時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

マジックプリント

2008年07月11日 | 懐かしい系、あれこれ
かつて「マジックプリント」なるものがあった。

これは、普通のシールとがちょっと違うシロモノで、写したい対象物の上にこのシール(?)みたいなものを乗せ、爪などで丁寧に絵の部分をこすると、シールに描かれた絵などが、写したい対象物に転写される・・というものだった。

お菓子などについてたシールの進化形みたいなシロモノだった。
メーカーにとっては、シールの後継種みたいな感覚で目新しさを出し、それをお菓子などの販売促進に繋げたかったのだろう。

個人的には特に、鉄腕アトムのマジックプリントが記憶に残っている。
私が初めて見たマジックプリントは、アトムのマジックプリントだったからね。

普通のシールとは違う「新しいもの」だったので、けっこう熱中した。
文房具、ノート、家具、壁、柱、など色んなところに転写させた覚えがある。

だが、親たちには困ったシロモノだったらしい。
そりゃそうだろうなあ。なにせ、家のあちこちに転写させていたから。
シールなら剥がせばとることもできるが、このマジックプリントは、削るようにしないととれなかったのを覚えている。
それも、根気よくとらないといけない。
ヘタなとりかたをしようとすると、対象物に傷がついてしまうから。
そう、これは、シールよりも撤去(?)が面倒なシロモノだったのだ。

おそらく、当時の日本の民家の壁や家具などには、このマジックプリントが転写され、その一部がいつまでも残っていたのではないだろうか。
我が家でも、柱に転写されたマジックプリントは、いつまでも残っていた。
小学校低学年の頃に柱や壁や家具(タンスなど)に転写したマジックプリントの一部は、私が20代になっても残っていた。
高校の頃、別の場所に引っ越したのだが、高校卒業すると共に、元の家に戻ってきたら、子供の頃に転写させたマジックプリントはそのままだった。
その後、再び私は引っ越してしまい、やがてその家は解体された。
きっと、解体されるまで、柱にマジックプリントのかけらは残っていたのではないだろうか。


シールは、だんだん剥がれてくることが多かったが、このマジックプリントは、だんだん絵の一部分が削れてくるケースが多かった。シールよりも、対象物への同化度が高かった。
きれいに転写させるにはちょっとしたコツがあった。
最初は中々うまくきれいに転写できないことも多かったが、やがてはきれいに転写させることができるようになっていった。

そういえば、今「マジックプリント」の名前って、聞かなくなった。
いつの間にか廃れてしまったのだろうか。
もしかしたら、親からの苦情がメーカーにでも行ったのかなあ。
後始末としてはシールよりもマジックプリントの方が大変だっただろうから。

今では、アトムのマジックプリントなんて、そこそこの値段がついて取り引きされてるんだろうね。

そういや!
このマジックプリントに関しては、試してみたくても、試すまではいかなかったことがある。
それは・・体に転写させることだった。
特に腕とかに。
一回転写させたら、そのあと撤去するのが大変だったから、体には転写させなかったのだ。
無理に剥がそうとしたら、相当皮膚を引っ掻かなければいけないだろうし、ヘタすれば血が出そうな気もしたからだ。

日本のどこかに、いじめっ子にマジックプリントを体に転写させられた子なんているのだろうか。
いや・・・マジックプリントはけっこう貴重だったし、誰かの体に転写させることはその子にそのマジックプリントをあげるような行為でもあるから、いじめの道具には使われなかっただろうなあ。
いじめっ子にとっても、もったいなさすぎる行為だろうから。

ともあれ、マジックプリントは、昭和のキャラクターグッズ界において、一時代を築いたのだけは確かだ。

今となっちゃ、昭和の隠れた遺産・・なのかもしれない。



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