コロナの感染が広がり、緊急事態宣言が出されるようになって、私の外食の機会は激減した。
ご飯を弁当などで済ませる時は、スーパーやコンビニで弁当を買ってきて、家で食べている。
以前は地元のラーメン屋やカレー屋などによく行ってたし、ひとりで馴染みの居酒屋などに飲みに行ったりもしてたが、コロナ禍の中、それはほぼなくなった。
外食の機会が激減したので、時々無性に外食したくなる。
特に、ラーメン屋のラーメンが食べたいかな。
最近ラーメンを食べる時は、コンビニで買ってきた「有名店監修ラーメン」か、カップ麺ばかりだ。
我が家のあるエリアは、ちょっとしたラーメン激戦区なので、ラーメン店は多数ある。
そのうちお気に入りのラーメン店は何店もある。
家でコンビニラーメンやカップ麺ばかり食べてると、無性にお店のラーメンが食べたくなる。
まあ、ラーメン店は少なくても昼間は通常営業してる店が多いし(中には閉めてる店もある)、行こうと思えば昼間などは行けるのだ。
だが・・どうもコロナのことを考えると、足が遠のいてしまう。
店としては、通常営業してる以上、コロナ禍の中でも客には来てほしいだろうね。
もちろん、ラーメン店以外でも、居酒屋にも行きたい。
でも、お酒を出せなくなっていたり、時短営業だと、行っても以前のようには楽しめない気がする。
無理して行くと、かえって物足りなさを感じてしまいそうなので、それなら行かないほうがあきらめがつく。
そう思うと、やはり足は遠のいてしまう。
そんな状況の中でも、混雑を気にせずに遊びに出かけ、そういう店にも何のためらいもなく入れる人もいるようだが、そういう人たちはコロナへの警戒感や怖さはないのかな・・・。
そう思うと、少し不思議にも思える。
特に感染が増えている時など。
コロナは人に感染させる時、相手など選ばないわけだから。
どんな立場の人でも感染のリスクはあるし、絶えずウイルスには誰もが狙われているわけだしね。
やはり・・・「自粛疲れ」「緊急事態宣言に慣れた」「ピンとこない」「ちょっとぐらいならいいかな」「もう我慢できない」「昨日まで自粛してた」などの言葉を吐いて、混雑の中に平気で遊びに行ける人が、単純に不思議・・・。
コロナ感染が、怖くないのかなあ・・・。
仕事なら仕方ないにしても、遊びでは・・・。
いくら人間が「ピンときて」いなくてもコロナには獲物である人間にピンときてるのだろうし、いくら人間が「自粛に疲れて」もコロナは自粛してないから疲れていない。いくら人間が「緊急事態宣言に慣れ」ても、コロナ界側には緊急事態宣言は出ていないから慣れもない。
要するにコロナに負けたことになる。
そういう言葉を吐いても、ウイルスは見逃してはくれないどころか、逆に「良いカモ」になってしまいそうなのに。
人手が減らない映像・・・例えば渋谷スクランブル交差点などのライブカメラに映し出される混雑の映像を見ると、そう思う。
若くても、コロナに感染してしまったら、治ってもその後の後遺症で悩まされている人のことは、よくテレビで報道されている。
いったん治っても、後遺症が収まらず、通院を続ける若い人は多いみたいだ。案外、後遺症での定期通院の方が長い・・・などという報道を見ると、なおさら。
ましてや今や、重症か、重症一歩手前の症状にならないと、入院すらできない・・・そんな状況。
なんでも、コロナでの「重症」という状態は、医者の言うところでは、その患者は事実上「瀕死」の状態だという。
「瀕死」の状態にならないと入院できず、自宅療養になってしまうようだ。
コロナの症状では、段階的に「軽症」という状態があるが、その「軽症」にしても、他の病気とは違って、下手したら軽症でも「死」を覚悟する人もいるそうな。それほど苦しいのだろう。
ならば・・・私思うに、コロナでは「軽症」という呼び方や区分を変えたほうがいいのではないか・・・そう思えてきている。
なまじ「軽症」という呼び方をするから、その苛酷さが伝わらないのではないか・・。
う~む、そんなことを考えると・・・やはり、この感染拡大の中、平気で混雑の中に遊びに出かけられる人が不思議としか言えないのだが・・。
自粛を特定の業種にばかり要請するのは不公平になるので、いっそロックダウンでもして、大半の業種に自粛を要請し、一般人の外出制限をして、違反者には罰金でも科したほうが、こんなダラダラと緊急事態宣言を長く続けなくてもよかったのかな・・・などという思いも私の中にはある。
特に、飲食店などが感染対策の主なターゲットとされ続けているのは、不公平に思えている。
ロックダウンの方が、まだ平等に近いのではないだろうか。
人流も、ロックダウンのほうが激減させられると思うし。
これまで日本は欧米などに比べたら感染者や死者の数は少なかったのだから、思い切ってロックダウンでもしてたら、欧米よりも短い期間で感染者を減らすことができたのではないか・・・と思うのは素人考えだろうか。
ロックダウンをやらない理由を「私権の制限」になるから・・・とするのであれば、すでに私権の制限は行っているではないか・・・と思う。
飲食店の経営者などに時短営業やお酒の提供自粛などの商売の自由を制限してるのは、すでに私権の制限になってると思うのだが。
だとしたらロックダウンしなかった理由を「私権の制限になるから」とするのは、口実としては説得力が弱いと思えてならない。
そこに私はどうしても「矛盾」を感じてしまっている。
私権の制限に繋がる法案を持ちだすと、そこに過剰に反応する人たちがいて、そのせいで中々話が進まない・・・という話も耳にしているが、あくまでもコロナという未曽有の「有事」での臨時措置にするということはできないのだろうか。
色んな口実や邪魔が入り、現状が何も変わらないのなら、コロナを抑えるのは難しいと思う。
現に、緊急事態宣言だって、発出しても、それに従わない国民は増えてるわけだから。
仮にロックダウンがすぐには無理だったとしても、人手を一気に減らすためには、なんらかの強制力や罰則は必要だと思うし、今の状況下では、その対策を「やむなし」と判断する人は多いと思うのだが。
ともあれ・・・自粛要請期間は、ちょっと長すぎるのは確か。2021年になってから、緊急事態宣言や「まん防」が出されていない期間など、都心ではほとんどないもの。
まあ、感染が収まらないのだから、仕方ないとは思うけどね・・・。
いつまで続く、この禍。
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