また今年もやってきた、レノンの命日。
いつもこの時期は、若くして未来を閉ざされてしまったレノンの「幻の未来」を考えると悲しく、残念でならない気分にさせられる。
それが毎年の私のパターン。
だが、今年はいつもとは違った、特別な思いもある。
それは2023 年の11月に公式発表されたビートルズの「新曲」があったから。
命日がくるとレノンを偲ぶネタをこのブログでは書き続けているが、今年はこの曲を取り上げないわけにはいかない。
その曲はもちろん「ナウアンドゼン」だ。
レノンもジョージもいなくて、レノンのデモテープに音を重ねたこの曲をビートルズ名義で発表するなんて・・と批判する人もきっといるだろうとは思ったが、私個人的には「よくぞ、完成させてくれた。ポールとリンゴ、ありがとう」と言いたい。
いつだったかは忘れたが、2023年のある日、ポールが驚くべき情報を公表した。それは2023年の年内に、ビートルズの最後の新曲が発表されるというものだった。それはビートルズの4人とも演奏に参加している曲とのこと。
レノンもジョージももう亡くなってるし、もしそんな曲があるとしたら、アンソロジーの時がそうであったように、多分レノンのデモテープを完成させた曲だろうと私は思った。
私はその情報に当然驚いたが、同時に、発表されるとしたらレノンの未完成曲「ナウアンドゼン」だろうと思った。
ナウアンドゼンのデモテープは、昔からネット上では出回っており、わたしも知っていた。
だが、そのデモテープは元々カセットテープの音源だったせいもあり、音質は悪く、曲自体もまだ作りかけで、試行錯誤中の曲に聞こえていた。
もっとも、それはアンソロジーで発表されたビートルズの新規「フリーアズアバード」や「リアルラブ」とあまり変わらないのでは?と思った。ならば、なぜナウアンドゼンの完成だけはできなかったのかな・・とも。
アンソロジーでのセッションでは、ナウアンドゼンは完成を諦め、リストから外された曲だったらしいので、なおさら。外されたのなら、仕方ない理由があったはず。
なんでも外された理由は、ジョージが反対したかららしいという話も伝わってきていた。
この時私は誤解してしまったのだが、ジョージはその曲の出来を気に入らなかったからだと思った。
だが、今回わかったことは、ジョージがナウアンドゼンに反対したのは、曲の出来が気に入らなかったわけではなく、音質が悪くて、当時のテクノロジーではどうしようもなかったからだった・・ということ。
それとこれは最近知ったことだが、アンソロジーでプロデューサーをつとめていたジェフ・リンの方法に、リンゴは必ずしも納得していなかった・・という事情もあったらしい。
ナウアンドゼンのマザー音源ともいうべきデモ音源を聴くと、音質が悪く、ノイズも入っており、メロディ自体もレノンはまた模索中という感じの出来になっていた。
歌詞がまだ決まってない箇所もあったし、メロディーにもまだ手探りな感じはあった。
レノンとしては、曲のスケッチのようなメモがわりに録音してたのだろう。
絵で例えれば、鉛筆で下書きのスケッチをしてたようなものだったろう。
さて、11月の上旬、発表されたビートルズの新曲は、やはり「ナウアンドゼン」だった。
公開されたビートルズ名義の新曲「ナウアンドゼン」を私はドキドキするような気持ちて聴いてみた。
すると!
おお!おお!なんてことだ。レノンがリアルにそこにいたではないか。
フリーアズアバードやリアルラブの時のような、デモテープバージョンのようなボーカルではなく、レノンがあたかも新録音でもしたかのように、クリアーな歌声でそこにいた。びっくり。テクノロジーの進化、恐るべし。
もう、個人的には、これだけでも感動であった。鳥肌がたった。ここまでリアルだとは!
