1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り① 「白梅」の簡単な説明です
沖縄戦の代表的存在としての「ひめゆりの塔」は、圧倒的知名度がありますが、それに対し「白梅の塔」はどの程度の知名度、認知度なのか、自分にはちょっとわかりません。1990年代の戦跡巡り...
1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り② 八重瀬公園(本部壕)①
「白梅」が配属されたのは第二十四師団の野戦病院です。場所は県南部で、現在の八重瀬町にあ...
1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り② 八重瀬公園(本部壕)②
八重瀬岳の麓に本部壕があったとのことですが、1990年代当時はどこにあるのか、正直言ってサッパリわかりませんでした。(中略) 八重瀬岳の中腹に公園ができているが、その後方に野戦病院...
1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り③ 八重瀬公園(手術場) ①
今となっては崩落してしまった本部壕が、「下の壕」と呼ばれていたのに対し、碑が建っている...
1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り③ 八重瀬公園(手術場) ②
上記の画像は1990年代中頃で、季節は夏だったと思います。そして自分が初めてこの壕を訪れた時の一枚です。他の方のブログ等を拝見して比較してみると、情景は2021年現在とほとんど変わ...
1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り④ 手術壕の幻想的異空間①
前回の続きです。まずは引用から。(中略) 一坑しかない壕は長さが約三十メートルほど。壕は通り抜けになっていて、奥出口側には、樹木で空を覆い隠したような小さな広場があり、そこは比較...
1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り④ 手術壕の幻想的異空間②
前回の続きです。自分にとってとても魅惑的な、それでいて「幻想的な異空間」だった場所。この手術壕は他の方のブログや、Youtube等を確認させていただいたところ、2021年現在は2つ...
1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り④ 手術壕の幻想的異空間③
前回の続きです。出入口が1つしかなかったと信じていた手術壕ですが、2021年現在は2つであることが明らかになりました。なぜそのようなことになったかという答えを、自分なりに調べてみた...
1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り⑤ 劇的変化のヌヌマチガマ①
2022年現在ではガラビガマとともに、八重瀬町戦争遺跡公園として、その周辺地域を含め整備さ...
1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り⑤ 劇的変化のヌヌマチガマ②
上記の画像は現在のヌヌマチガマです。なお、自分は2022年現在の画像を持っていないので、内閣府沖縄総合事務局 が運営する、「沖縄文化・観光ポータルサイトOKINAWAN-PEARL...
- 1990年代の沖縄旅行 マウンテンバイクでほぼ縦断編(10)
- 1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り編(16)
- 1990年代の沖縄旅行 「ひめゆり」戦跡巡り編(19)
- 1990年代の沖縄旅行 いろんな場所編(29)
- 渡嘉敷島の集団自決 言い出しっぺがほったらかし~で読む「挑まれる沖縄戦」(6)
- 渡嘉敷島の集団自決 誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」(17)
- 渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い(29)
- 渡嘉敷島の集団自決 公式見解としての「渡嘉敷村史 通史編」(5)
- 渡嘉敷島の集団自決 その他(13)
- いろんな歴史いろんなミリタリー(65)
- 沖縄タイムスの持続化給付金不正受給(11)
- いろんなこと日記(87)
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- 沖縄の基地問題について(40)