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寺などに行くと、線香の匂いがするものだ。
寺というものは、たとえそれが都心にあっても、境内は静かだったりする。
周りに建物が密集していても、寺の境内は、別世界のような感覚になることもある。
静かな雰囲気もそうだが、それなりに庭らしきスペースもあったりする。
そんな、周りの環境とは別世界のような境内にいて、線香の匂いがすると、なんともいえず落ち着いた気分になることがある。
子供の時の私にとっては、線香の匂いはおばあちゃんの匂いのように思えた。
子供の時から私は線香の匂いはきらいじゃなかったが、線香の匂いがおばあちゃんの匂いのように思えたのは、おばあちゃんに線香の匂いに似た匂いがあったからだったかもしれない。
それはなぜだったのだろう。
きっと、おばあちゃんが暮らしていた家には、仏壇が家のメイン的な位置にあり、その仏壇に線香がよくあげられていたからかもしれない。
よく線香があげられていたから、線香の匂いが家に染み込んでいたのかもしれない。
そして、そういう家に住んでいたおばあちゃんの服などにも線香の匂いが染み込んでいたから、おばあちゃん本人に線香の匂いを私は感じていたのかもしれない。
だから線香の匂いはおばあちゃんの匂い・・そんなイメージがあったのかもしれない。
ちなみに今は、寺などで線香の匂いがしても、おばあちゃんの匂いという感じはしなくなっている。
単にそれはお寺の匂いに思えている。
そして、線香の匂いが嫌いじゃないという感覚は今も私の中で変わらない。
・・・というか、線香の匂いは今では・・・むしろ「好き」だと自分では思っている。
線香の匂いがすると、不思議と気分が落ち着いてくるし、ちょっとした癒しの匂いに思える。
また、たとえ今線香の匂いがおばあちゃんの匂いという感じはしなくても、線香の匂いを嗅ぐと、どこか懐かしい匂いのようにも思えるのは、やはり心の奥底に・・かつてそれがおばあちゃんの匂いに思えていた記憶があるからなのだろう。
そのおばあちゃんは、私が若い頃に他界した。
おばあちゃんが他界して、もう長い年月が過ぎ去った。
だが、線香の匂いがするとおばあちゃんのことを思い出すことがあるのは、おばあちゃんは死後は線香の匂いに姿を変えて、「思い」として存在しているのかもしれない。
線香の匂いがすると自分のことを思い出してほしい、覚えていてほしいと思って。
人間、生きていようと、死んでいようと、一番悲しく寂しいのは「忘れられる」ことだろうから。
たとえ死んでしまっていても、覚えていてもらえることは、その人の存在は生きているわけだから。
生きている人の心の中に。
忘れられた時・・・その「忘れられた人」は完全に消滅する。
そういう意味では、覚えていてもらえるのなら、たとえ「死」という言葉で表現されようとも、消滅ではない。
だから、死んだ人への一番の供養や優しさは、覚えていてあげることなのだろう。
死んだ人が、あまりにこの世に未練を残さない程度に・・・。
たとえ普段忘れていたとしても、何かの時にふと思い出してあげれば、死んだその人はそこに・・・心の中に生きているのだ。
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