また今年もジョン・レノンの命日が。
なかったことにしてほしい日が。
その最後の迎え方があまりにも衝撃的すぎたので、今でも喪失感が私の心に残っている。
亡くなってもう何十年もたっているというのに。
今年もジョンを偲んで。
ビートルズの曲のかなりの数をレノン・マッカートニーコンビが作っていることは周知の通り。
曲の作者のクレジットがレノン・マッカートニーであっても、実際にはどちらかが主に単独で作っていたことが多いということも、今ではよく知られている。
スタンダードナンバーとして残っている曲や、売り上げ数の多い曲、カバーの数が多い曲としては、ジョンよりもポールの作った曲の方が多いのも事実。
「ヘイジュード」「イエスタデイ」「レットイットビー」など。
そう、商業的な成績では、ポールはジョンに勝っているといえる。
その事実は今は広く知られている。
だが、ジョンの評価や愛され方は、ポールに勝るとも劣らない。
そんな事実がある。
ジョンがあまりにも早く、衝撃的な亡くなり方をしたため、亡くなってから神格化された部分はある。
だが、それを割り引いても、ジョンの評価や人気がポールに勝るとも劣らない・・どころか、場合によってはポール以上だったりもする。
それはなぜだろう。
私が思うに・・
レノンは、自分をさらけだしてくれる人だったからではないだろうか。
普通の人なら隠しそうな、弱さや感情の高ぶりなどを。
彼の曲を聴いてると、そう思うことがある。
例えば・・・「ジェラスガイ」での「僕は嫉妬深いだけなんだ」という歌詞。
「マザー」での、子供が泣き叫ぶような「ママ、行っちゃいやだ パパ、帰ってきて!」という絶叫。
「オーヨーコ」での、なんでもないプライベートな日常の様子。
などなど、特にソロになってからの曲には、そういう要素が強かったと思う。
他の人なら、そういう要素はたとえ実際に持ち合わせていたとしても、曲でさらけ出すようなことは避けたりする場合は多いのではないか。
例えばポールが「僕は嫉妬深いだけなんだ」とか「ママ、行っちゃやだ!」という歌詞を書くとは思えないし。
普通の人なら隠しておきたいようなことをさらけだされると、聞いてる人としては、正直な感想として共感もするし、親近感も感じるのではないか。
音楽家・・というより、人間レノンに対して。
しかも、20世紀を代表するスーパーバンドのリーダーだったほどの大物が、そういう面をさらけだしていたのだ。
もちろん、レノンは音楽的な才能も並みではなかったわけだし、その「さらけだした」内容が、高い音楽性で表現されていたのだ。
音楽面での成果の数字ではポールの方が上だったとしても、人々から受ける「共感」「親近感」ではポール以上のものがあるのかもしれない。
だからこそ、ポールに勝るとも劣らない人気や評価を受けているのだと思う。
曲・・・とりわけその歌詞は、作者が自身をさらけだしている内容だと、そこに強い説得力もある。レノンの曲が「深い」とされたのは、そういう点もあったと思う。
本音として、共感も覚える。リスナーの胸をうってくる。
だからこそ、音楽面だけでなく、人間として、皆レノンが好きなのではないだろうか。
この「歌でさらけ出す」というのは、案外難しいものだと思う。
歌で、あえて自分の中で隠しておきたい感情を白状するようなものだから。
つっぱったり、かっこつけたりしたりしてると、中々そういう歌詞は書けないものではないだろうか。
そういう面は見せたくない・・・そう思ってもおかしくないからだ。
アーティストがイメージ戦略も大切なのだとしたら、普段「強い系」や「かっこいい系」や「神秘系」のイメージがあったりすると、なおさら。
私など、仮に・・レノンの歌で歌われてるような体験を私自身も体験してたとしても、それを歌にすることはできないかもしれない。
もちろん、仮に歌にしようとしたとしても、レノンほどの作品など書けないのは分かっているが、それ以上に・・・それを歌にしようとは思わないかもしれない。
自分の胸のうちにしまっておき、ある意味「隠しておきたい」と思いそうだ。
ただ、そういう体験や感情は、なんらかの形で表現したいと思うかもしれないし、曲作りの大きなモチベーションにもなりうるので、作ることはあるかもしれない。でも、作ったとしても、ある程度は内容をボカしたり、比喩で表現するかもしれない。そのものズバリじゃなくて。
自分の中の「弱さ」や闇の部分を歌でさらけだすのは勇気がいると思う。
だからこそ、レノンほどの大物がそれをやってくれた時、前述の通り「共感」や「親近感」も持ったし、感動もした。
歌の歌詞には、けっこう「きれいごと」な内容の歌は世にたくさんある。
そういう曲は、聴いてて耳触りはいい。
