時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

高校時代のグループのアルバム

2019年11月22日 | 自主制作アルバム

 

 

高校時代、私は3人組のフォークグループを組んでいた。

基本的に編成は3人ともギターだった。

3人とも、元々家で自作曲を作り、弾き語りをしていたメンバーだった。

それぞれ自作曲を、いつかバック演奏つきで演奏したいと思っていた。

やがて、そんな3人が組んで、ひとつのグループを作ろうということになった。

 

3人はそれぞれ、それまで作りためた自作曲をカセットに録音し、自作曲によるオリジナルカセットアルバムみたいなものを作っていた。

で、1枚カセットアルバムが完成すると、メンバーそれぞれに貸し合い、聴き合い、感想などを語り合っていた。

オリジナルカセットアルバムを作って、それを聴いてくれる人がいて、感想も聴ける・・そんな状況は、自作曲を作る上での大きなモチベーションになっていた。

自分が作るのも楽しければ、他のメンバーの新作を聴くのも楽しかった。

私にとっては、理想的な状況だったと思っている。

 

メンバー全員自作曲を作っていたので、いざグループを組んでもレパートリーには全く困らなかった。

むしろ、すでにできている互いの自作曲の中からどれをグループに持ち込むか、どれをグループのレパートリーにするかを選ぶのは、実に楽しかった。

 

そんな状況下でグループを組むと、自然発生的に、そのグループでカセットアルバムを作ろうということになった。

自然な流れだった。

 

全員自作曲を作っているメンバーによるグループのオリジナルカセットアルバムを作るからには、収録曲は全曲メンバーの自作曲。

カセットは45分テープだったので、収録曲の数には限りがあるし、そのためには曲をチョイスしていかねばならない。

なるべく収録曲の数は、3人のメンバー均等にしたかったが、グループに持ち込む曲は、作者が自身で納得できてる曲にはしたい。

もちろん、メンバーの推薦や希望も反映して。

そのグループのメンバーは、私、I君、そしてK君の3人。

幸い私とI君は、グループに持ち込でんでもいいと思える自作曲の数は豊富にあったのだが、K君は私やI君ほどのストックはなかった。

なので、アルバムに収録した自作曲は、私の曲が4曲、I君の曲も4曲、そしてK君の曲は3曲・・という構成になった。都合、全11曲のアルバムで。

 

前述の通り、メンバー3人は基本的に皆担当はアコースティックギターだったが、いざアルバムを作るとなると、アコギのバッキング(ストローク、アルペジオ、スリーフィンガーなど)だけじゃ物足りなくもなった。

なので、曲によっては、誰かがアコギでリードギターを弾き、誰かがエレキでバッキングしたり、誰かがベースにまわったり、誰かが効果音みたいな音を入れたりした。

もし鍵盤があったら、慣れない手つきで簡単な鍵盤フレーズを弾いて、導入したかもしれない。

また、ギター以外でも、ハモリを入れたり、かけあいボーカルをやったりもした。

 

それ以外でも、通常はボーカルをとるのはその曲の作者ではあったが、曲によってはK君の作った曲を私が歌ったり、私の作った曲のリードボーカルをI君に任せて私はハモリに徹したりもした。

このへんは、弾き語りでは出来ないことであり、グループでなければできないことだった。

そう、普段の弾き語りではできないことを皆、やりたかったのだった。

まさに、グループならでは!という感じで、録音は本当に楽しかった。

 

アルバムを作る前に、収録する曲の曲順は決めてあったので、録音は曲順通りにやった。

 

録音は、K君の家のK君の部屋で行った。というのは、K君の部屋が一番広かったからだった。

私の家の私の部屋は6畳もないスペースだったし、I君の部屋は4畳半くらいしかなかったと思うので、畳10畳分くらいの広さがあったK君の部屋に皆が集まり、練習したり録音したりした。

 

