時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

しおさいの詩  by  小椋桂

2015年09月15日 | 音楽全般

この歌を初めて聴いたのは、私がまだ十代の頃だった。

当時、日本の音楽チャートでは、吉田拓郎さんと共に井上陽水さんも大ブレイクしており、二人は両横綱扱いされていた。人気面でも実力面でも。

私はその波に完全に呑みこまれ、拓郎さんが好きだったのはもちろんだが、陽水さんも大好きで、二人のアルバムは集めたものだった。

 

で、陽水さんのアルバムを買いにレコード店に行くと、なぜか陽水さんのLPのコーナーにはもう一人の歌手のアルバムもひとくくりにされて、1コーナーになっていた。

そのもう一人の歌手こそが、小椋さんだった。

つまり、レコード店のラックには、「井上陽水・小椋桂」と二人の名前が連名で1コーナーになっていることが多かったのだ。

 

小椋桂・・?誰、それ。

 

と、当初私はスルーしていた。よく知らない名前だった。二人が一緒になったコーナーで私は陽水さんのアルバムばかり物色していたのだが、なにせ連名のコーナーゆえ、いやがおうにも(?)小椋さんのアルバムも視界に入ることになった。

小椋さんのアルバムジャケットを見ると、どうも小椋さんがどういう人なのか把握しづらかった。

というのは、アルバムジャケットに小椋さんの顔写真が一切載っていなかったからだ。

ジャケットに写っていたのは、見知らぬモデルっぽい人のイメージ写真みたいなものだった。

 

後になって、それはわざとそういう戦略を小椋さんがとっていたことが分かったが、当時はともかく小椋桂さんという人物は、謎の人物だった。

陽水さんのような大ブレイクしているスターと同じコーナーに連名でひとくくりにされているぐらいだから、きっと大物なのだろう・・・ぐらいは思った。もしかしたら、陽水さんと似た作風の人なのかな・・とも思った。

とはいえ当時の私は、小椋さんの作った曲も、声も知らなかった。

 

だがその後すぐに私は小椋さんがソングライティングに関わった曲を、とりあえず1曲知ることになった。

それは、陽水さんの代表作アルバム「氷の世界」に、小椋さんが作詞して陽水さんが作曲した、いわゆる「共作」の曲が収録されていたからだ。

その曲は「白い一日」だった。

 

その歌詞を読んだ時、どこか陽水さんの曲の歌詞に通じるものも感じた。例えば陽水さんの「いつのまにか少女は」などに。

当時の陽水さんの曲の歌詞にはセンチメンタリズムや、生活に密着したものを私は感じていたが、小椋さんの歌詞はより文学的に思えた。

陽水さんの曲の歌詞にも文学性を感じたことはあったが、小椋さんの歌詞は、より文学性を追求したような作風になっているように思えた。

 

レコード店は、小椋さんと陽水さんの音楽性にどこか共通するようなものを感じて、陽水音楽が好きなファンなら小椋音楽も好きになるだろうと判断して、二人パックで売ろうとした戦略だったのかもしれない。陽水作品が売れていたので、それに乗っかって、店の売り上げをあげようとしてたのかもしれない。

 

陽水さんのアルバム「氷の世界」で、私は「白い一日」によって小椋さんの歌詞を知り、しかもレコード店の戦略にも乗せられ(笑)、私はとりあえず小椋さんのアルバムを1枚買ってみることにした。

それが「彷徨」という小椋さんのアルバムであった。

 

さて、どんなもんかな・・と思って、早速家で「彷徨」をターンテーブルに乗せて、聴き始めた。

すると、1曲目に流れてきたのが、この「しおさいの詩」であった。

 

熱心な小椋桂ファンの方には申し訳ないが、初めてこの曲を聴いた時、私は即座に「生理的に受け付けない」と思ってしまった。

十代の私には、ダメだった。

当時の私は、ディランのような社会派メッセージソングや、拓郎さんのような明るくて男っぽく力強い歌や、陽水さんのようなセンチメンタルな曲などのような歌詞がカッコイイとか、素敵だとか思っていた。

なので、「しおさいの詩」は、じめじめして後ろ向きで暗いオヤジソングのように聴こえてしまい、絶望感みたいなものも感じ、それは当時の私の歌詞の趣味の対極にあるような内容に思えてしまったのだった。

 

 

「うわ・・なんだこりゃ・・・ダメだ・・自分の趣味じゃない・・」と私が思っていたら、隣の部屋で家事をこなしていた母が、この曲が聴こえたようで、即座に反応してきた。

母は、「いいねえ、この歌」と私に言ってきたのだ。むろん、母にとっても、この歌を聴くのは初めてだったはず。

それが、1回聴いただけで、即座に私に反応してきたのだ。母の世代には、心に直撃の歌だったのかもしれない。歌詞に歌われた心境が。

 

これが感性の違いというものか、あるいは年齢のなせるわざか・・・と私は思ったが、あまりにもこのオープニング曲の歌詞のインパクトが私にとってはマイナス方面に大きく、その後このアルバムを聴くことはあまりなかった。

当時私は自分の買ったアルバムのレビューみたいなノートをつけていたのだが、このアルバムを聴いて私が自分の「アルバムレビュー」のノートに書いた評価は・・

「個人的にこのジメジメした、暗い感じには嫌悪感を覚える」であった。

 

 

そう、大嫌いで、生理的に受け付けない・・・はずだったのだ。

 

ところが、その後・・困ったことに、この曲のイントロが、頭の中にこびりついてしまったようで、この曲のイントロを、無意識のうちに口ずさむようになってしまった。イントロは、中々キャッチーだったからね。

 

だが、その頃は、せいぜいイントロどまりであった。

 

