以前、ある芸人が語っていたことだが、持ちネタがあったとする。
そのネタが「お笑い芸人のネタ」だと、一度見たネタは「あ、これ知ってる」「またやってる」などとお客さんに思われたりするとやりにくいことがあるが、そのネタが楽曲になってると、何度もやっても大丈夫だったりするからミュージシャンはうらやましい・・・ということ。
なるほどなあ・・・と、私は思った。
確かに、知ってるネタや、見たことがあるネタを芸人がパフォーマンスしてると、以前ほどには笑えなかったり、「あ、このネタか」と思ったりして、少し笑いのテンションは落ちたりすることはある。見てる客の立場だとね。
だが、そのネタが曲になってると、笑い方は最初に聴いた時ほどではなかったにしろ、暖かい目で見れたりする。
笑えなくなっても、曲としての側面があるからかもしれない。
それはなぜだろう。
歌とお笑いのネタの性格の違いだろうか。
歌だと、歌詞が決まっていたりするから、客としては自分のものにしやすいからだろうか。
歌というのは、客に覚えてもらって、「広がる」ことが「良いこと」になっていたりする。
だから、シンガーがその歌を歌って広まっていくと、その「歌詞という名のネタ」は、皆のものになる。だから、シンガーとお客さんが一緒に歌うこともできる。そうなると、そのライブの盛り上がりにも繋がったりする。
一方、お笑い芸人の「ネタ」だと、基本はそのネタは、その芸人だけのものだと思う。
もちろん、パロディなどで、違う芸人のネタやフレーズを他の芸人が使うことはある。
でも、それは決してその人のものではない。借り物感はある。
歌だと、不特定多数のものになり、お笑い芸だとその芸人だけのだから?
いや、でも、お笑い芸人の「決めフレーズ」などは、流行語になって色んな人が使うようになると、それはそれで受けると思うが・・。
もしかしたら、お笑い芸人の「決めフレーズ」は皆のものになるが、ネタはシナリオだから、皆のものにはなりにくいからだろうか?
「楽曲」という形になってると、その演奏法・アレンジは変えることができる。
アレンジなどが変わると、その曲にまた新たな鮮度があらわれる。
それは、歌手が変わることでもある。
ボブ・ディランなど、歌詞やメロディや歌い方、アレンジなどをツアーごとに変えたりしてるし。
そういう意味では、楽曲になっていたほうが、新たな鮮度を加えられやすいからではないだろうか。
一方、お笑いのネタだと、日によって芸人のテンションやノリが違うことはあっても、基本は内容は同じだ。
シナリオを変えない限り。
だから、一回見たことがあるネタは「あ、これか」になりやすいのではないだろうか。
ただ、芸人がお馴染みのネタを披露してて、途中からアドリブなどでどんどんシナリオが変わっていったりすると「あ、これか」ではなく「おっ!?」になるかもしれない。
その点、萩本欽一さんなどはアドリブ重視だった。
もしかしたら上記のことを考えていたのだろうか。
萩本さんのお笑いは、共演者のその場のリアクションによって、話の展開がどんどん変化していったものね。
萩本さんが他者とからむ番組では、「あ、これか」ではなく「おっ?!」「おいおい」という場面が多く、その意味では鮮度があったものね。
そういう意味では、ネタのアレンジが毎回違うようなものだ。
ただ、それをやるには、萩本さんのような並はずれたセンスや才能がないと難しいんだろうね。
どんな人のどんなリアクションにもツッコミを入れられた柔軟性、そしてそれをすかさず笑いに変える頭の回転の早さ、機転などは天才だから。
たとえ相手が平凡な反応を返しても、萩本さんはそれを見事にお笑いに変えて、客受けをとっていたもの。
まあ、お笑いは私は大好きだが、ハウトゥーはよく知らない。
だから、的外れな見解かもしれないけど、ふとそんなことを考えてしまった。
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