ファブフォー 70年代(架空の70年代ビートルズアルバム)
ビートルズのメンバーたちは、解散してからも、70年代は意欲的に作品を発表していた。
特に70年から74年までは、どのメンバーもソロで活躍していた。
メンバーによっては、ビートルズ時代以上に輝いたこともある。
ただ、ジョンだけは75年にカバーアルバム「ロックンロール」を発表した後は、主夫活動で家庭に入ってしまい、音楽活動を中断してしまった。
だが、そのジョンとて、74年までは意欲的にオリジナル曲のアルバムを発表し続けていた。
そこで、「もしも」の遊びをやってみる。
もしもビートルズが解散しないまま、70年代に入っても活動を続けていたら、70年代はビートルズはどういう内容のアルバムを発表したことになるだろう。そのアルバムはどういう収録曲になっただろう。
それを、70年代に入ってからの4人の年度ごとのソロアルバムの収録曲から考えてみようと思った。
まあ、これは私の「遊び」である。
ここで選ぶのは、それぞれのソロアルバムの中から選曲したものだが、もちろん現実には4人が一緒に活動していたわけではない。もしも4人が一緒に活動していたら、全然違う曲が生まれた可能性だってあるし、逆に生まれなかったり、完成しなかった曲だってあったかもしれない。それだけは誰もわからない。なので、その点は、ここではあえて考えないことにした。あくまでも現実に発表された4人のそれぞれの曲から考えてみた。
とりあえず、ジョンがオリジナル曲の発表を続けていた74年までの、4人の「幻の70年代ビートルズ」のアルバムを考えてみた。
1年1作・・という仮定で。
収録曲は、基本的にはその年に発表された曲を、各年代ごとのアルバムに収めることにするが、曲によっては発表時期の多少のずれ込みもあることはご容赦願いたい。
というのは、年によっては1枚もアルバムを発表してないメンバーもいるからだ。
一応、4人がそれぞれボーカルをとる曲を、どのアルバムにも散りばめたいから。
その場合、「前年までに発表できた曲だが、翌年のビートルズ名義アルバムに収録するためにキープしておいた」・・という設定で。
ちなみに、私は70年代のソロビートルたちの全てのアルバムを持ってるわけではないし(例えばリンゴのアルバム)、持ってても内容の記憶が薄れているアルバムもある。
一応この記事を書くにあたって、記憶が多少薄れてきてる曲に関しては、ネット検索で聴ける曲は改めて何度か聞き直してみたのだが、数曲迷いのある曲もある、、、ということは白状しておきたい。
一応アルバムタイトルもつけたいが、オリジナルのアルバムタイトルを私がつけるのは、おこがましすぎる。そこで、4人がその年に発表したソロアルバムタイトルや、曲名のどれかを選び、アルバムタイトルにすることにした。
ビートルズのアルバム「レットイットビー」や「サージェントペパーズ」「マジカルミステリーツアー」が、収録曲の1曲をアルバムタイトルにしていたように。
なお、場合によっては、オリジナル曲ではなく、カバーによるボーカル曲も収録。
リンゴなどはカバー曲で大ヒットをかっ飛ばしてるので、それを収録しない手はない。
また、ビートルズ時代、ジョンはアルバム最後を飾る曲を担当することに強いこだわりを持っていたように思う(もちろん、そういう曲の配列になっていないビートルズアルバムもあるが)。
そこで、基本的にはアルバム最後の曲はジョンの曲にしてある。
それと。ビートルズはそのオリジナルアルバムの1曲目にはロックンロール曲をまず配置することが多かった(「レットイットビー」は例外)ので、基本的には、この「遊び」でも1曲目はなるべくそういう配置になるように心掛けた。
では、行ってみよう。
アルファベットは、ボーカリスト。
J=ジョン P=ポール G=ジョージ R=リンゴ
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~幻の70年代ビートルズ・ディスコグラフィー~
●1970(ジョージ、大爆発)