でも、核心の部分で心に響いてこないこともある。
そんな中で「きれいごと」ではない、「さらけだした」歌詞の曲を聞くと、心に響いてくる。
それは「きれいごと」だけで世の中を渡っていけるわけではないからだろう。
決して「きれいごと」で世界が回っているわけではないからだろう。
そんな・・・気がする。
https://www.youtube.com/watch?v=sPYsMM1FvXs
↑ 「マザー」という曲。これを初めて聴いた時、私は度肝を抜かれた。衝撃だった。鳥肌がたったのを覚えている。
前半の伸びやかな曲調の部分も素晴らしいが、特に終盤の絶叫の部分。
親と離れ離れになった時、子供は親を求めて怪獣のように泣き叫ぶことがあるが、この曲の叫びには、その生々しい感情があり、聴き手の心に突き刺さってくる。
この曲、国によっては、放送禁止になった国もあったらしい。「狂気じみている」と判断されて。
今もこの曲を聴くと、私は震えが来る思いだ。こんな曲を作れるのは、ジョンしかいない。
ちなみに、私にとってレノンの曲にはこの日記で書いたような魅力があるが、一方ポールの持つ作風の親しみやすさや大衆性や幅広さも私はリスペクトすると共に愛してやまない。
それだけは念をおしておきたい。
今はただ・・・ジョンには、死後の第2の人生を楽しんでもらいたい。それを願うばかりだ。
ジョン・レノン射殺事件の日、私は、まだ1才でしたから、もちろん全く記憶にありません。
ビートルズ・ファンになったのは中学2年生、14歳の頃でした。
当時は、ビートルズ各々4人の生涯・思想・そして音楽など、全く詳しくなく、ましてや「ジョン・レノンは、すでに亡き人」であることを知ったのも、中学2年生も終わる頃でした。
しかし、その当時から、ビートルズ熱をぐんぐんと上げていった私は、瞬く間にジョン・レノンこそビートルズの中でもナンバーワンとなりました。
音楽面で言えば、ポール・マッカートニーの楽曲に魅せられることは多かったです。
しかし、人間的・精神的には、ジョン・レノンは、ポール・マッカートニーの何百倍、何千倍と圧倒的な深さを持っていると感じました。
ビートルズ(解散後も含む)に関する書籍でも、最も多く所有し、最も興味深く愛読しているのは、ジョン・レノンです。
ソロ・アルバムや企画アルバム、DVDでも、最も多く所有しているのもジョン・レノンです。
さらに私が家族を始め、友達や、ライブハウスにて音楽を愛する仲間たちに多く語ってきたエピソードも、ジョン・レノンに関するものが圧倒的です。
まさしく「ジョン・レノンという極めて広大にして深遠な湖は、向こう岸に決して到着出来ない」イメージがあるのです。
そう言えば、ジョン・レノン、ソロ楽曲に「クリップル・インサイド」という作品がありますね(アルバム『イマジン』収録)。
その歌詞が、まさしく「どんなに繕おうとしても、心の曇りは決して隠せない」という内容です。
私の少女時代は、この楽曲に大して興味を持っていなかったのですが、大人である現在、心に最も響いてくるのです。
全編カヴァーソングであるアルバム『ロックンロール』にしても、言うまでもなく天才中の天才であるジョン・レノンの雄叫びが私の全身全霊に直撃し、心の底から感激しました。
尤もビートルズ時代にも、「ツイスト・アンド・シャウト」「アンナ」「ロックンロール・ミュージック」など、原曲の魅力を遥かに越えるカヴァーソングを発表していますよね。
そういう事のため、私は、ジョン・レノン命日に開催される『ジョン・レノン・スーパーライブ』など、本当に大嫌いなのです。
ジョン・レノン楽曲を歌う際に、参加ミュージシャンの英語発音が下手であるだけでなく、とてつもない違和感・不快感があります。
それも、そのはずです。
だんぞうさんもおっしゃる通り、ジョン・レノンは一切包み隠さない、真っ正直な心で(魂で)、自分自身を歌っていたのですから。
第3者に、見事に歌えるはずがありません。
忌野清志郎さんのような極めて稀少な特例はありますけどね。
ジョン・レノンに対しては、語っても語っても語り尽くせないので、この辺りで失礼いたします(笑)
そのニュースを知った時、ポカーンとしたというか、現実感がなく、事態が呑み込めなかったです。
学校でそれを聞かされ、夢遊病のように帰宅した覚えがあります。
あれからもう何十年、、、。
ウソのようです。
私はレノン・マッカートニーというコンビにあこがれました。
究極のソングライターチームに思えました。
今もその思いはあります。
毎年12月8日が来ると、どうしても思い出してしまいます。
埼玉のジョンレノンミュージアムに行った時は、ジョンが若い頃に使ったギターや、サージェントペパーズで着た服などもありました。
