ギターを弾く人の中では、ウクレレも持っているという方は多いだろうと思う。
ウクレレは、ある程度ギターの応用で弾ける楽器。
もちろん、ギターとウクレレは別の楽器である以上、ウクレレにはウクレレの役割やアプローチ、効果などがあり、ギターとは違った奥の深さはある。
その一方で、気軽にアプローチできそうな雰囲気もあって、それはウクレレの大きな魅力である。
ウクレレと言えば、ハワイアンと一緒にイメージされることが多いが、こと日本人に限って言えば、ハワイアンに負けないくらい「ウクレレと共にある」イメージとして浸透していたのが、なんといってもマキシンこと、牧伸二さんであろう。
日本人にウクレレを広めた張本人の1人であることは間違いない。
その牧さんが・・・亡くなられてしまった。
ビックリすると共に、ショックだった。
私は幼い頃から牧さんの演芸をテレビで見ていたし、時にはウクレレ関係のムックで牧さんのインタビューを目にすることもあった。
牧さんがマーチンのウクレレを愛用していることを知った時は、マーチンギターを愛する私としては、更に親近感を持ったもんだった。
子供の時、私は、牧さんと林家三平さんが大好きだった。
芸風は全く違うのに、私はお二人に共通するものを感じていた。
共通するもの・・・それは、子供時代には、それが何であるか漠然としていたが、大人になって、お二人に「共通するもの」が何であるかが分かった。
それは、大人だけでなく、子供たちにも人気絶大であった・・ということだった。
当時も人気絶大な芸人はたくさんいたが、牧さんと三平さんはどちらも庶民的で、子供にも分かりやすくて親しみやすい芸風だったのだ。
だから、お二人のファン層は実に幅広かったと思う。
牧さんと言えば、私が一番忘れられないテレビ番組としては「大正テレビ寄席」があげられる。
番組内の1コーナーに「バーゲン」的なコーナーがあり、牧さんが「♪バ~ゲンだよ~~」と歌って始まるコーナーだった。
商品がステージに出てきて、お客さんが実際にお金を払ってその品を買うのだが、そのバーゲンの魅力は、何より「オマケ商品」が凄くて、買ったお客さんは必ずお金以上の品物を持ってかえれるコーナーだった。
はっきりいって、そのオマケが楽しみだった購買者は多かったはず。
しかも半端なくお得なオマケだった。
なので、ずいぶん太っ腹な番組にも思えたし、なにやら番組スポンサーまでも太っ腹に思えた。
その番組内での牧さんは、とっても暖かい方のように思えた。
お客さんを大事にし、お客さんに喜んでもらうのを何よりも喜びに思う、そんなサービス精神旺盛な芸人さんに思えた。
私が最初にウクレレを入手したのは、高校の頃だった。
ギターですら高額なギターを変えなかった当時、ギター以外のウクレレにまで手を出した時は、超安モノにするしかなかった。
その時買ったウクレレは、3000円クラスのものだったと思う。
で、ウクレレを楽器屋で手にした時に、条件反射のように弾いてしまったのが、牧さんの「あ~やんなっちゃった」だった。
考えて惹いたのではなく、無意識のうちに出てしまったのだった。それほど、牧さんの「なんちゃって節」は私の中に染み込んでいたのだろう。
おそらく、ウクレレを初めて弾いた時に牧さんの「やんなっちゃった節」をつい弾いてしまった方は多いのではないだろうか。
少なくても、日本人で、ウクレレを持った人の中で、牧さんの「なんちゃって節」を弾いたことがない人は・・・少ないんじゃないかなあ。
それほどあの曲は日本人に染み込んでいると思う。
時代がLPからCDの時代になって、色んなコンピレーションアルバムが世に出た。
私も、何種類ものコンピレーションアルバムを買ったが、コミックソングを集めたオムニバスアルバムの中では、しっかり牧さんの曲も入っていた。
「なんちゃって節」のイメージが強い牧さんだが、案外それ以外にもあれこれ挑戦してたことが分かる。
子供の時・・・・牧さんに親しみを持ってテレビを見てた時・・・・牧さんがああいう最後を迎えるなんて、予想すらできなかった。
なんでも、牧さんはあまり人とつるまず、孤高なところがあったという。
それが・・・そういうのが牧さんの心底にあったから、ああいう最後になったのだろうか・・というか、ああいう最後を選んでしまったのだろうか。
そう思うと、切なくて、やりきれない。
牧伸二さんのご冥福を・・・心から、心からお祈りいたします。
お疲れさまでした。
子供の頃から好きな芸人さんでした。
暖かく、軽妙で、とぼけながらも、庶民的で親しみやすく、分かりやすかった、その芸風は忘れられないでしょう、いつまでも。
いや・・
忘れません。
こんな訃報・・・・あ~やんなっちゃった・・・ですよ、牧伸二さん。
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