で、一通り全収録曲を録音し終わり、アルバムテープが完成。

こうなると、ジャケットも考えたいということになった。

高校の同クラスに写真部のS君がいたので、S君に頼んで我々3人グループの写真を撮ってもらうことになった。

で、S君を連れて我々3人グループは外に繰り出し、あれこれ写真を撮ってもらった。

よくプロのバンドがやる、フォトセッションだった。3人が思い思いにポーズをとり、3人編成のグループらしいスリーショットを何枚も。

たしか、写真撮影だけの日を設けたと思う。

ちなみに、このフォトセッション体験は、アマではあっても初めての体験だったので、かなり強烈に印象に残り、その何十年も先の未来で私が個人名義で自主制作アルバムを作った時にも、そのブックレットの中に影響を残すことになった。

 

 

・・・ともあれ、こうして45分カセットによる我々のグループのアルバムは完成。

 

 

当時、カセットからカセットにダビングできる「ダビングカセットデッキ」は誰も持っていなかったので、アルバムカセットのコピーは作れなかった。

そこでそのカセットアルバムはメンバーに順繰りに貸しだされ、一定期間聴いたら、他のメンバーに貸し、メンバー全員が聴き終わったら、メンバー以外の友人たちに貸しだされ、聴いてもらった。

中には、カセットを聴いた感想文を書いてくれた女の子もいた。

 

なんといっても、皆で協力しながら一枚のアルバムを作る楽しさを知った私たちは、続くセカンドアルバムやサードアルバムも作ることも考えた。

 

私は前述の通り、グループに提供できる自作曲の数だけは豊富にあったので、1枚のアルバムで自身が提供する分担曲が3~4曲であることを考えると、向こう数作分くらいの自作曲はいつでも提供できる状態だった。

実際、セカンドアルバム用に自分が提供する曲はすでに決めてあったし、曲そのものは完成もしていた。

当時としては、自作曲の中でもお気に入りの曲ばかりだった。

 

以前にソロで弾き語りでカセットアルバムを作って、メンバーに聴いてもらってあった曲の中から比較的評価の高かった曲を選んであった。

 

他のメンバーであったI君やK君の自作曲に関しても、私はI君やK君のソロカセットアルバムの中から「この曲とあの曲がいいんじゃないか?」などの提案もしていた。

 

 

だが・・・その後私は色々な事情でそのグループを離れることになり、大学に進学して音楽サークルに入ってからは、サークル内でロックバンドを組み、高校時代のグループとの関係は途切れた。

大学に進学して新たに組んだバンドに満足していたから・・というものあった。

 

だが・・今になって思うことは、高校時代のグループであと2枚くらいはカセットアルバムを作っておきたかった気はしている。

なにより、セカンドやサード用にキープしていた曲は、そのままになってしまったから。

いや、厳密には、セカンドに用意していた3曲は、その後大学時代に、サークル内での自己紹介や、文化祭などで弾き語りライブで人前で1回づつ披露したが、元々バンドやグループでやりたかった曲だったので、弾き語りでははなはだ満足できず、その後私の中で封印されることになった。

また、サード用に用意していた曲のうち1曲は、大学の学園祭でバンド形式で披露することができたが、発表はその1回こっきり。

それらの曲は、どうにも未消化な思いが自分の中にある・・。

 

一方・・そのグループで私が参加した「たった1枚のカセットアルバム」に収録した私の4曲に関しては、そのうち2曲はすでに「埋もれた自作曲の蔵出しシリーズ」で歌ったことがある。

 

当時のそのカセットアルバムの中では、私のある1曲は、当時としては珍しかったメジャーセブン系のコードの響きを全編に出した曲で、私はファルセットで歌ったはず。

もう1曲は、メルヘンチックな曲だった。作者自身としてはテレくさくて、当初は収録に及び腰だったのだが、人に勧められて収録。

一方、残り2曲は、完全に埋もれたままであり、今のところ「蔵出しシリーズ」でも歌う予定は・・・ない。今となっては、あまりに古臭い感じの曲に思えるからだ。

 

 

まあ、なんにせよ、近年私が自主制作アルバム「空を見ていた。」を作った原点は、学生時代(中学から大学まで)にひとりで作っていたカセットアルバムと、高校時代にグループで作ったカセットアルバムの存在だと思う。

そのジャケットも。

 