この曲は、デモテープの時から聴いてたので、哀感のある曲であるのは知っていた。レノンの曲は、昔からメランコリックな味わいのある曲は多い。例えば「ラブ」や「オーマイラブ」のような。ビートルズ時代では「ガール」とか。
ビートルズ名義のナウアンドゼンもまた、物悲しい曲になっていた。これがビートルズ最後の新曲というセンチメンタリズムもあり、なおさら。
ファンはビートルズ最後の新曲という意義に、もの悲しさを感じたからなおさら。
また、ビートルズ最後のナウアンドゼンには、意外な箇所もあった。
デモテープにあったBメロのボーカル部分がカットされてたからだ。
デモテープのバージョンでは、ナウアンドゼンはAメロ、Bメロ、そしてサビの3パートのメロディーで出来ていた。
だがビートルズバージョンではBメロがなかったのだ。これは意外。
Bメロのパートは、転調して、フワフワ漂うような浮遊感と展開があった。
ある意味、その浮遊感はレノンの作風の特徴でもあった。
そのBパートが外されたのは、なぜだろう・・と最初は私は思った。
ファンの中では、そこに不満点を持った人もいた。
だが私は不満はなかった。意外ではあったけど。
なにせ、この曲の完成に主導権を持ち、なおかつこの曲をどうしても仕上げたいと長年思ってたのは、ポールだったからだ。ポールの中では彼の音楽人生の中では「やり残している仕事」だったはず。長年引っかかっていたはず。
そして忘れてはいけないのは、ポールはビートルズの当事者であると同時に、世界一のビートルズファンでもあるだろう・・ということ。
そして、レノン&マッカートニーの本人なのだ。
そんなポールが理由もなくBパートを外すわけがない。
天才ポールなら、レノンの残した未完成パートを仕上げるにあたって、多数の選択肢はあったはず。
凡人の私が思いつくだけでも、
1、レノンのデモのまま未完成パートを、例え音質が悪くてもあえてそのまま使う。
2、未完成パートの中の未完成歌詞の部分にポールが歌詞をはめこみ、Bパートをポールがなぞるようにメインボーカルとして歌う。ハードデイズナイトでは、曲の途中でメインボーカルがレノンとポールが入れ替わるパターンもあったではないか。
3、アティ゙インザライフのように、別のメロディパートをポールが作って、曲に加え、ポールがソロで歌う箇所を組み込む。
4、アイブガッタフィーリングのように、レノンのBパートのバックにポールの独自のメロディパートを作って、レノンのBパートに同時進行で歌って乗せる。
5、4に近いが、シーズリービングホームのように、レノンのBパートをバックコーラス効果にして使用し、ポールが別メロディを乗せて歌う。
6、レノンが、まだまとめきれなかったBパートをあえてカットして、Aメロディとサビの組み合わせにして、曲の構成をポップにわかりやすくして、リスナーが覚えやすい曲にする。レノンのデモのままのBパートの展開は浮遊感があり曲を広げる魅力はあるが、レノンはBパートをまだ完成しきれてなかった。
など咄嗟に凡人の私が思いつくパターンを書いてみたが、ポールは上記のどれでもないパターンで仕上げてきた。
ポールはレノンのBパートを完全カットなどしてはいないと私は思う。
ちょっと聴いただけでは、ポールはBパートを完全カットしたかのように聴こえるかもしれないが、ビートルズバージョンとレノンのデモバージョンをよく聴き返してみてほしい。
ビートルズバージョンのナウアンドゼンの間奏部分がポイントだ。
よく聴くと、ビートルズバージョンのナウアンドゼンの間奏のコード進行は、レノンのデモバージョンのBパートのコード進行をある程度尊重しているように聴こえる。無視はしていない。
もちろんデモバージョンのBパートのコード進行と全く同じというわけではない。
この曲の出だしのキーはAmである。それがデモバージョンのBパートのコード進行は、レノン特有の転調で、キーはEに転調してコード進行とメロディは流れてゆく。このくだりの転調は、レノンのソングライティングの個性でもあると思う。
