私が最も好きな漫画家の1人、それが「つげ義春」先生であることは、これまでこのブログで何度も書いてきている。
つげ先生の作品には漫画はもちろん、エッセイ、旅イラストなども豊富にある。
先生が旅イラストで描いた場所に実際に私は旅して、イラストと同じ場所が今はどうなっているかなどを検証した旅行記なども、これまで私は書いてきている。
今回は、つげ先生の作品のひとつ「夜が掴む」を取り上げてみたい。
この作品ははっきり言って小品である。
つげ作品には基本的に短編が多いのだが、この作品もまた短編であり、しかもかなり短い短編だ。
でも、短編・小品でありながら、読んだ人に強烈な印象を残す作品だ。
先生の作品には、極めて印象的な1コマというのが実に多い。
しかも、そんな1コマが1編の短編の中に何カットもでてきたりする。
「初茸がり」「海辺の叙景」「ねじ式」「ヨシボーの犯罪」「窓の手」その他、あげはじめたらきりがないぐらいだ。
で、「夜が掴む」はたった数ページでしかない作品であるにもかかわらず、強烈な1コマが最後に出てくる。
この1カットのおかげで、この作品は小品でありながら、読む人の心に深く刻み込まれる。
漫画と言うより、イラストの集合体が漫画になっている感じがある。
そしてその作風は、つげ先生の作品の大きな特色であり、魅力でもある。
だからこそ短編でありながら、他の漫画家の長編に負けないぐらいの存在感があるのだろうと思う。
「夜を掴む」には主人公の孤独感、不安感、心理的圧迫感や怖さなどが描かれており、それはもしかしたらつげ先生ご自身を投影させた作品だったかもしれない。
静かな夜に部屋にたった一人でいて、音もたてず、窓をあけてると、外の闇が部屋に入ってきて自分を引きずり込もうとしてるような心境にもしもなったら、それこそこの漫画の影響だろうと思う。
そんな経験を好んで味わいたいとは思わないが、いつか・・自分の心理状態的にそんな気分になることもあるのかもしれない・・・。
その闇がもしも蚊帳のようなものだとしたら、思い切ってその中に取り込まれてしまったほうがむしろ安心できるのかもしれない。
だが、繭のようなものに閉じ込められて外に出れなくなるのかもしれない。
つげ先生の作品はいくつも映像化されているが、もしも「夜が掴む」を映像化したら、どんな作品になるのだろう。
案外、紙芝居みたいなアニメでもいいのかもしれないが、もし実写化したら・・・「世にも奇妙な物語」みたいなドラマになるのかもしれない。
もっとも、つげ作品の映像化は非常に難しいのも事実。
これまで何作ものつげ作品が映像化されてきてるが、原作のあの雰囲気を映像で出すのは、映画監督は苦労していると思えるし。
それゆえ挑戦しがいのある作品群なのかもしれないが。
確か『つげ義春』先生のことだったという覚えがあります。
たまたま、その時、ぼくが初めて、つげ義春先生の作品を知って読み始めてた頃でしたので、
まさにタイムリーだと、不思議な気持ちがしたものです。
つげ義春漫画は、近年フランスなど欧米諸国でも高く評価されてるようです。、
何か、現代社会のシステムから脱落した人の生き方に同情と羨望を感じる人は
どこの国にもいるんでしょうね。
つげ先生はだいぶ前にペンを置き、もう今では漫画は描いてはいらっしゃらないようです。
でも先生が過去に描いた作品は、今でも熱心なファンの間で語り継がれています。
つげ作品は時には文学的に評価されており、そうですか、欧米でも高く評価されてるのですか。
凄いですね。
欧米人には、つげ作品はどう読まれているのでしようね。
そのへん、興味あります。