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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

多摩川園は、こんな遊園地だった

2024年11月26日 | 懐かしい系、あれこれ
先日行った、かつての遊園地跡地にあった「多摩川園」は、どんな遊園地だったのだろう。
多摩川園と言われても知らないよ・・そんな人は多いはず。
なので、改めて調べてみた。
多摩川園は文字通り多摩川ぞいにあった家族向け遊園地で、目蒲線の「多摩川園前」駅(現在の目黒線「多摩川」駅)の改札を出て目の前にあった遊園地。
「多摩川」駅は、高級住宅地として名高い「田園調布」駅の隣の駅。各駅停車で1駅分の距離。

実は、かつての多摩川園遊園地のマップが残っている。
それによると、多摩川園とはこんな遊園地だった。

この記事のトップ写真のマップを見ると、多摩川園のどの場所に、どんな遊具があったかが一目瞭然でわかる。

そもそも多摩川園というのはどんな遊園地だったかというと、ウィキによれば、

「1925年(大正14年)12月23日に「多摩川園」としてオープン。同年には丸子多摩川花火大会も開始されている。園内には、飛行塔、お化け屋敷、メリーゴーランドの遊戯施設があり、菊人形展でも多くの客で賑わった。」

とのこと。
初期の頃は、けっこう広かったようで、近くにあった田園コロシアムの方まで敷地はあったらしい。その後、諸事情により少し縮小されたようだ。
とはいえ、今多摩川園跡地にある「せせらぎ公園」よりは広かったようだ。


今現在のせせらぎ公園のマップはというと、以下のマップがそうだ。





比べてもらうと、その違いがわかりやすいかもしれない。

私が多摩川園遊園地で1番記憶に残ってるのは、やはりなんといっても、毎年夏になると開催されていた「おばけ屋敷」。
おばけ屋敷は、多摩川園の敷地の1番奥にあったようだ。

当時の中学生などにとっては、定番のデートスポットだったらしい。

おばけ屋敷の次に私の記憶に残ってるのは、園内の大山坂にあったリフト。
このリフトで、客は丘陵を登っていき、登りきった場所から、リフトの隣に併設されてた長い滑り台で丘陵を一気に下っていたようだ。


おばけ屋敷。そしてリフト。その次に私の記憶に残ってるのは、樽のような形をしたジェットコースター「マッドマウス」。
私はてっきりマッドマウスはおばけ屋敷のすぐ近くにあったような気がしてたのだが、実際にはおばけ屋敷は園の左端に、そしてマッドマウスは園の右端にあったんだね。

そして園の真ん中よりやや北あたりには大山坂のリフトがあったたという位置関係か。

なるほどね。


公園内は、裏手の住宅地方面から園内を抜けて多摩川駅方面に向かう人は多かった気がする。
地元住民たちにとっては、住宅地方面から駅へ向かうルートでもあったのかもしれない。
ちょっとした自然の中を通りながら。


なんにせよ、かつての遊園地「多摩川園」の名残はほぼない。
強いてあげれば大山坂をまっすく上り下りする箇所に、かつてのリフトのルートの名残があるくらいかもしれない。

園内には何もない広場や草っ原、そして丘陵の地形や散策路の印象が強かった。

ともあれ、今は地域住民や来訪者の憩いの場所として存在していた。



子供の頃に多摩川園のお化け屋敷が夢に出てきた私の現在の目は、いつしか遠くなっていた。



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