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私は基本的に毎日風呂に入らないと気がすまない。
だが、正直、風呂に入るのがめんどくさいことも多い。
特に酒を飲んで、いつもより遅い時間に帰宅した時など。
とはいえ、風呂に入らずに布団に入ると、どうも落ち着かないというか、気持ち悪いというか。
少なくとも気持ちよく眠りに落ちられないというか、落ち着かない。
それはよくわかってるので、たとえめんどくさくても、無理してでも風呂には入ってしまう。
そして、風呂から出たあとに必ず思うことがある。
それは「ああ、やっぱり入ってよかった」ということ。
今でこそ毎日風呂に入らないと、気持ちよく寝れない私なのであるが、子供の頃は風呂には毎日入らなくても平気だった。
2日に1回、へたしたら3日に1回なんていう日もあったように思う。
私が幼少時には家には風呂はなく、風呂はもっぱら銭湯であった。
最寄りの銭湯は家から歩いて10分くらいの場所にあった。
他にも銭湯はあったが、他の銭湯は歩いて15分くらいの場所にあったから、銭湯を利用する時はもっぱら最寄りの銭湯を利用していた。
なにせ子供時代は夜7時くらいになると、見たいアニメや特撮ドラマがテレビ放送されていたので、それに間に合うためには、やはり最寄りの銭湯を利用するのが1番効率的だったから。
銭湯に行くには、当然外出することになる。料金もかかる。まあ、料金は親が出してくれていたけど。
なので、多分毎日は行ってなかった気がする。だいいちめんどくさいしね。
なので、なにも毎日は、入らなくても大丈夫みたいな気持ちは私の中にあったのだろう。
やがて、そんな我が家にも、自宅に風呂ができた。
自宅に風呂が出来ると、銭湯に行くめんどくささからは解放され、ちょっと時間があいた時にそそくさと入ることが可能になった。
おかげで、夜6時台の番組も、7時台の番組も、8時台の番組も、バッチリ見れるようになった。
15分くらいでも隙間時間があれば、その隙に風呂に入れるようになった。
銭湯通いだと、それくらいの隙間時間では足りなかったしね。
ただ、銭湯通いの時代に私の中にあった「風呂は毎日は入らなくても平気」という感覚は残ってたので、自宅風呂になってからも、毎日は入らなくても平気だったのかもしれない。
もっとも、自宅に風呂ができたばかりの頃は、物珍しさと便利さゆえに毎日入ってはいたと思うが、やがて自宅風呂に慣れてきて、それが当たり前になってくると、毎日は入らなくてなってしまっていったのだろうと思う。
めんどくささの方が勝ってしまって。
風呂に入っても、子供時代当時は髪の毛は1週間に1回くらいしか洗ってなかったと思う。
今の私の習慣では毎日風呂に入るのは当たり前だし、風呂に入ったら髪の毛も洗うのも当たり前になっている。少なくても毎日お湯洗いはしている。
そうしないと、風呂に入った気がしなくて。
だが、子供時代は髪の毛は1週間に1回くらいしか洗わないのは普通だった。
私が読んでた漫画でも、主人公の少年の風呂に入るペースは、そんなものだったと思う。作品中に主人公少年がそう語っていたシーンもあったし。
今では髪の毛を1週間に1回しか洗わないのは考えられない。
暑い夏に外出して帰宅した日は1日に2回入ることもある。まあ、その場合、1回はシャワーだけだったりすることもあるけどね。
今では上記のような風呂ペースの私だから、何日も風呂に入れない状況がきたら、きっと軟弱体質なのではないかと思う。
例えば天変地異や災害が起きて、避難生活を送ることになった時など。
日本には地震も多いし、また登山の趣味が自分にあったら、毎日風呂に入ることができないことは大いにありうる。
戦争でもそうだろう。
そんなことを考えると、毎日風呂に入れている自分は今現在恵まれてると思う。
そのありがたみは、何気ない普段の日常が続いているからた。
そのありがたみは、もっと感謝しないといけない。
と同時に、何日も風呂に入れない状況への覚悟も、頭の中には想定していないといけないと思う。
昭和だなー!(≧∀≦)
うちにはお風呂あったけど、タイルだし、コオロギは出没するし、寒いし、、(^_^;)
お風呂に入れるって本当にありがたいことなのですよね。
私はなぜか、お湯の中でいつも、入った瞬間、はぁぁぁ〜ありがたや〜ありがたや〜って、、手を合わせてしまいます(笑)
旅行で旅先で入る旅館の大浴場もいいけど、街の銭湯にはそれと違った魅力があります。
自宅の風呂にコオロギ?それならまだマシですよ。
ゴキに出られたら、たまったもんじゃないです。
風呂って、入る前は面倒に思うこともありますが、入って出ると、やはり入ってよかったと思います。