私が十代の頃、グレコという国産ギターメーカーのエレキを買うと、もれなく付いてきたのが、成毛滋のロックギターレッスンのカセットだった。
ギブソンやフェンダーのエレキギターは今でも人気はあるが、私が十代の頃も絶大の人気を誇った。
だが、貧乏学生には値段的にギブソンやフェンダーのギターは手が出なかった。
でも、貧乏学生だって、ロックが好きならエレキも欲しくなった。
特にギブソンのレスポールモデルのエレキと、フェンダーのストラトキャスターやテレキャスターエレキは、定番的な人気エレキだった。
欲しい・・でも高くて買えない・・でもやはり欲しい・・・そんなエレキ小僧に強い味方になったのが、国産メーカーによるギブソンやフェンダーのエレキのコピーモデルであった。
ギブソンやフェンダーを買えない貧乏学生ギタリストたちにとって当時特に人気があったのが、ギブソンコピーならグレコ、フェンダーコピーならフェルナンデスというメーカーだった。どちらも国産メーカー。
もちろん、他にも多数の国産メーカーがあり、それぞれ競い合うようにギブソンやフェンダーのコピーエレキを作って販売していたが、私の印象では、グレコとフェルナンデスが一番人気だったように思う。
第一、 そのブランド名自体が、ギブソンやフェンダーを意識していた。
なんといっても社名の頭文字が。
グレコ(Greco)の英語表記の頭文字であるGは、当然Gibsonの頭文字Gを意識したものだったはず。
同様に、フェルナンデス(Fernandes)の英語表記の頭文字であるFは、Fenderの頭文字Fを意識したものだったはず。
頭文字をギブソンやフェンダーと同じにすることで、ギターのヘッドに入れるブランド名をGibsonやFenderに似せることができた。
特に「Greco」の頭文字の「G」をギブソンのロゴの「G」に似せ、「Fernandes」の頭文字の「F」をフェンダーのロゴの「F」に似せることで、ユーザーは「気分はギブソンやフェンダー」になることができた(?)。
グレコで当時、私の周りで一番人気があったのは、42000円のレスポールコピーモデルだった。私の周りでも何人も持っていた。
私が初めてエレキを買う時には、グレコのその42000円のレスポールコピーモデルも選択肢のひとつになったが、すでに友人が持っていたので、友人と違うエレキにしたいと思った。
値段の方も、その友人のレスポールコピーよりも多少高いものにしたかった。
多少なりとも、優越感を持ちたかったという気持ちもあったと思う。
で、その結果私が買った初めてのエレキは、グレコの60000円のSGコピーモデルだった。
SGというのは、本家はギブソンのSGというエレキで、レスポールモデルとはルックスの異なるエレキだった(もっとも、一時期ギブソンは、SGモデルを新たなレスポールモデルにしようとした時期もあったらしいが)。
エリック・クラプトンがクリーム時代に使っていたはず。当時私はクリームが大好きだったので、それに触発されたんだと思う。
そして、そのSGコピーモデルを買った時に、成毛滋さんの「ロックギターレッスン」のカセットが付属で付いてきた・・・というわけだ。
グレコギターを買う人への特権だったと思うし、グレコとしては自社の製品をユーザーに選んでもらうための、ちょっとした「売り」でもあったのだろう。
成毛さんは当時の日本のロックシーンの中で、よく名を知られたギタリストだった。
国産エレキ・・特にグレコのギターを多数所有していた。グレコと契約でも結んでいたのか、グレコとは密接な関係があったのだと思う。
ギブソンやフェンダーなどのビンテージギターへの評価は当時も高かったが、成毛さんはビンテージギターを高い金出して買うなら、グレコをたくさん買いたいと公言してはばからなかった。
そういう意味では成毛さんはグレコへの貢献は大きかったと思う。
成毛さんの「ロックギターレッスン」でエレキを練習した人は多かったのではないか。
内容は・・私が覚えている限りで書くと、エフェクターのこと、ウーマントーンの音色の作り方、レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」やディープパープルの「ブラックナイト」などのリフのフレーズの弾き方や、「空ピック」という概念、などが語られていたと思うが、もし私の記憶違いがあったなら、すみません。
また、そういう要素が成毛さんに語られる前に、女性の声で、「リフの弾き方」などのナレーション(?)が入っていたのも覚えている。
他にも解説されてたものは多かったとは思うが、その辺は私はもう覚えていない。
とりあえず「胸いっぱいの愛を」のリフは、私はこのカセットで覚えた。
エレキを買ったばかりの頃に、少し練習したらツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」のリフが弾けるようになった時は、嬉しかった。
この曲のリフは、さほど難しくないし、なによりカッコイイ。
そんな点もよかった。
このカセットを聴いて、「胸いっぱいの愛を」や「ブラックナイト」を弾けるようになったギター小僧は、当時多かったはず。
今でも私は、バンドやユニットなどの練習の合間の休憩時間に、無意識のうちに「胸いっぱいの愛を」のリフを弾くことがある。
手くせのように染みついている・・そんな感じだ。弾きやすく、大好きなフレーズだし。
それは・・成毛滋さんの「ロックギターレッスン」のカセットが私にもたらしたものだ。
そして・・当時グレコのエレキを買って、おまけで付いてきたこのカセットを聴いた人なら・・多くの人がそうだったのではないだろうか。
決して私だけではないはずだ。
ちなみに・・成毛滋さんは、ウィキによると・・
「成毛滋(1947年1月29日- 2007年3月29日)は日本のギタリスト・キーボーディスト。東京都出身。1960年代後半から1970年代を中心として国内のロックシーンで活躍。ブリジストン創業者である石橋正二郎の孫で父親は同社副社長、妹は漫画家の成毛厚子(1952年10月16日~)。鳩山威一郎の甥で、鳩山由紀夫・邦夫兄弟は従兄弟。 2007年3月29日、大腸がんのため死去。享年60。」
とのことである。その血筋には驚かされるばかりだ。
話によると、一部の例外を除いて、彼は最後まで国産エレキへのこだわりを持ち続けた。
日本の国産エレキの普及や向上に大きく貢献した人であることは、間違いない。
そういう意味では、日本の国産エレキの歴史において、もっともっと評価され、記憶されるにふさわしい「先人」だと思う。
こういう先人がいたことを、若いロックギタリストたちの心の片隅にでもおいておいてもらいたい気はする。
誰もがギブソンやフェンダーなどの舶来エレキに憧れる中、成毛さんのその「国産ギターへのこだわり」は、痛快でもあった。
ちなみに、我が家には、グレコのエレキは、1本残してある。
トップ写真のギターが、そうだ。
学生時代に買ったギターのうち、今も我が家に残してあるギターは、アコギ・エレキ含めて、もうこれだけだ。
学生時代の私のことを知ってるギターは、我が家ではこの子(?)だけ。
そういえば今、こんな独自のサービス品をつけてくれる楽器メーカーって、あるのだろうか。これもまた企業努力だったのだろうね。
楽器屋は、客がその店でギターを買うと、シリコンクロス、弦、ピックなどをサービスでつけてくれることが多いけど。
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