時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

たかが蛍光灯。されど、病室の蛍光灯。

2015年04月24日 | 日々の、あれこれ

病気やケガなどで入院して、布団に横たわっている時というのは、見舞いの人や、先生・看護婦がいない時、普段の自分の目に映るものは限られる。

 

誰かが見舞いなどで持ってきてくれた本。有料のテレビ。カーテン。そして蛍光灯のある天井。、窓際のベッドだと、窓の外の景色も視界に入れることはできるが、そうそう窓際のベッドがあてがわれるとは限らない。

 

 

 

そうなると、本や有料テレビ以外では、カーテンや天井が、自分の目に映る世界になる。

 

ほんと、限られた世界だ。

 

ベッドは、一人用ベッドがカーテンでしきられてるだけだったりするので、自分のスペースとなると、かなり狭い。そう、一人用ベッド分のスペースが自分のスペースになる。

 

 

 

そんな状況・・・テレビも見てなきゃ、本も読んでない・・そんな時、私は何を見てたかというと、たいがい天井だった。蛍光灯と、白い天井。

 

変化もなく、面白味もなく、無機質にも思え、無意味に蛍光灯を見つめていだ時間は多かったように思う。

 

 

 

蛍光灯をまじまじとじ~~っと見つめ続ける機会なんて、そんな時ぐらいしかない。

 

普段、そんなことは、まずしないから。

 

もちろん、いくら見つめても蛍光灯に変化はない。

 

でも、やることもなく、時間だけはある・・そんな状況だから、無機質な蛍光灯を、普段では考えられないぐらい見つめる。

 

光っている部分、すみっこの少し影になっている部分。

 

そんなのを見てると、蛍光灯の明るい部分と、すみっこの暗がりの対比だけが、妄想の種になる。

 

 

 

もしも、この蛍光灯のはめこまれた枠内だけが生きる世界の生物がいたとしたら、その世界の中でその生物が何者かに追いかけられた時、すみっこの暗がりだけが隠れられる場所なんだろうな・・・とか。

 

この蛍光灯にも寿命があるなら、寿命が尽きる前に点滅めいた状態になることがあるかもしれない、ならばその点滅はいつだろう・・・とか。

 

この蛍光灯は、いつごろ替えられたものだろうか・・とか。

 

入院している患者によっては、もしも限られた寿命を宣告された時、蛍光灯の点滅に自身の寿命をなぞらえたりすることはあるのだろうか・・とか。

 

 

 

その他、普段ではやりそうもない「蛍光灯に対する長い凝視」をしながら、普段では考えもしないような、とりとめのないことを考えたりもした。

 

 

 

たまに、ベッドの四方のカーテンを見つめて、時には閉塞感を感じながら、思いがけない人がカーテンを開けて私の世界に入ってこないかな・・とか、カーテンの向こう側を通り過ぎていった人はどんな人だろうとか、長時間一人の世界に浸れるから十分な休養になるな・・とかを考えることもある。

 

 

 

それでも、やはり、蛍光灯を見つめてる時間のほうが多かった気はする。

 

何かに追われることもなく、長い時間何もしないでいられることを利用して、何か歌の歌詞の構想でも考えようかな・・とかも考えたりもしたし、退院したら何を食べようかな・・とか、退院したらどこに旅行しようかな・・とか、しばらく会っていないあいつは今何をやってるかな・・とかも考えたりした。

 

 

 

今なら、ブログのネタでも考えるかもしれない。

 

 

 

ただ、それらのことを考えながらも、目は蛍光灯を見るとはなしに見てたりした。

 

 

 

そうなると、蛍光灯はまるで、入院してる自分に与えられた狭いスペースの唯一の家具みたいにも思えたり、唯一のアクセントにも思えたり。

 

しまいには、蛍光灯こそが、入院生活のシンボルのようにも思えたりもした。

 

 

 

 

 

やがて退院すると。

 

蛍光灯は、会社をはじめ、そんじょそこらにあるが、入院してた時のようには蛍光灯を凝視するなんてことは・・まずない。

 

というか、退院してしまうと、蛍光灯はまるで空気のようなもので、あって当たり前の存在で、普段その存在をあまり気にとめない。電気をつけようとする時や、あるいは点滅でもない限り、蛍光灯の存在はあまり意識しない。

 

 

 

 

 

それでも・・たま~に。

 

ふとした拍子に、何気に蛍光灯を見つめる時もあって・・・・まあ、それはたいがい暇な時だが・・・時間を少し持て余している時などは、蛍光灯を見てると、入院してた時のことを思い出すこともある。

 

 

 

そういう意味じゃ・・・蛍光灯は、やはり・・・入院時の自分の居住地の中心だったように思えたりするのだ。

 

 

 

また、蛍光灯に向かって「たかが蛍光灯とはいえ、入院した時は蛍光灯は自分の空間の太陽であり、月であり、時には監視員でもあり、時には慰めてくれた(?)存在でもあり、唯一の存在感があったなあ」などと思ったりもするのだ。

 

 

 

そう、たかが・・・なんの変哲もない、普通の無機質な蛍光灯が。








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