その転調後のメロディの流れの浮遊感は、かなりのものだ。曲の出だしのキーであるAmからBパーㇳでEに転調するとはいっても、転調した直後のコードはEではなく、F'#m。Eに転調していながら、その転調部分の始まりのコードはキーのEではなくて、あえてF'#mである点に、曲の展開にインパクトと意外性をもたらしている。このへんのセンスは、さすがレノン。そしてBパートの後にはまた転調してサビに繋がる。サビパートのキーはビートルズバージョンのサビ部分と同じくGへの転調だ。
一方ビートルズバージョンの間奏部分はキーはCに転調して、コードは進行してゆく。デモバージョンのBパートとは違う転調だが、Cに転調後のコード進行の流れはデモバージョンのBパートのコード進行をある程度尊重した流れになっている。あ、もちろんそれはあくまでもCというキーの中での流れという意味だ。
具体的に書くと、ビートルズバージョンの間奏の前半部分は、レノンのBパートのコード進行の前半の流れと同じ。キーが違うだけで。
試しに、レノンのBパートの前半のメロディを、ビートルズバージョンの間奏部分の前半部に乗せて歌ってみてほしい。ピッタリ合うことに気づくだろう。
また、よく聴くと、ビートルズバージョンの間奏の前半部には、レノンのBパートのメロディが、ピアノでバックに隠し味的に流れている。このピアノを弾いてるのはポールだろう。これはもう良い意味での確信犯だと思う。
ポールは、レノンのBパートもちゃんと尊重していたのだ。これは声を大にして言っておきたい。
そして!ここは泣けるポイントなのだが、その間奏部分には、ポールはあたかもジョージが弾いたかのように、ジョージのプレイスタイルでスライドギターを弾いている。
ポールは様々な楽器をこなすし、ギターの腕前もかなりのもの。だが、ポールがこれまで弾いてきたギタープレイの中では、スライドギターのプレイはなかったと思う。少なくても私が知る限りでは思いつかない。
おそらくポールは、スライドギターは公式録音ではそれまでにあまりやったことはなかったのではないか。少なくても私は、それまでにポールがスライドギターを弾いてるのは見聞きした覚えがない。
スライドギターというのは、通常のギタープレイとは少々勝手が違う奏法だ。
やるからには、しかもビートルズクオリティーの完成度で弾くためには、それなりにスライドギターを練習したはず。
さらにしかも!そのスライドギターは、ジョージが弾きそうなスタイルて弾いていた。ジョージならどう弾くか・・・を考えながらフレーズを作ったのだろう。
それと、ビートルズバージョンのエンディング部分には、ジョージがヒア・カムズ・ザ・サンで使ったような変拍子も一瞬取り入れられている。
ポールは、もしジョージが健在なら、曲を仕上げるアイディアとして。こういう変拍子要素を取り入れるアイディアを提示してきただろう・・・と考えたのではないか。
レノンの作ったBパートのコードの流れをある程度活かすと同時に、ジョージにも出番を与えたい。ジョージの存在感も出したい。
レノンへの想い、ジョージへの想いも溢れている。もうこの世にいない2人への愛情とリスペクトが形となって、この曲に込められていると私は思っている。少なくても私は。
そんなポールの心情を考えると、泣けてくる。このへんに、嘘偽りのない、ポールのピュアな気持ちが出ている気がする。
また、ビートルズ名義で発表する以上、マッカートニーの創作部分も当然必要になる。ポールだけが許され、なおかつポールでなければいけない創作部分も加わってなければならない。そのへんも加味されている。
なってったって、くどいようだが、ポールは「レノン&マッカートニー」の本人なのだから。
ポールは音楽家として多くの人からリスペクトされ愛されてもきている。
私は音楽家としてのポールを尊敬すると同時に、仮に彼が音楽家じゃなかったとしても、そんなポールの人間性が大好きだ。
年齢を重ねるにつれ、そんな思いは強くなってきている。