ヨーコが日本人だから、日本でも開催されたと思いましたし、ヨーコには感謝した覚えがあります。
よくぞ日本でも開催してくれたなあと思って。
マザーを聴くと、いつも切なくなります。
イマジンに入ってた、クリップルインサイドは私も好きでしたよ。
そんな私でもあの日の事はすごく鮮明に憶えています。
あれはちょうど大学を辞めて念願の仕事ができる会社に入ったばかりの頃。
確か火曜日だったと思います。
お昼過ぎに出先から戻ってきた私の直属の女性上司。その顔色は蒼白。そして椅子に座ると同時に突っ伏して号泣し始めたのです。
私は大人の女性があんな風に泣くを初めて見ました。
そう、彼女は会社に戻る途中ビルの電光ニュースの速報でジョン・レノンの死を
知ったのでした…
後で聴いた話では彼女は熱狂的なビートルズ、とりわけジョン・レノンのファン。
大学生だった1979年には、軽井沢で約2ヶ月の間張り込みの結果、
自転車に乗ってパンを買いに来たジョンと息子さん(ショーン?)と遭遇し、
写真撮影とアルバムへのサインをゲットしたというツワモノです。
彼女のデスクには大判に伸ばしたその写真が飾られており、
家にはその写真とLPレコードを額装したものが置いてあると聞きました。
ちなみにその写真は左に彼女、
真ん中に自転車のハンドルを握るジョンと後ろに座る眠そうな息子さん。
ジョンは麦わら帽子に白っぽい開襟シャツと半ズボンという姿で、
息子さんがほぼ同じファッションだったのが微笑ましかったです。
多くの人にとっては1人の有名ミュージシャンの死ですが、
彼女のように人生にも大きな影響を与えた1人の「人間」の死として感じ、
本当に大きなショックを受けた人もいた事でしょうね。
でも、年々あの事件を取り上げるメディアが少なくなっているような気がします…
漫才師の暴言とかお相撲さんの暴行・引退とかどうでもいいニュースばかりが
クローズアップされてますが、この辺どうなんでしょうね…
犯人のチャップマンがいつまでも牢から出てこれなかったのは、牢から出てきたら誰に命を狙われるかわかったもんじゃなかったから、、、という説もありました。
レノンのファンの多さもありましたし、そういう人たちから相当恨まれてるはずですから。
捨丸さんのその女性上司、筋金入りのレノンファンですね。
なんか、私と話が合いそう(笑)。
軽井沢でレノンを2ヶ月も張ってたというのは脱帽ものですね。
でも、張ってたかいはありましたね。
報われてよかった。
そんなリアル体験があると、なおさらレノンに親近感持つはずですね。
ある意味、身内や友人に近い親近感だったかもしれません。
なんか、、、日本でプライベートレノンに会えたなんて、羨ましいです。
レノンが死んでからもうすぐ40年、、、。
信じられないです。早いなあ。
いろいろ調べてみると、まだ服役してるみたいですね。
本人はずっと保釈申請をしてるようですが、だんぞうさんのおっしゃる通り、
仮釈放したらジョンのファンに即殺害されるだろうという名目で、
当局が申請を却下し続けてるみたいです。
「私は誰にでも寛容な人間だと思う…でも、こいつだけは許す理由が見つからない…」
これは事件後のポール・マッカートニーの言葉だそうです。
件の女性上司、毎年12月8日はNYに飛びダコタ・ハウスに行き、
またセントラルパークに「イマジンの記念碑」ができてからは
そこでも多くのファンとイマジンを合唱していたそうです。
確か事件を映画化した作品が何本かあったと思いますが、
そのうちの1本「チャプター27」でジョンを演じた俳優の名前が、
なんと「マーク・L・チャップマン」!
なんとも皮肉な事です…
もっともキャスティング時にウケを狙って彼を使ったとういう説もあるみたいです。
この映画自体は話題性以外に観るべき点はありません。
なんだか全体的にザラついてて安っぽい作りでした。
ヨーコの許可が出ない部分が多かったようですね。
個人的にはジョン殺害に至るチャップマンが人間的過ぎるような気がしました。
タイトルの「チャプター27」はチャップマンの愛読書で逮捕時も持っていたという
小説「ライ麦畑でつかまえて」が全26章で、事件はその次章という意味だそうです。
そうか〜もう40年経つんですね〜歳とる訳だ…
リンゴやハリスンも同じ思いだったと思いますが、特にポールはパートナーでしたからね。
その女性上司は、今も毎年レノンの命日に現場に行ってるのかもしれませんね。
凄い。その行動力、敬服します。
チャプター27は、見たいような、見たくないような。
チャップマンに関しては、いかなる事情があったにせよ、レノンを殺した事実はかわりません。
どんな人生を送ってきたにせよ、いっさい共感する気は私はありません。