この年は、リアルなビートルズ解散があった年。解散直後にジョージが、それまで作りためていた曲を一気に放出。レノン・マッカートニーのコンビに勝るとも劣らないソングライターになったジョージのキラ星のごとき名曲がズラリ。輝くジョージ、圧巻の晴れ姿。ここでのジョージはむしろメインのソングライター的存在感を誇る。
アルバムタイトルは、ジョージが実力でつかみ取った感じか。
このアルバムでのリンゴはカバー曲。
ジョンは赤裸々で心に染み込むような、聴きごたえがあってズシンとくる重みのある曲が並び、存在感たっぷり。
一方、ポールはややおとなしめか。ただ、そのポールも「恋することのもどかしさ」や「ジャンク」で意地を見せてはいる感じ。「ホットアズサン」は、本来ビートルズ名義のアルバムのタイトル曲候補でもあったので、それに敬意を表して一応ここでも選んでおいた。
だが、この配列だとアルバムが始まって中々ポールの歌声による曲が登場してこないことになるので、それに発売会社側が難色を示した場合、ポールの「エブリナイト」か「テディボーイ」という曲への差し替えもありか。
ちなみにジョンの「神」という曲の歌詞には「僕はビートルズを信じない」という歌詞があり、それをビートルズ名義のアルバムに収録するのはどうかとも思ったが、あえて「曲のグレードの高さ」を考え、収録。
また、ジョンの「コールドターキー」という曲は69年発表だったので、ここでは一応外しておいた。というのは、それに頼らなくても、70年発表のジョンの曲に良い曲が多いから。
「オールシングスマストパス ビートルズ」
1、美しき人生 G
2、マザー J
3、ホットアズサン(もしくは「エブリナイト」) P
4、センチメンタルジャーニー R
5、オールシングスマストパス G
6、ラブ J
7、恋することのもどかしさ P
8、イズントイットアピティ G
9、インスタントカーマ J
10、 ジャンク P
11、 マイスイートロード G
12、 神 J
●1971年(ジョン、代表作登場)
この年は、ジョンが代表曲ともいえる「イマジン」を発表した年。ここは問答無用で、ジョンの曲をアルバムタイトルに。この曲がアルバムタイトルなら、他のメンバーは納得するしかないのでは。
ジョージは、バングラデシのチャリティコンサートを大成功させ、そのライブアルバムを発表。ジョージは前年の大爆発の勢いをまだ残している。前年1970年のビートルズアルバムに入りきらなかったジョージの「オールシングスマストパス」からの曲も、こちらに収録。
ポールも地道に良い曲を発表してるが、いかんせんジョンが代表作的な曲を発表してるので、ジョンに押されぎみか?ジョンが5曲で、ポールが3曲では、ポールとしては納得いかないかな・・。
その場合はジョンの「オー・ヨーコ」を、ポールの「バックシート」と入れ替えか。
ちなみにリンゴも、しっかり自作曲でヒットを飛ばし、めでたしめでたし。
「イマジン ビートルズ」
1、出ておいでよお嬢さん P
2、ジェラスガイ J
3、バングラデシュ G
4、明日への願い R
5、オーマイラブ J
6、アナザーデイ P
7、ビウェアオブダークネス G
8、オーヨーコ J (もしくは バックシート P)
9、アンクル・アルバート P
10、 パワートゥザピープル J
11、 ワーワー G
12、 イマジン J
●1972年(この年にアルバム発表したのはジョンのみ)
アルバムはジョンが「サムタイムインニューヨークシティ」を発表したが、他の3人のオリジナルアルバムは無し。そういう意味では、ジョンの孤軍奮闘状態か。
ジョージの曲は、それまでのストックの中から、数曲をこちらにまわした。まあ、「オールシングスマストパス」は3枚組のアルバムだったので、そのへんはメンバーにも納得してもらうしかない。
ポールの収録曲はシングル盤中心。この頃のポールのヒット曲は、シングルのみでオリジナルアルバムには収録されなかった曲が多い。どれもそこそこのヒットにはなったが、大爆発というほどではなかった印象。
