実家に行くのがすごく嫌だった

父の父は私が小学4年、曾祖母はそれより2年長く生きてこの世を去った

どちらのご先祖様ともあまり触れ合う事もなく、話を聞く事もなく、両親や伯母たちの昔話からの知識となった

もっと話を聞いておくべきだったと残念である


コメント
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