その後。私は当時一緒にフォークグループを作っていたメンバーの家に遊びにいった。

その友・K君は、どうやら小椋桂さんの音楽は好きだったようで、何枚か小椋桂さんのアルバムを持っていた。私が遊びに行くと、小椋桂さんのアルバムを私に聴かせてきた。

「彷徨」であまり良い印象を小椋さんに持っていなかった私ではあったが、K君は私が持っていない小椋アルバムを私に聴かせてきた。

それは「残された憧憬」というアルバムだった。

 

すると・・どうも「しおさいの詩」とは感じが違う。いや、「しおさいの詩」にも通じる部分はなくもないのだが、悪くないのだ。というより、むしろ・・良いのだ。

楽曲もさることながら、コンセプトアルバムっぽいアルバム構成も気に入った。

 

それによって多少は私の中にあった小椋さんの曲に対する嫌悪感は和らいだ。

蛇足ながら、CDの時代になって私は、この「残された憧憬」というアルバムはCDで買った。それほど、この作品は魅力的だった。全体的なアレンジも秀逸だが、「ひときれの青空」「や「野ざらしの駐車場」なんて、今聴いても名曲だと思う。その1曲づつをこのブログで取り上げてもいいぐらい、今も気に入っている。

 

そして・・・やがて。私の小椋さんの曲に対する感覚が決定的に変化する音楽がテレビから流れることになった。

それは、ドラマ「俺たちの旅」のオープニングテーマとエンディングテーマであった。

中村雅俊さん主演の青春ドラマで、その主題歌を作詞・作曲したのが、小椋さんだった。

これは・・ドラマの面白さもさることながら、テーマソングも大好きになった。

あまりに気に入ったので、思わずシングルを買ってしまったぐらいだ。歌っていたのは中村雅俊さんだったが。

「俺たちの旅」は、私にとってはいまだに「心のドラマ」のひとつであり続けているくらい、好きなドラマだった。

 

これによって、私は小椋さんの音楽に対するネガティブな感覚は消えた。

そうなると、小椋桂さんという人物をもっと知ってみようという気になって、耳に入ってくる小椋桂情報をチェックするようになった。

すると、・・小椋さんは本職は当時銀行員であり、本業とは別に音楽活動をしており、ジャケットに顔を出さないのは、自身が自身の顔はジャケット向きじゃないと判断していたかららしい・・ということが分かった。

実際の顔写真を見てみたら、確かに当時の一連のフォーク歌手とは異質の容姿であった。

そのへんの堅気の普通のサラリーマンそのものに見えた。しかも、年齢以上におじさん風に見えた(←失礼・・)。

 

当時のフォーク歌手といえば、拓郎さんのようなロングヘアーが一般的で、陽水さんは当時アフロヘアみたいな髪型だったが、普通のサラリーマンとは異質である・・という点ではロンゲと同じような意味を持っているように思えた。

どうみても、小椋さんの容姿は、フォークシンガーらしくなかった。それは本業が銀行員であることも影響していたのだろう。ともかく、ジャケットに顔写真を出さなかったのは、イメージ戦略として、分かる気はした。

 

それを知った時・・・私は小椋桂さんに対して「なんて幸せな人なんだろう」と、軽い嫉妬と憧れみたいなものを感じた。

安定した本職を持ちながら、好きな音楽でもプロ活動できて、更にその音楽活動も世間に認められてり、本業でも音楽でもお金も稼げているわけだし、考えてみれば、すごく恵まれた環境に思えた。

 

フォークであれロックであれ、シンガーを志すシンガーは、たいがい音楽1本に絞って活動し、それで食いきれない部分はアルバイトみたいなことをしてしのいでいる人が大半であったろうし、それはある意味今でも似たような現状ではないだろうか。

 

小椋さんのような環境なら、たとえ音楽のほうで売れなかったとしても、しっかり本業のほうで生活は安定しているし、音楽活動に対するリスクはないように思えた。

だから・・単純に羨ましかった。ある意味、理想的にも思えた。

 

その「羨ましさ」から多少の嫉妬も覚えながらも、「俺たちの旅」の主題歌みたいな、私好みの曲も書いているわけだから、脱帽するしかなかった(笑)。

 

小椋桂さんに対するネガティブな気持ちが解消され、しかもその後私も年齢を重ねてくると、十代の頃に嫌悪感を覚えた「しおさいの詩」にも、私の中で変化が出てきた。

とはいえ、「しおさいの詩」という曲に当初私が感じた、じめじめして後ろ向きで暗くて絶望的な印象は私にとって、多少私が年齢を重ねても「難敵」ではあったのだが、それらのネガティブな印象を「悲哀」や「郷愁」と受けとることで、昔ほどの拒絶感は薄らいでいった。

 

もともと・・・あの曲を受け入れられなかった若いころでも、あのキャッチーなイントロは頭にこびりついていたのだが、歌の方も普通に聴けるようになってきた。

 

今では・・・「好き・・とは無条件に言いたくはないが、年齢を重ねることで、染みるようになった曲」というのが、「しおさいの詩」の私の中での位置づけである。

 

 

この曲を作った時の小椋さんは、決してそれほどおじさん年齢だったわけでもないと思うのだが、今思うのは、小椋さんの作風は、若いころからずいぶん「老成」していたんだなあ・・ということ。

あの内容の曲を受け入れられるのに、私は何十年もかかってしまった。この歌で歌われてる心境を素直に受け入れるのに、私はそれだけ時間がかかったということだ。

 

それだけ私も・・・おじさんになったということなのだろうね(笑)。

 

今では、この歌を初めて聴いた時に私の母が反応した気持ちや言葉は、理解できてしまう。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=vMVsvg4-x7c

 

 


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