ちなみに、リンゴもオリジナル曲でヒットを飛ばし、しっかり枠を確保。
ジョンのスタンダードナンバー「ハッピークリスマス」も、このアルバムにしっかり収録しておく。
楽曲の出来や知名度や人気的には「ハッピークリスマス」はアルバムタイトルにもしたいくらいだか、それをタイトルにすると、クリスマスアルバムと勘違いされそうなので、この年唯一のソロビートルのアルバムである「サムタイムインニューヨークシティ」をアルバムタイトルにしておいた。
ビートルズはイギリスのバンドなので、そのアルバムタイトルには、やや葛藤もあったのだが、、、。
珍しく、カバー曲「ラブ・イズ・ストレンジ」を歌うポールも収録。ただ、ポールの曲がカバーだなんて・・と判断される場合は、「トゥマロウ」への差し替えもありか。ただ、「ラブ・イズ・ストレンジ」は当初シングルカットの予定もあったらしいので、とりあえず「ラブ・イズ・ストレンジ」をここでは入れてみた。
ちなみに、「ラブイズストレンジ」「トゥマロウ」などを含むポールのウイングス名義のアルバム「ワイルドライフ」は71年発表。だが、年末の発表だったので、ここでは便宜上72年のビートルズアルバムに入れてみた。
「サムタイム・イン・ニューヨークシティ ビートルズ」
1、ハイハイハイ P
2、女は世界の奴隷か J
3、アイド・ハヴ・ユー・エニータイム G
4、バック・オフ・ブーガルー R
5、ラブ・イズ・ストレンジ(もしくは「トゥマロウ」) P
6、ラックトゥジアイリッシュ J
7、ア・ウェイティング・オン・ユー・オール G
8、メアリーの子羊 P
9、アップルスクラップス G
10、 ニューヨークシティ J
11、 アイルランドに平和を P
12、 ハッピークリスマス J
●1973年(大豊作。特にリンゴはピークだったかも)
この年は圧巻。4人全員がオリジナルアルバムを発表し、どれもヒット。
特にリンゴはソロとしては絶頂期だったかもしれない。オリジナル曲でもカバー曲でも大ヒットをかっ飛ばした。
そこで、そんなリンゴのキャリアに敬意を表して、アルバムタイトルもオープニング曲もリンゴの曲にしておいた。絶頂期を迎えたリンゴに花を持たせてあげるなら、ジョンもポールもジョージも仲間として納得してくれるでしょう。リンゴにも栄誉を。
余裕があれば、もう1曲リンゴ枠を設けて「オー・マイ・マイ」も収録したいところだ。
なお、このあたりから、ヒットメーカーとしてのポールが本領発揮してくる。ついに来た!なんてったって「マイラブ」と「死ぬのは奴らだ」の揃い踏みは大きい。
4人のビートルたちが、もっとも力を拮抗させた、奇跡のような年のアルバム。
オープニングをリンゴの大ヒット曲が飾り、ポールは「マイラブ」「死ぬのは奴らだ」という2大ビッグヒットを揃え、ジョージも「ギブミーラブ」で確実にヒット曲を提供して存在感を示し、ジョンが「マインドゲームス」というヒット曲でラストを決める。
気持ち、この年はさすがのジョンも他のメンバーの前で多少は「むむむ・・おいおい皆、やってくれるぜ」という感じ??でも、ラストはしっかりヒット曲で締めて意地をみせている展開。
「アイスマセン」は、この記事を書いてる私が日本人だから選んだ曲(笑。そのへん、あいすいません(汗)。
ちなみにジョージの「トライ・サム・バイ・サム」は、「ミス・オーデル」という曲に替えてもいいかも(個人的に大好きな曲だったので)。
「思い出のフォトグラフ ビートルズ」
1、 思い出のフォトグラフ R
2、 マイラブ P
3、 アイスマセン J
4、 ギブミーラブ G
5、 ビッグバーンベッド P
6、 リビングインザマテリアルワールド G
7、 ユア・シックステイーン R
8、 愛しのヘレン P
9、 アイノウ J
10、 トライ・サム・バイ・サム(もしくは「ミス・オーデル」)G
11、 死ぬのは奴らだ P
12、 マインドゲームス J
●1974年
