今でこそ番組などの録画というものは当たり前のようなことになっているが、世の中にはビデオデッキというものがまたなかった時代があった。
というか、録画ということが出来るようになったのは、ビデオデッキの登場と普及が大きかった。
ビデオデッキというものがなかった時代、テレビ番組はひたすらリアルタイムで見るものだった。
もしリアルタイム放送を見逃してしまったら、いつあるかわからない再放送に望みをかけるしかなかった。
ではいつごろビデオデッキなるものが登場し、普及していったのか。
若い人は、そのへんのことを知らない人もいるだろう。
私はビデオデッキの普及をリアルタイムで見ていたが、あまり詳しいことは覚えていない。
だがビデオデッキが登場した時のことは、かすかに覚えている。
当初は、ともかく値段が高かった。
おいそれと一般家庭が買えるような値段ではなかったと思う。
あれば便利だなとは思ったし、欲しいとも思ったが、なにせ高価。
なので、親におねだりするわけにはいかなかった。
プラモデルやボードゲームなどをねだるのとは桁が違ったから。
買えるのは一部の大金持ちだけだろうなと思ったのは覚えている。
「こんなの贅沢品だよ」などと言って、自分をあきらめさせていた。
調べてみたところ、家庭用ビデオデッキが登場したのは、1970年代中盤から後半あたりらしい。
だが高価ゆえ、当初は一般家庭に普及するまではいかなかった。
それが変わり始めたのは80年代以後。
80年代中盤頃になると、デッキの値段も下がってきて、ビデオソフトも充実してきた。
やがてレンタルビデオ屋なるものも出てきて、一気に一般普及していった。
多分私が最初のデッキを入手した頃は、80年代の半ばの頃だった気がする。
で、デッキを入手してからは、ちょっとでも見たい番組があると、すぐに録画していたと思う。
レンタルビデオ屋もたまに利用した。
最初の頃私がよく借りてたレンタルビデオソフトは、古いアニメのビデオだった。
他にも、年代的にリアルタイムでは見れなかった古い特撮ヒーローのビデオも借りてきては観てた。
テレビからは、観たい映画や、音楽番組、大自然ドキュメント、旅系ドキュメントなどの番組などをよく録画していた。
特に印象に残ったのは、NHKで放送された「地球大紀行」というサイエンス番組だった。
それと深夜で放送されてた「リバー・ウォッチング」という番組も好きだった。
家にビデオデッキが来てからというもの、部屋には欠かせない必需品になっていった。あっという間に。
リアルタイムでは観れそうもない番組であっても、録画しておけば確実に観れたし、しかも何度も観れた。
好きな映画の放送があった時、それを録画しておくことで、映画もタダで観れるような気分にもなれた。
こうなるともうビデオデッキのない生活は考えられなくなった。
部屋にテレビがあるのと同じぐらい、ビデオデッキは「部屋にあって当たり前」の存在になっていった。
あれもこれも録画していくうちに、録画したテープの数も溜まる一方になっていった。
やがてはせっかく録画しておいたのに、「いつでも観れる」と思うと、せっかく録画したのに観ていないテープの数も増えていった。
「いつか観るつもり」ではあっても、その「いつか」は延び延びになり、その「いつか」は中々来なかった。
中には観たテープもあるが、観てないでたまるテープの数のほうが増えていくようになった。
これって、とりあえず録画してあるということで安心したり、満足したりしてたのかもしれない。観てもいないのに。
ただ・・あまりにテープの数が増え、それが狭い部屋の中のスペースを圧迫するようになってきたため、少しづつ「手当たり次第」に録画するのは自重するようになった。
それが自分の中で定着していくと、以前ほどには録画しなくなっていった。
まあ、こんな流れだった人は当時多かったんじゃないかな。
その後、録画というものは世の中にすっかり定着していき、テープがDVDなどに代わっていっても、録画という機能はすっかり浸透している。
その結果、テレビの視聴率というものの信ぴょう性も少し薄らいできているように思える。
こうして録画という機能がすっかり当たり前のものになっている現代だが、まだそんな機能が一般的ではなかった時代のことをたまに思い出すことがある。
リアルタイムでしか観れなかった時代で、なおかつ我が家にまだ風呂がなかった頃は、風呂は銭湯に入りにいくものだった。
観たい番組の毎週のタイムテーブルは少年だんぞう・・・というか幼年だんぞうの頭に中にすっかりインプットされ、銭湯に入りにいく時間帯は、観たい番組の放送開始時間から逆算して出かけなければいけなかった。
たとえば夜7時から観たい番組があった場合は、夕方6時頃には銭湯に入りに行ってたはずだ。
で、銭湯から出て、銭湯の脱衣所で湯上りのコーヒー牛乳などを飲み干し、夜風にあたりながら家に帰る道すがら、星空を見ながら、この後観る番組に思いをめぐらせていた。
で、家に帰り、テレビの前に座り、観たい番組のオープニングが始まると、「よし、今日も間に合った」と安堵しながら、その番組を味わっていたと思う。
その安堵感は格別であった。
録画が当たり前になってしまってから、上記のような安堵感を味わうことはなくなっていったような気がする。
かといって録画機能のなかった時代に戻りたいとは思わない。
だいいち、風呂なら自宅にある。
なので、放送時間帯に合わせた逆算も余裕。
ただ・・銭湯からの帰宅の道すがら、ぽっかぽっか暖まった体を夜風にあてて、星空を見ながら家に帰れば、そこに観たい番組が待っているというサイクルの楽しみが、たまに懐かしいことはある。そこにはこれから観る番組への思いを馳せるという楽しみもあった。
今当たり前に出来てることが、実はどれほどありがたいことなのかということを実感もしながらも、上記のような不便さとそれゆえに感じられた楽しみも、それなりに良かった気もしてはいる。
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