ちなみに・・その高校時代にグループで作ったカセットアルバムは、今では誰の所にあるのか不明。

仮にあったとしても、何十年も前のカセットが今でも無事に聴ける状態にあるとは限らない。

高校時代に、カセット同士をコピーできる「ダブルカセットデッキ」を持っていたら、そのアルバムのコピーを作っておいたのに・・。

それを考えると、今でも残念でならない。

 

今・・・あのアルバムは、どこにあるのだろう。というか、今でも現存してるのだろうか。

 

 

 

なお、写真は、私の自主制作アルバム「空を見ていた。」の裏ジャケット候補になっていた写真の中の1枚です。

最後まで迷ってました。

今にして思えば、裏ジャケットの写真は、この写真でも良かったかな・・なんて思うことがあります。

私の自主制作アルバムをお持ちの方は、そのアルバムの裏ジャケットの写真が、この写真であった場合を想定してみるのも一興かもしれませんね(笑)。

まあ、制作当時は、それなりの意味あいがあって、現行の裏ジャケットにしたわけですが。

 


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Ayu)
2019-11-22 20:42:50
旅行のブログランキングからきました。
なんの写真か気っになり見てしまいました、
幻のジャケット写真だったんですね。
返信する
Unknown (だんぞう)
2019-11-22 20:56:43
Ayuさん、はじめまして。
時間の外に、ようこそ。

そうなんです、この写真は、私が自主制作アルバムを作った時の、裏ジャケットの候補の中の1枚でした。
写真内の手前の方には、柵に立てかけたギターケースが写ってます。
暗くて少しわかりづらいかもしれませんね。

曲がりくねる川を高台から見下ろす感じの写真になってます。
返信する
Unknown (鮎川愛)
2019-11-23 09:54:28
本当に楽しそうな様子や雰囲気が伝わってきます。


だんぞうさんは、アマチュア・ミュージシャンとしても早熟でしたね。


カセット・アルバム・タイトルは何だったのですか?

惜しいことは、セカンド・サードと制作しておくべきでしたね。


そうすれば、だんぞうさんは、他のメンバー楽曲も含まれるとは言え、今現在も抱いてらっしゃる夢、既に「三部作」を完成したことになりますね。


ところで待望のファースト・アルバムCD裏ジャケット、モノクロにする予定だったのですか?


私は、だんぞうさんのアルバムを持っていますので、現物と見比べて、いろいろな想いが巡ってきます。


表ジャケットがカラーだから、裏ジャケットはモノクロでも良かったかもしれませんね。


そして、だんぞうさん、河川を始めとする水辺が大好きなんだ…ということも(笑)


私もミシシッピ河など、雄大に滔々と流れてゆく水は大好きです。
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Unknown (だんぞう)
2019-11-23 16:07:05
高校時代のフォークグループのアルバムタイトルは、うろ覚えですが「○○○ファースト」という、シンプルなものだったと思います。
○○○は、グループ名です。

まあ、色んな事情で私はそのグループを離れてしまいましたから、セカンド以後はムリでした。

私が自主制作アルバムを作った時に考えた3部作は、高校時代のグループとは無縁でしたよ。曲も内容も。

私の自主制作アルバムの裏ジャケットは、モノクロにするという案もありました。
実は表ジャケットもモノクロ、、、というか、セピア色にするという案もありました。

ドブ川は嫌ですが、そうじゃない川は、色々イマジネーションを刺激してくるると思ってます。
返信する
Unknown (鮎川愛)
2019-11-24 14:57:43
『○○○ファースト』カセット・アルバムが今、どこにあるか…?

それは誰も知らない…。


「青春時代の思い出」らしく、それも本当に美しいですね。


だんぞうさん始め、メンバーの皆さんは、「現存して、誰かが持っていてほしい」と思われるでしょうけれどね(笑)
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Unknown (だんぞう)
2019-11-24 18:08:56
今聴くとアラばかり気になるかとは思いますが、何十年も聴いてないので、聴いてみたい気はします。

収録曲は、私の曲はもちろん、他のメンバーの曲も、ある程度は今も覚えてますし、曲の一部はまだ歌えます。
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