正月の子供の遊びといえば、はごいた、かるた、凧揚げ、百人一首、すごろく・・などがある。
私は、かるたや百人一首はやったが、凧揚げははごいたは、あまりやった覚えがない。
凧揚げは都心の街の中では電線が邪魔だったし、はごいたは女の子がいないと・・男だけではちょっと・・。
雪でも積もれば雪遊びもできたのだろうは、あいにく東京の正月で雪が積もることはほとんどなかった。
なので外で遊ぶ場合、むしろ私は通常の日の延長のような遊びをやりたがってた気がする。まあ、正月は友人を家から呼び出すのはなんとなく憚られたから、なかなかそれも難しかったけどね。
例えば、缶けり。
缶けりは小学校時代によくやった遊びだ。
缶けりという遊びを、子供時代にやったことがある方は多いのではないだろうか。
もっとも、外で友人と遊ぶ機会が減った今の子供は、缶けり未体験の子も増えてるのかもしれないけど。
缶けりは、学校から帰ると、近所の友達を誘って路上でやってたのだが、最初は参加者は少人数だった。
あくまでも家の近くに住んでる子同士だけで遊んでたからだ。
だが、経験のある方ならお分かりとは思うが、これが中々白熱するし、面白い。ちょっとしたスリルみたいなものもある。
だんだん口コミで級友に伝わっていくようになった。
しまいには、普段学校ではあまり話さない異性の子や、少し遠い場所に家がある子までもが、その噂をききつけ参加してくるようになった。
こうなると、もうかなりの人数になった。
缶けりのおかげで、話すようになった級友もいた。
だが、中学に進むと、いつしか、新たな級友と遊ぶようになったし、また「缶けり」は小学校時代の遊びという意識があったのか、中学に進んだことがきっかけで、いつしか缶けりはやらなくなっていった。
その後、ずっと缶けりはやらずに月日は過ぎ去り。
やがて私は大学生になり、学園祭の実行委員の一人にも、成り行き上なってしまった。
で、無事に学園祭が終わると、誰言うともなく、実行委員同士の慰安旅行みたいな「うちあげ」をやることになった。
皆貧乏学生ゆえに、ちゃんとした旅館などに泊まるとお金がかかる。
幸い、家が金持ちな先輩がいて、その先輩の家の別荘が伊豆の山奥にあることがわかった。
そこで、皆で、その別荘にくりだした。
別荘があったのは別荘地の一角。山奥とはいえ、別荘地なので、周りにはいくつもの別荘があった。
だが、私らがいった時、別荘地のどの別荘も人っけがなかった。
建物の中にも気配がなかったし、道を歩いている人も皆無。
お店などは車で少し行ったところにあったが、あいにく店にも人っけはないばかりか、店自体営業していなかった。
おかげで、あたり一帯、閑散としてること、この上なし。
まるで、その世界に、我々一行しかいない・・そんな雰囲気と気分になった。
遊び場所らしきものもない。
ただ、スペースだけはある。
誰も我々を見ていない。
そこで・・そんなシチュエーションで・・・
誰かが思わぬことを言いだした。
「どうだ、缶けりでもやらねえか?」
・・・缶けり! 盲点だった。
それなら空き缶が1缶だけあれば、すぐにでもできるではないか。
しかも、隠れる場所やエリアはふんだんにある。
なんだか、缶けりという響き自体がなつかしく、「そういや小学校のころはよく遊んだけど、いつしかやらなくなったなあ。もう何年やってないだろう」と思うと、妙にその提案が嬉しく、わくわくした。
その思いは皆同じだったようで、缶けりの提案に即飛びついた。
「やろう、やろう!」
で、やってみたのだが・・・これが面白かった。実に。
あのワクワク感やスリルが蘇ってきた。
見つからないように隠れるというスリル、お金がなくてもできる経済性、ダッシュというスポーツ性(?)、鬼につかまった仲間を助けるための戦略性(?)、缶を蹴って仲間を救出した時の解放感、鬼になった場合の孤独感、鬼になった時の騙しのテクニック、・・その他、色んな要素が、この遊びにはつまっている。
結局、私の最後の「缶けり」は、大学当時にやった、この時だ。
それ以後は再び「一度もやっていない」。
そんな缶けりについてなんでここに改めて書いてみようと思ったかというと・・。
理由の一つは、私の自作曲「母校が消えた日」に、缶けりが出てくるから。
で、もう一つは、数年前に見たあるテレビ番組を思い出したから。
そのテレビ番組は「大人がやる缶けり」で、参加者は全員大人。
で、町の中、神社などをつかってやる「大人の缶けり」であった。
参加者が、めちゃくちゃ楽しそうだったのが印象的。
童心にもどって楽しんだというのもあるだろうが、缶けりという遊びの持つ奥深さを、大人になって改めて知ったからではなかっただろうか。
缶けりというと、どうしても町の中や住宅街、などでやることが多かった。
もちろん、缶は道路の真ん中に置き。
鬼以外の子は、誰かの家の塀の中に隠れたり、路地や物陰に隠れたり。
障害物があればあるほど、隠れ場所になった。
だが、今の都心の道路事情や住宅事情では難しい点もあるのかもしれない。
車は入ってきやすいし、誰かの家の塀の中にでも隠れたら、クレームなどが出そうだ。
昔の大人のほうが、そういう意味では子供の遊びに寛大だったのかもしれない。
また、地方に住む人にとっては、自然風景なども「隠れ場所」になったことだろう。そてはそれで、羨ましい環境である。
どこかで、「大人の缶けり大会」でもやったら、きっと盛り上がるだろう。
例えば、お祭りの1企画として行ってもいいかもしれない。
あるいは「サバイバルゲーム」の缶けりバージョンみたいなものでもいいかもしれない。
もちろん、世間での地位などは一切関係なしの、平等の立場での参加であることは言うまでもない。
そこでは、仲間を助けた奴がヒーローであり、全員捕まえた鬼がスターであり、最後まで隠れ残った奴が救世主の権利を持ち、忍耐力や瞬発力が問われるのだ。
すでに鬼に捕まった人は、まだ捕まってない仲間との一体感を持ち、普段どんな頼りない相手でもその時は頼りにするだろう。
うまく隠れて戦略を練れば、誰でもヒーローになれるチャンスがあるのだ。
案外、普段「イヤな奴」と思ってる相手が、実は一緒に缶けりをやってみたら、いい奴だった・・なんてことに気付くケースもあるかもしれない。
こんなところにまで浮世での立場を持ち込む「真のイヤな奴」は、「えんがちょ」でいい(笑)。
もしも、男女混合でやったら、缶けりがきっかけで恋が芽生えたり(???)。
そうなると、気分は「恋の缶けり」であり(笑)、それはそれで「大人のムフフな遊び」の一つってことに(?????)。
だって、子供時代の缶けりでは、恋なんか芽生えなかったものなあ~。いいんだか、悪いんだか(笑)。
あ、缶けりの最中に、いくら恋が芽生えたからといって、カップルでどこかにフェイドアウトしてはダメだよ。
なにせ、鬼の立場になってみると、遊びの最中に無断で帰宅されてしまうと、いつまでも遊びは終わらないし、鬼は延々と鬼のままだから。
参加者に無断で帰られた缶けりの鬼ほど、悲しい鬼は・・・そうはいない。
とりあえず大人の立場で言えることは・・
きっと・・・「大人の缶けり」が終わった後に飲むビールは最高だろうなあ!・・ということだ(笑)。
これだけは、子供には分からない! ・・・普通は。
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