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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

作詞の難しさ

2012年02月29日 | 音楽活動

全体的に見れば、ほぼ歌詞は出来上がっているのに、途中のいくつかの言葉が気に入らなくて、曲として完成に至らない曲というのがある。

下手したら、メロディもほぼ出来上がっているのに、歌詞の中のたった一つの言葉が納得できなくて、曲自体が未完成のまま・・などということもある。

昔、レノン・マッカートニー名義のビートルズソングのそれぞれのメーキング秘話の中で、曲自体はポールが(あるいはジョンが)作ったが歌詞の中に、ジョンが(またはポールが)1行や1単語放り込んで完成した曲というのが、いくつかあったと思う。

確か・・ジョンの回想インタビューで語られていたように思う。

 

たったの1行、たったの1語の貢献であっても、それが非常に大きい場合がある。

作者では思い浮かばなかった、他者だからこそ思いつく言葉選び・・ってあるから。

私は、ジョンの回想インタビューで、たった1行や1語放り込んだだけの貢献なんて、曲全体にとっては些細なものだろう・・・と最初は思った。

だが、私が作詞していて、たった1か所の言葉やフレーズが気に入らなくて、前に進まなかったり、煮詰まったりした時に、誰かが何気なく思いがけない言葉を言って、それが自分の中にビビッとくることもあることは、何度か感じるようになった。

もちろん、そういう言葉にビビッとくるのは、絶えずその曲の歌詞に対する不満が自分の中にくすぶっているからこそである。

そういう時は、どこかを歩いていたり、何かをしてたり、誰かと話していたり、何か映像作品を見てたりしてる時でも、言葉に対するアンテナを張り続けていることになる。で、絶えず「言葉を拾い上げる」準備が自分の中にあることになるが、偶然待ちの要素もあるので、とんでもなく時間がかかることもある。

それに比べたら、レノンとマッカートニーのような共同チームになると、2人がかりなので、一人でやるよりはよっぽど時間が短縮されるだろう。

 

以前、某邦楽ミュージシャンが、ある曲を書いてる時に、他の部分はメロディもアレンジも・・どれどころか、オケそのものまで完成してるのに、歌詞の中のたった1行が気に食わないばかりに、もっと良い表現が浮かぶのを待ってたら、たった1行のためにアルバムそのものの完成が遅れてしまったことがあるようだ。

実際、そういうことって、割とありえることだと思う。

ちなみに、その某邦楽ミュージシャンが、それで作った曲は、今ではJ-ポップの名曲としてゆるぎない評価を受けている。

 

作詞という作業は非常に難しい。

それは最近、実感する。

最近、自分にとっては、作曲よりも難しい気がしている。

でも、自分の言葉も歌いたい。

20代の頃に組んでたポップスバンドでは、私はバンドレパートリーの大半の作曲を手掛けていたが、作詞に関してはあえてボーカリストに譲っていた。わずかな例外を除いて。

だが、それは自分がボーカルをとってなかったから大丈夫だったのかもしれない。

だが、今、自分でも歌ったりするようになってみると、なるべく自分の言葉を歌いたい気持ちも、けっこうある。

やはり・・ボーカルをとる人は、作詞ぐらいはやったほうがいいような気はする。

全曲じゃなくても。

その方が、歌い手の感情移入がしやすいのではないか。

 

凡庸なメロディでも、優れた歌詞が乗ることで、名曲になることは、ままある。

まあ、その逆もあるけれど。

 


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