2021年深夜のウルトラQのリマスター版の放送はひととおり終了したようだ。
ご存知の方も多いだろうが、ウルトラQはウルトラシリーズの元祖番組である。
この番組がなかったら、その後のウルトラマンやセブンなどをはじめとするウルトラシリーズもなかったのかもしれない。
ウルトラシリーズは、このウルトラQから始まった。
以前にもこのブログで、4Kリマスター版のウルトラQのことについて書いたが、ウルトラQを久々に見終わったことを受けて、今あらためてまた書いてみたい。
以前の日記と内容が重複する部分はあるが、今回は特にお気に入りのウルトラQエピソードを5つあげることに免じて、重複する部分があることはご容赦願いたい。
ウルトラQの4Kリマスター版のNHKのBSでの放送は、さすがに映像がクリアで非常に見やすかった。
そこには年月の経過による劣化などほとんど感じなかった。
モノクロで新作が放送されてるかのようなクリア画像だった。
あらためてウルトラQを見返していたら、他のウルトラシリーズに比べて本当にバラエティ豊かな番組だったと実感した。
カネゴンの逸話など、主人公の3人が出て来ないんだもの。こういうのは他のウルトラシリーズでは考えられないのではないか。
ウルトラマンで例えれば、作品中にハヤタ隊員も科学特捜隊も出て来ないようなものだ。
だが、ウルトラQでは、それでもお話が成立してしまう。
バラエティ豊かなウルトラQシリーズには、個人的にお気に入りの話数は多いが、その中でも特に個人的に好きなのを5つあげてみると。
- 悪魔っ子
- あけてくれ
- カネゴンの繭
- 2020年の挑戦
- クモ男爵
こんな感じかな。
「悪魔っ子」と「クモ男爵」はホラー系。
「あけてくれ」は不思議系、シュール系、サスペンス系(?)。
「カネゴン」は風刺系。
「2020年の挑戦」は巨大怪人モノ。宇宙人という設定もある。これはケムール人が出てくる回だ。
特に「悪魔っ子」と「あけてくれ」は、幼年時代に見て以来、長年私の中で、ある意味「トラウマ」的な作品になったほど、深く少年だんぞうの心に突き刺さった作品。
「あけてくれ」には宇宙人も怪獣も幽霊も出て来ない。あるのはシュールで摩訶不思議な世界だ。
善悪の尺度で話せる逸話ではない。こういう逸話は、今のウルトラシリーズでは制作するのは難しいのではないか。
まさにウルトラQだから作れた作品だったと思う。
「悪魔っ子」は幽体離脱の話で、これまた他のウルトラシリーズでは制作するのが難しいのではないか。作るなら、ウルトラヒーローシリーズよりも、「世にも奇妙な物語」みたいな枠のほうが合いそうな話。
それは摩訶不思議系の「あけてくれ」というエピソードにも言えることだ。
むしろ・・「世にも奇妙な物語」みたいな枠でリメークしてもらいたいぐらいだ。
ウルトラヒーロー枠では無理な話だ。だいいち、巨大ウルトラヒーローの存在の必要性がない話だ。
「カネゴン」は一応「怪獣」らしきものは出てくるので、その意味では世間一般のウルトラシリーズのイメージらしい要素はあるのだが、物語展開は、決して悪者をやっつける話ではない。
むしろ視聴者が教訓にするような話。
どこかユーモラスな展開でもある。
なにせ、お金にがめつい人間が怪獣カネゴンに変身させられてしまう羽目になり、カネゴンは絶えずお金を食べていないと餓死してしまう・・・そんな設定だった。
この怪獣は人間と等身大の大きさで、武器があるわけではないし、ユーモラスなルックスをしている。
人間を襲わないし、町を壊すこともなかった。むしろ、世話のやける奴で、情けない存在。周りの人たちに迷惑ばかりかけてしまう怪獣・・・というより、珍獣。見た目は情けないルックスの怪獣だが、心は人間のまま。
「2020年の挑戦」は巨大化した怪人(宇宙人?)「ケムール人」が出てくるし、人類にとっては悪者ではあるので、この逸話は他のウルトラヒーローシリーズでやっても違和感ない系統の話だ。
とりあえず、ケムール人のデザインが中々強烈で、不気味でもあり、白黒画面がよく合う話ではある。
まあ、巨大ヒーローであるウルトラマンやセブンが出てきたら、すぐに倒してしまうかもしれないが。ケムール人が、ウルトラマンが勝てなかったゼットンや、セブンが苦戦したキングジョーのような強さを持ってるとは思えないし。
スペシウム光線やアイスラッガー一発で倒せそうな気もする。
だが、人間が戦うには怖すぎる。そこがウルトラQの面白さではあった。
ちなみに、この逸話の2020年はもう過ぎてしまったが・・・。
2020年に人類を襲った怪生物といえばコロナウイルス。もしやコロナはケムール人のさしむけたもの??
