時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

外食の基準

2010年06月25日 | 日々の、あれこれ
学生時代は、飯を食べる時はまず「量」が大事だった。
安くて量がある・・・それが一番だった。

確かに、そういう食事はありがたい。

だが、今の年齢になって、同年代の友人と話した時に、ふと感じるものがあった。

その友人は築地の事務所で働いている。

その友人のところに行った時、「築地かあ、飯がうまいだろうね、このへんは」と言ったところ・・


「いや、あまり他の場所と変わらないよ。そりゃ、このあたりで寿司を食べればうまいだろう。でも、そうそう毎日寿司ばかり食べられるかい。高いしね。」

との返事。

確かにそう毎日寿司ばかり食べるわけにはいかない(笑)。

築地は飯が美味い・・というイメージが私の頭の中にあるが、それは海鮮ネタのイメージからくるものだった。

だから、海鮮ネタが美味いから、他の食事も美味い・・そんなイメージでとらえてしまっていた。

もちろん、他の食事も美味い店はあるのだろう。

だが、そこにいつもいると、段々現実的に、金銭的に、日常的に食べるものは限られてきて、しまいには食べ物などあまり興味なくなってしまった・・という。
食べるなら、本当に美味いと思えるものだけ食べたい・・とも。

つまり、本当に美味いもの以外では、食べ物に対する執着がなくなってしまったようだった。

若い頃は量があることが一番だったが、今はやはり「美味いもの」が食べたい、じゃなかったら別に食べなくたっていい・・・そんな心境らしい。

彼は確かに若い頃は、食事は、私同様にまず「量」が大事だった。

年齢と共に、そういう価値観も変わっていくんだね~。

ただ、本当に美味いもの・・というのは、往々にして高い場合が多い。

学生のころは金欠なことが多かったから、高くて美味しいものは中々食べられなかった。
たまに食べても、量がなくて、量が物足りない店は、以後行かなくなった。

今でも外食する時は、一食が高い店は・・・日常的には中々行かない。


昔は「量」と「値段」が外食の基準だった。値段は相場よりも安ければ安いほどよかった。
メニューの種類もあるにこしたことはないが、あまり種類がなくても「量」と「安さ」があれば、それでよかった。
学食なんかは、そのいい例だった。

でも今は「量」と「値段」、そして「味」のバランスだなあ。
値段に関しては、「これは安い」ってほどではなくても、相場通りの値段でいいから「味」は大事。

あと・・・種類・・バリエーションだなあ。
バリエーションは、あってほしい。

じゃないと、飽きてしまうものね。


これって、学生時代の自分が見たら「贅沢」になったように見えるんだろうなあ。

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