ポールが「バンドオンザラン」を発表したのは実際には73年の末期。なので、便宜上、「バンドオンザラン」の収録曲は74年名義のアルバムにまわしてみた。73年あたりから、ポールはその持ち前の才能をソロでブレイクさせていく。「バンドオンザラン」「ジェット」の2大ビッグヒットで、ポールの怒涛の快進撃。
リンゴの「グッドナイトウィーン」は、ジョンが作った曲。
そのジョンも、しっかりヒット曲「#9ドリーム」「真夜中を突っ走れ」を生みだし、ポールに対抗(?)。
ジョージも地道ではあるが、特にポールの派手さの前では、やや地味目かな。
「バンドオンザラン ビートルズ」
1、バンド・オン・ザ・ラン P
2、#9ドリーム J
3、ダークホース G
4、オンリーユー R
5、ミセスバンデビルト P
6、スティール・アンド・グラス J
7、ディン・ドン G
8、グッドナイトウイーン R
9、ピカソの遺言 (もしくは ジュニアズ・ファーム)P
10、 愛の不毛 J
11、 ジェット P
12、 真夜中を突っ走れ J
●1975年~80年(ジョンの新作は80年までないので、75~80年というくくりに)
75年発表のジョンの「ロックンロール」というアルバムは、カバーアルバム。ビートルズ名義なら、ジョンにはやはりオリジナル曲も入れてほしい。そこでやむなく、選択範囲を、ジョンが活動再開する80年までのばしてみた。
リンゴのアルバムでは、ジョンやポールやジョージが提供した曲もあるが、あえてこのリストでは、ヒットした曲をセレクトの中心にしてある。
ポールはもはや安定感のあるヒットメーカーぶりを発揮し、ヒット曲を連発し続ける。
円熟の境地でバンドを牽引。
ジョンが新曲を発表していなかったせいもあり、その分ポールの曲が多数並ぶ。実際ポールのヒット曲は多かったので、このアルバムはどうしてもポール中心になる。
60年代後半のビートルズでもポールは創作活動が絶好調だったが、70年代ビートルズがあったとしても、70年代後半ビートルズでは大活躍したことだろう。
ちなみに、私はジョージの「2人はアイラブユー」も大好きだった。どこかポールにも通じるような、ポップな曲だった。
なお、ポールのクリスマスソング「ワンダフルクリスマスタイム」も、ボーナストラックとして収録するのもありか。
「夢の旅人 ビートルズ」
1、ビーナスアンドマース~ロックショウ P
2、2人はアイラブユー G
3、スタンドバイミー J
4、幸せのノック P
5、ロックは恋の特効薬 R
6、心のラブソング P
7、スターティング・オーバー J
8、しあわせの予感 P
9、あの娘におせっかい P
10、 ギターは泣いている G
11、 夢の旅人 P
12、 ウーマン J
(更に、ボーナストラックとして、ワンダフルクリスマスタイム P)
とまあ、こんな遊びを考えてみた。
最後の75年~80年までの作品を1くくりにするのは、やはり少しキツイかも(笑)。
ジョンが音楽活動を休止していた以上、ほとんどポールの独壇場になるのは、無理もないか。
ジョンが80年に悲劇の最後を迎えることを考えると、その前の空白の5年間がもったいなくてしかたない。だが、それは結果を知っている我々だからそう思うのだろう。
ジョンとて、まさか80年に自分の人生が終わるだなんて夢にも思っていなかったはず。
それにしても・・・こうして年代ごとに並べてみても、仮にビートルズが70年代にも存続していたとしても、少なくても1974年までは収録曲にはメンバーそれぞれにヒット曲が多い。どのアルバムからもヒット曲や名曲が何曲も生まれたことになる。
メンバー全員が、精力的に新作を発表していた賜物。
つまりビートルズは70年代にも、少なくても中盤までは毎年名作を発表できたことになる。
思えば、60年代ビートルズは、前半ジョンが引っ張り、後半はポールが引っ張った印象を私は持ったことがある。
この記事を書いてふと思ったのだが、仮に・・仕切り直しの70年代ビートルズがあったとしたら、やはり前半はジョンが引っ張り、後半はポールが引っ張ったのかもしれない。