「クモ男爵」は「悪魔っ子」同様にホラー系ではあるのだが、ホラー系同士ではあっても、話の傾向は「悪魔っ子」とはちょっと違う。
「クモ男爵」には、ある意味わかりやすいぐらいの化け物である「巨大クモ」が出てくるので、最終的にはその化け物をやっつけることで決着つけられる。
巨大クモとはいっても、せいぜい数メートルぐらいなので、身長40メートルのウルトラマンが戦うにはいささか敵として役不足ではある。
だって、ウルトラマンなら、ふみつぶしておしまいだもの(笑)。そのへんは人間が普通のクモと戦うようなものだ。
でも、この巨大クモは人間が戦うにはサイズ的に怖い。でも、だからこそスリリングであったし、ホラー足り得た。
この化け物クモが巣食う洋館の存在そのものが、ホラーっぽい雰囲気を醸し出していた。
「悪魔っ子」の場合は、そもそも善悪の概念がむずかしいし、だいいち幽体離脱した子供の魂と肉体は、基本的に同一人物である。しかもその子供には、悪意はない。単に無邪気なだけなのだが、その無邪気さが怖い。
特にその無邪気な笑い声が辺りに広がって残響するシーンは、怖さを増幅させており、後の様々なホラー作品にも通じるものがある。
この場合、その子供を「倒す」のではなく「救う」のが決着になった。
ウルトラマンやセブンなどの巨大ヒーローのことを知ってるうえでウルトラQを見てると、どんな敵が出てきても、マンやセブンがいたら楽勝だろうな・・とか、マンやセブンがいてくれたらなあ・・と思ってしまうことがある。
特に巨大怪獣が出てきた回など。
でも、ウルトラQにはマンやセブンは出てきてはいけないのだ。
出て来ないからこそ、人間が何とかするからこそ、怖くもあり、面白くもあったのだ。
とはいえ、幼い頃にウルトラQを見てて、やがて放送が終わり、その後番組にウルトラマンが始まった時に感じた「安心感」は大きかったのも印象深い。
だって巨大ケムール人やペギラ相手に、米粒のようなサイズの人間が互角に戦うなんて考えられなかったから。サイズのデメリットは大きかった。
その致命的なデメリットからくる心細さを解消してくれたのが、巨大怪獣や宇宙人に負けないサイズの大きさがあるマンやセブンであった。サイズ的に大きな安心感を持てたのだ。
これでサイズ的に互角に戦えると思ったし、なおかつスペシウム光線やアイスラッガーみたいな特殊な必殺技もあったからね。
Qの後のウルトラマンがあれほど大ブレークしたのは、その安心感や心強さもあったと思う。
これでもう大丈夫だと思って。
そういう意味では、マンやセブンのあれほどの成功の要因のひとつは、その前にウルトラQがあったからこそだったのかもしれない。
ただ、巨大ヒーローがいるのが「当たり前」になってしまうと、巨大ヒーローがいなくて、人類だけで何とかしなければいけなかったウルトラQのスリリングさや面白さもまた格別だ。
巨大ウルトラヒーローがいるのが「当たり前」になっている子供たちが、巨大ヒーローが存在しないウルトラQを見て、どんなことを思うのだろう。
やはり・・・ここにマンやセブンがいてくれたらなあ・・・と思うのだろうか。
あらためてマンやセブンのありがたみを感じるのだろうか。
それとも??
ウルトラQに出てくるような怪獣ならまだいいけど、キングギドラみたいな怪獣が出てきたら、人類だけではどうしようもないだろうね。
ゴジラが味方になってくれない限り。
・・・おっと、ウルトラの話なのに、最後にゴジラの名前も出してしまった(笑)。
よく考えたら、初期のゴジラは、人間がなんとかしようとしていたよね。人類の味方をしてくれる巨大ウルトラヒーローはいなかったから。
ちょっと話が反れますが私が大好きだった頭文字Dもアニマックスでリマスターをやっていたので録画しました。
今はウルトラQが放送完了して、その時間帯ではウルトラセブンが放送されてますね、
ウルトラマンは、やらないのかなあ~。
まあ、私はアンヌ隊員の大ファンでしたので、セブンのリマスター版の放送は嬉しいです、
イニシャルD、実は私は見たことがないのです。
すみません。
人間以外でもお菓子の サク山チョコ次郎 もかなり似ていると思います、
います、います。似ている人が、たまに。
というか、あのモンスターって、元々ギャグ系とか芸人系の顔をしていたような。
愛嬌があったというか。
サク山チョコ次郎 ・・すぐには頭に浮かんでこなかったので、検索して見てみました。
た、確かに似てますね(笑)。