それにしても、ビートルズ最後の新曲ナウアンドゼン。
曲の背後に様々な過去の記憶が交差し、浮かんできて、余計に切ない。
文章には「行間を読む」という要素があるが、ナウアンドゼンのビートルズバージョンには、行間を読むというより、音間を読むような要素を感じずにはいられない。
レノンさん、ナウアンドゼンがビートルズ名義で完成されて、よかったね。
本当に。
きっとポールもリンゴも安堵していると思う。ジョージだって、このレノンの歌声の音質には納得してくれるだろう。
ファンとして、その辺嬉しい。と同時に、ビートルズの最後の新曲であることが今更のように悲しい。
ビートルズを見届けた気がして。
そのプロモ映像を見ると、余計にその気持ちは強くなる。
反面、ビートルズの新曲を聴ける体験が出来てよかった。
私はビートルズをリアルタイム体験はできなかったから。
もしかしたら、ビートルズをリアルタイムで聴いてた人は、こんな気分で新曲を待ったり、受け取ったり、聴いていたりしたのかもしれない・・・そんな気にさせられた。
もちろん、60年代にリアルタイムでビートルズを聞いてた人たちの体験にはかなわないのだろうけれど。
まあ、それでも70年代にソロビートルたちの活躍はリアルタイム体験できただけでも幸せだったんだけど。
70年代のソロビートルたちの活躍すら体験できなかった人も増えてるのだから。
蛇足だが、ビートルズと同時代に活躍し、ライバル扱いもされていたローリング・ストーンズが最近新録音のニューアルバムを発表した。
時期を同じくしてビートルズも新曲が公開された。
このタイミング、改めてビートルズとストーンズの巡り合わせを感じてしまう。
我々はローリング・ストーンズをリアルタイム体験できている。
いずれはストーンズをリアルタイム体験できてたことを誇りたくなる時代もくるのかもしれない。
今回、ビートルズバージョンのこの曲が完成し発表にまで至ったのは、ポールが健在だったからこそだと私は思う。
ポールがこの曲への情熱を持ち続けてくれていたからこそ。
あまり考えたくないことだが、もしレノンとポールの立場が逆だったらどうだったろう。
ポールがとっくにいなくなってて、逆にレノンが健在だったら、レノンはポールの未発表曲や未完成曲をビートルズ名義で仕上げただろうか。
きっと、レノンもポールの未完成曲をレノン流に手がけたとは思う。レノンもまた世界一のビートルズファンであることは確かなはずだから。レノンもまた「レノン&マッカートニー」の本人であり、当事者でもあるわけだしね。
だが、アンソロジーの時には1度お蔵入りになった曲を、その後何十年も諦めずにいてくれただろうか。それは誰にもわからない。
仮に完成させてたとしても、今回とは違う形での完成形や発表時期になったとは思う。
現実としては、時の経過と共に人がいなくなってゆくのは仕方がないのだが、ビートルズのメンバーでまだポールが健在で、なおかつ音楽活動を続けていてくれてることは、ビートルズファンにとっては、せめてもの救いであり、慰めでもあり、かすかな希望ではあると思う。
ちねみに・・レノンを射殺した犯人は、ターゲットとしてボブ・ディランやポール・マッカートニーも候補にしていたらしい・・という話を私は耳にしたことがある。
特にディランなんて、あの犯人と共に写った写真まであるらしい。あの犯人は、ディランに対してストーカー行為をしていたこともあったらしい。
レノンが射殺されただけでも、未だに世界の音楽ファンは喪失感を味わわされてるというのに、ポールやディランまで狙われてたと思うと、ゾッとする。
ディランがプライバシーを明かさず、慎重になったり用心深くなるのは当たり前だと思う。
ともあれ、ナウアンドゼンのビートルズ名義のバージョンを聴いてると、レノンの歌声はやはり切ない。
今年のレノンの命日は、この曲の「音間を聴く」ようにしながら、彼を偲びたい。
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