時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

平成生まれが、いずれ年寄り扱いに

2019年03月06日 | 日々の、あれこれ

2019年5月から元号が新しい元号になる(新しい元号が何であるかが発表されるのは4月)。

 

巷では、新元号が何になるかの予想があったりもしている。

今の段階で実はすでに新元号が決まっているのか、あるいはまだ決まっていないのか、それはわからない。

マスコミは、できれば新元号をすっぱ抜きたいのだろう。

だが、元号は、たとえ決まっていたとしても、どこかにすっぱ抜かれて世に出てしまったら、その元号は使わないらしい。

その場合、違う元号に代えるらしい。

 

ということは、すっぱ抜きはできないということになる。

 

私はそのほうがいいと思う。

じゃないと、マスコミがすっぱ抜き合戦になるかもしれないから。

どこかがすっぱ抜いたら最後、その元号は使わない・・・それぐれいでちょうどいいと思う。

 

そういうのがあってもいい。

 

なんでもかんでもすっぱ抜けばいいというものでもないと思うから。

もちろん、すっぱ抜いてもいい事柄もあると思うし、すっぱ抜かねばならないこともあるとは思っている。

でも、誰もわからない・・・一般大衆もマスコミもわからなくて、誰もが平等に知らされることもあってもいいと思う。元号など、その例のひとつに思える。

だいいち、新しい元号を仮にどこかのマスコミがすっぱ抜いて、それがそのマスコミの利益になってしまう(例えば部数アップとか)のは、ちょっと・・・と思う。

 

 

また、元号は、その存在意義を問う意見も巷では存在する。

で、その意見というのは、もう元号はやめて西暦で統一しようよ・・・という意見だ。

まあ、その気持ちもわかる。

現に私など、昭和から平成に元号が変わってから、年度を言ったり書いたりする場合は基本的に西暦で言ったり書いたりするようになっている。

じゃないと、わかりづらいし、どうも年月経過を把握しにくくなったから。

 

仕事に関する年度表記や、書類や手続き上の表記では、正直西暦で通してもらいたいし、そちらのほうがわかりやすいから。

例えば、車の免許証などはいまだに元号表記だし。

こうした手続き上の表記は西暦で統一してもらいたい。

これだけ普段から「グローバル」であることを意識する時代に、日本でだけしか通じない元号という表記にこだわるのは、世の流れと矛盾しているような気もする。

 

だが私は・・元号という制度を、廃止してもらいたくはないとも思っている。

古来の日本から続いてきている伝統なんだし、元号の存在は守っていってほしいとは思っている。

ある年を境に、それまで日本でずっと続いてきた元号がなくなってしまったら、さみしい。

日本の歴史はこれからも続くのだし。

もしなくしてしまったら、未来人が過去の日本の歴史を学ぶときに、「なにもここで急にやめなくてもよかったのに」などと思う未来人だっているかもしれない。

そんな時、未来人に責任がとれない(???)。

 

つまり・・制度・仕事・手続き上の年度表記はどれも西暦に統一し、元号は「伝統」として継続させていく・・・そんな感じにできないものだろうか。

元号の露出や使用頻度は減ることになるだろうけど。

 

手続き上などでどうしても元号を使いたい場合は、西暦と併記すればいいのではないかなあ・・などと思う。。

で、手続きをする人は、西暦と元号のどちらかを選べるということで。

 

基本は表記は西暦で。でも、伝統として元号も廃止はせずに残しておく。

そんな方向性で行ってほしいのだが。

矛盾しているだろうか。

 

 

ところで・・・昭和生まれの私は、平成が終わって新しい元号になったら、3時代を生きることになる。昭和・平成・そして新たな元号の時代の3時代。

昔・・・昭和の時代に、昭和の2元号前の「明治」生まれの人は、かなり年寄りに思えたものだった。

ということは・・新しい元号の時代に生まれる人にとって、2元号前の昭和生まれの人は、かなりの年寄りに思えてしまうのだろうなあ。

新しい元号生まれの人にとっては、平成生まれの人も「前時代の人」になるわけで、平成生まれの人のことを古く感じていくはず。

ということは、昭和生まれなど、なおさらであろう。

 

そのへんを考えると、ちょっと複雑。

元号をやめて、西暦に統一しよう・・という意見の理由が、その人の生まれた元号がどんどん古くなっていって「前時代の人」「前前時代の人」にされてしまうから・・・という理由であるなら、その理由に関しては、正直共感は覚えてしまう(笑)。

 

 

大昔、「明治は遠くなりにけり」という言葉があったようだが、今となっては「昭和は遠くなりにけり」だなあ・・・などとつぶやきたくもなってきた。

そして、平成も「前時代」になる・・・と。

 

 「三丁目の夕日」は、昭和時代を舞台にした平成時代の映画だが、いずれ新元号の時代に平成時代を舞台にする映画が作られるのだろう。

平成版の「三丁目の夕日」が作られ、平成時代を懐かしく感じる時が。


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6 コメント

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Unknown (鮎川愛)
2019-03-08 09:40:24
かつては韓国・中国も元号を使用していましたけれど、今では日本だけの文化になりましたね。


御存知の通り、元号と皇室の関係は、決して切れない縁があります。


その為、元号を廃止する必要もありませんが、西暦最優先する社会が理想的ですね。


「世界に開かれた日本」として。


昭和・平成、果たして次は…?

きちんと古典から由来と由緒ある立派な命名になることを祈っています。
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Unknown (だんぞう)
2019-03-08 10:23:20
中国や韓国は、今ではもう元号は使ってないのですか?
基本は西暦で統一していても、国の伝統である元号は残しているのではないか・・・と思ってました。

そう、元号は天皇と密接な関係がありますよね。
なので、元号自体を廃止する必要はないと私は思っています。
日本は日本、中国は中国、韓国は韓国ですから。


ただ、手続き関係などは西暦で通したほうが、わかりやすいと思います。

外国人が日本で何か手続きをする場合、元号じゃわかりづらいでしょうし。
最近は日本人でもそういう傾向ありますから。


とりあえず、今は・・・新しい元号が何になるかは、興味あります。
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Unknown (鮎川愛)
2019-03-08 16:56:29
韓国では、「檀紀」という建国神話に基づく固有の元号を50年代か60年代まで使用していましたけれど、廃止されて、西暦のみになりました。


中国では、皇帝専制政治が辛亥革命によって倒されて、しばらくして元号も廃止されたようです。


共通していることは韓国・中国も共和国家ですが、日本は君主国家ですからね。


元号は、国民と供にある君主国家にこそ相応しいと考えます。


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Unknown (だんぞう)
2019-03-08 20:24:01
それぞれの国に歴史と事情ありですね。

なんにせよ、新しい元号が何になるかは、楽しみではあります。
ただ、手続きなどの書類では、西暦表記も選べるようにしてほしいです。
間違いや勘違いを防ぐためにも。
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Unknown (Unknown)
2019-03-27 22:30:10
もういまの時点でゆとりおじさんやゆとりおばさんかもね
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Unknown (だんぞう)
2019-03-27 22:54:40
(笑)。
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