さらに、70年代ビートルズが60年代ビートルズと違っていたのは、ジョンとポールの他にもう1枚、しっかりとジョージが最初から加わったこと。
そう、70年代ビートルズのアルバムは、いきなりレノン・マッカートニー・ハリスンの3人のソングライター体制で始まったことになる。これは強力。
そして、リンゴにしても、しっかり中盤にピークを迎えていたこと。
その意味じゃ、むしろ60年代より、よりパワーアップしたビートルズが70年代にはあったのかもしれない。
個々の創作活動にサイクル(?)というものがあるのだとしたら、、仮に80年代ビートルズもあったとしたら、60年代と70年代に引き続き(?)、、前半はジョンが引っ張り、後半はポールが引っ張ったのかもしれない・・・なんて思ったりすることが私にはある。
現に、80年代に入ったとたん、ジョンは再び音楽活動を再開したし。
そう考えると・・・やはり、80年代初頭にジョンが悲劇の最後を迎えてしまったのは、あまりに悔しいことではあるし、悲しく寂しいことではある。
ついでに言えば、「仮のビートルズ」であっても、ジョンが他界してしまった80年以後の新作というのは、正直、いくら「遊び」でも考えられなかった。
きっとジョンは、もしも生きてたら「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラブ」「グロウ・オールド・ウィズ・ミー」などは提供したのだろう。もしかしたら「ナウ・アンド・ゼン」も。
彼の頭の中には、きっと「作りかけ」の曲の断片はいくつもあったことだろう。
また、80年に復帰して、再びやる気になっていたと思うので、その後次々とまた良い曲を生みだしていってくれた可能性は高い。
また、この記事を書いてて改めて思ったことは、ポールの多作ぶりと、安定したヒット量産のペースは驚異的としか言えない・・ということを再確認する結果になった。
ともあれ、あれこれ妄想を書いてきましたが、私の「70年代のビートルズ幻想」にお付き合い下さり、感謝します。
上記のリストに、異論がある方もいらっしゃることでしょう。
まあ、そのへんは私の趣味の独断と偏見にもとづく「遊び」であるということで、どうかご容赦を。
レノンが活動休止したからです。
この記事を書いてて改めて再認識したのは、1973年というのは、幸せな年だったんだなということ。
メンバー全員がニューアルバムを発表し、充実した作品が出揃ったからです。
解散直後にソロ活動が危ぶまれたリンゴが、ヒットシングルを連発したからです。
その結果、4人の力が拮抗し、全員の才能が輝きました。
もし70年代もビートルズが存在してたら、この年は最高傑作アルバムを発表したかもしれないです。
それにしても、今さらながら、殺される前の数年間レノンが活動休止だったのが残念。
いや、それ以上に、活動再開し始めた時に殺されたのが悲しいです。
実際に『企画アルバム』として編集していただきたいほど(笑)
ビートルズ解散後、彼らのアルバムは、ジョン・レノン以外、私も持っていないアルバムが多く、初めて聞く楽曲タイトルも多いです。
ポール・マッカートニーは、バンド志向が大変強いミュージシャンですから、ビートルズが70年以降も存続していたら、だんぞうさんによる編集通りになっていたかもしれませんね。
ジョージ・ハリスンは、ビートルズ時代も、ソロとしても、1人でパフォーマンス出来る楽曲が多いですね。
ジョン・レノンは、グループとして、ソロとして、どちらでもパフォーマンスしやすい楽曲が混合していますね。
グループ解散後、彼ら4人は、ソロ楽曲(アルバム)を発表する度に、「昔の、いつもの3人が加わったら、どういう編曲・構造になっただろう?」などと考えていたかもしれません。
80年、音楽活動を再開したジョン・レノンは、「ビートルズ時代の楽曲も、80年バージョンとして作り直したい」と話していました。
それが実現していたら、本当にどういう音楽に仕上がっていたでしょうね。