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まだ私が半分少年時代だった頃。安いラジオを親に買ってもらったばかりの頃。
テレビは親がチャンネル権を握っていたので、私は部屋にこもってラジオを聴いてることが多くなった頃。
ある日ラジオをつけたら、最高にご機嫌な曲が流れてきた。
♪ 赤いチェックのシャツをなびかせ~
それは、サディスティック・ミカ・バンドの「サイクリング・ブギ」という曲だった。
もう、一発で気に入ってしまった。なんだが、アメリカのヒットチャートに登ってきそうな、洋楽のヒットソングのようにも聴こえたが、歌詞はまぎれもなく日本語。
この曲のタイトルと歌詞は、それまでに当時買っていた何かの雑誌で見かけたことがあったし、サディスティックミカバンドというバンド名も私は雑誌で知っていたので、「おお、これがそうか、こういうメロディだったのか」などと思い、すぐに分かった。
サディスティック・ミカ・バンドが、元フォークルの加藤和彦さんのバンドであることも、雑誌などからの知識で知っていた。
それまで加藤さんといえば、なんといってもフォークルのイメージがあったし、北山修さんとのデュオによる「あの素晴らしい愛をもう一度」などのイメージが強かったのだが、ミカバンドのこの曲で、それまでの加藤さんとは別の面を見せられた気がした。
その後少しして、ビートルズにハマった私。
で、ジョンがプラスティック・オノ・バンドというグループを作っていたことを知り、ミカバンドのバンド名はそのパクリかな・・などとも思ったが、でも音楽性は全く違うので、素直に好きになれた。
だが、アルバムを買うまではいかなかった。
欲しかったのだが、当時の小遣いでは、金銭的にあれもこれもLPを買う余裕はなく。
ただ、機会があれば、ミカバンドの他の曲も聴いてみたいという思いは、いつも心の中にくすぶりつづけていた。
で、それがしばらく続き、私はラジオの深夜放送にますますのめりこんでいった。
で、ある時、パーソナリティがミカバンドの曲を流すことを語った。
すかさず私は、ラジカセの録音ボタンを押して、曲が流れるのに備えた。
もしかしたら「サイクリングブギ」かな?と期待しながら。
でも、タイトルは「サイクリングブギ」ではなかった。
ちぇ、サイクリングブギを録音したかったのに・・などと思いながら、その曲を聴き始めた。パーソナリティが紹介したはずの「曲タイトル」は、聴き逃してしまった。
初めて聴くその曲は、「サイクリングブギ」に比べたら、やや地味に感じた。
だが、録音したカセットを、その後何度となく聴くにつれ、その「地味に思えた曲」が、だんだん好きになってきた。
なんとなく、その雰囲気に惹かれていき、歌詞とメロディのマッチングも好きになり、すごくドリーミーな曲に思えてきて、聴いててふわふわするような、心地よさを感じた。
初めは地味でも、何度も聴くうちに染み込むように好きな度合いが上がっていき、やがては、大のお気に入りの曲になった。
途中で、ボーカルにかかるリバーブ(?)が深くなり、まるで夢の中にいるような気分になれる仕掛けも好きになった。
ただ、曲の正式タイトルは前述の通り聴き逃していたので、とりあえず、歌詞の出だしの歌詞を手掛かりにして、レコード屋さんに売られていたミカバンドのアルバムをあさり、それらしきタイトルの収録曲を探した。
歌詞の出だしは
♪ 銀河の果てに腰かけては~
であった。
すると、その出だしの歌詞そのものが曲の正式タイトルになっているのがわかった。
収録曲のリストに「銀河の果てに腰かけて」というのがあったからだ。
だが、ミカバンドのアルバムを買うまでには、なかなかいかないまま、月日が流れていった。
聴きたいミュージシャンの、色んな新作アルバムが次々に現れるからだった。
幸い、友人でミカバンドのアルバムを持っている奴がいたので、その友の家に遊びにいけば、リクエストすればいつでも聴けたし、時には強制的に聴かされた(笑)。「いいから、聴け!」と言われて。
やがて、中古レコードバーゲンに行き、ミカバンドのアルバムの中古を探したりもしたのだが、中々中古では見つからなかった。
ある日、サディスティックス名義のアルバムの中古は見つけた。
サディスティックスはミカバンドが解散してから、加藤和彦などを除いたメンバーによって新たに結成されたバンドで、ミカバンドの後継バンド的な存在ではあるが、ミカバンドそのものではなかった。
なので、「銀河の果てに腰かけて」がサディスティックスのアルバムに収録されてるわけではなかった。
それは分かってはいたのだが、めったに出ない中古なので購入。
とはいえ、やはり「銀河の果てに腰かけて」を入手したわけではないことには変わりない。
結局、「銀河の果てに腰かけて」が入っているミカバンドのアルバムを入手したのは、CDの時代になってからだった。
随分、時間がかかってしまった。
それだけに、入手した時は、「やっと手に入れた」という気分だった。
当然、カセットで聴いていた時よりも、音がいい。
あらためて、その曲のサウンドをじっくり聴けて感慨深いものはあった。だが、その一方で、カセットの音質で聴いていた時に感じた時の雰囲気も私の中では忘れられなかった。
おそらく、カセットの音質で聴いていた時の印象が強かったからだろう。
CDで聴けるくっきりした音だと、サウンドの細かいところまで聴け、サウンドの全体像はわかるけど、カセットで聴いていた時の、良くも悪くも少しモヤ~ッとした感じも捨てがたかった。
本音をいうと、少しモヤ~ッとした感じで聴けたカセットでの音源のほうが、私は好きだったかもしれない。というか、それになじんでいたから。
音は明らかにCDのほうがいいのに。
その点不思議なものだ。
きっと、カセットで聴いていた時のモヤ~ッとした感じは、私が十代前半の時の空気に包まれていたからではないだろうか。あのモヤ~ッとした空気の中で流れてたその音源に、十代の自分を重ね合わせ、その頃の色んなことが詰まっていて、より身近に感じられてしまったのかもしれない。
最初に聴いたバージョンというのは、やはり後々まで尾を引くのだと思う。
そんなことを考えると、音楽って、音質が良ければいい・・とは言い切れないものだと思う。
音質がモヤッとしてると、リスナーとしてはそこに想像力を働かせる余地がある気がする。
そういえば、昔フィル・スペクターの作っていたウォールオブサウンドなどは、それに近いものがあったように思う。聴いてて想像力をかりたてられるサウンドだった。
銀河の果てに腰かけて。
いい曲だと思う。
鼻歌でも歌えそうな、歌いやすいメロディライン。
地味なようで、よく聴くと仕掛けもしてあるアレンジ。
ドリーミーな歌詞。そしてその雰囲気。
名曲と断言するほどには、かまえて聴かなくてもよくて、味わうに良し、聞き流すにも良し。
アルバムの中にあって、アルバムを心地よく演出するのに一役買っている曲。
私にとって、今でも好きな曲。
ただ、私にとっては、カセットで聴いていた、音質のよくないモヤ~ッとした音質の音源こそ、この曲の幻想的な要素がより膨らみ、リスナーに想像力を与える音源だった。
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