空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 渡嘉敷島の集団自決跡地へ①

渡嘉敷島へ初めて行ったのは1997年3月15日です。
 
この当時の沖縄旅行といえば本島の戦跡巡りがメインで、
特に南部を中心にしてきました。
 
当時は東京で働いていて、
沖縄に住んでいたわけではありませんから、
やはり離島となるとなんだかんだいって、
スケジュールの都合で思うようにならなかったです。
 
それでも慶良間諸島全ては無理だとしても、
渡嘉敷島だけはどうしても行きたいと思いました。
 
3月14日金曜の夜、
といっても18時ごろだと思いますが、
仕事を終えてそのまま、
四谷から羽田空港へ直行。
20時ごろの最終便に搭乗し、

日付が変わった15日の深夜頃に那覇空港へ到着。
そして16日の日曜に帰るという、
ちょっと忙しい日程で渡嘉敷島へ旅行しました。
 
なぜ3月15日かというと、
3月下旬に集団自決が起こったのですから、
追体験というわけではないですけれど、
できるだけ同じ時期に行ってみたいなという、
単純な発想からこの日を選びました。
 
ま、時期をずらせば、
もっとゆったりとしたスケジュールも可能でしたけどね。
それにシーズンオフだから、
飛行機代はいつもより安かったです。
LCCはまだなかった時代の話ですね。
 
 
那覇空港へは0時ごろに到着でした。
バスは運航していない深夜ですから、
既に予約してあるビジネスホテルへ、
滅多に乗らないタクシーで行きました。
 
「とまりん」という、
フェリーターミナルにできるだけ近い場所を選んだから、
ビジネスホテルは前島か松山あたりだと思います。
 
自分は酒を飲みませんが、
飲み屋街があったから松山かな?
なんかもう忘れちゃいました。
ま、いいか…
 
「とまりん」から10時発のフェリーに乗って渡嘉敷島に到着。
ほぼ全員が市街地方面というか、
同じ方向に向かっていたので、
ホエールウォッチングなのか、
はたまたダイビングなのか知りませんが、
その集団から一人だけ離れて、
向かって右側に伸びる道路を歩きます。
 
とりあえず目指すのは国立青年の家。
今は国立青少年交流の家っていうんですね。
 
地図帳で事前に確認しときましたけど、 
一本道を歩くだけの、
迷うはずがないほど簡単な道順です。
ただ、ひたすら上り坂ですけど…
 
時間を確認していざ出発。
 
バスもタクシーもありませんから、
片道の所要時間を正確に把握しておけば、
帰りのフェリーに乗り遅れることはありません。
たしか11時30分だと思いますね。
 
グーグルマップのストリートビューで確かめましたが、
道路がキレイになっていますね。
歩道もあるし、センターラインもある。
 
1990年代はセンターラインや、
歩道が無かったような気がします。
 
いかにも村道というか、
地元の栃木にもありそうな、
舗装された林道みたいな、
普通の田舎道って感じのやつでした。
 
 
 
                  
 
 
 
 参考がてら、
当時使っていた地図帳の一部をアップロードしました。
やっぱり道路は今と若干違いますね。
 
 「おんながわら(恩納河原)青年の家うらあたり」と、
ボールペンで手書きしているのは、
その当時、その情報だけしかわからなかったからです。
インターネットがあまり普及していなかったあの時代、
一個人でこういった場所を特定するのは難しかったですね。
 
今ではそんな苦労もなく、
GPSやらスマホやらで簡単になりました。
 
でも、地図帳なんかを広げて地道に調べるっていう行為も、
案外面白いものでしたよ。
 
 
ちなみに「おんながわら」というのは間違いで、
実際の場所はフィジガーといわれています。
あの「鉄の暴風」に騙されました…
 
こんな感じで沖縄の戦跡巡りをしていました。
 
さて、 自動車が全然走っていませんでしたね。
住宅もなく田畑もないので、
地元の人も全く見かけませんでした。
 
完全な独りぼっちで、
トボトボ上り坂を進むだけです。
 
鳥がヘンな鳴き声するのが時々聞こえます。
「キョ~!キョ~!」って感じかな…
沖縄本島のヤンバルでも聞いたことがあるような鳴き声ですが、
何の種類なのかは知りません。
動植物にはあまり関心がないので…
でも沖縄でしか聞いたことのないような鳴き声ですね。
 
そうこうするうちに「白玉の塔」の入り口を発見。
 
                 
 
        
 
他の方のブログ等を拝見しましたけど、
現在とあまり変わっていませんね。
他の慰霊碑がこの時代より増えたぐらいかな、違いといえば。
 
「白玉の塔」の詳細については、
インターネット等でお調べくださいな。
簡単に検索できますので…
 
  
 
 
 
 こちらは白玉の塔から眺めた渡嘉敷港…のはずです。
多分、アングル的にはそうだと思うのですが、
ちょっと自信がありません。
でもやっぱり、
こんなヘタな撮影でも海の色がキレイですね。
 
1997年当時と現在、
渡嘉敷港の何がどう変わっているかわかりません。
いろんな施設が現在とは違うような気もしますよ。
ま、20年以上も前ですから、
当然といえば当然かも…
 
ちなみに「フェリーがない」と思い、
どこ行ったのかなぁ~なんて不思議がっていたのを覚えてますが、
後から調べてみたら、
ホエールウォッチングで出航していたのですね…
なんか納得。
 
この一年後にホエールウォッチングで再び渡嘉敷島に行きました。
その時の模様は、
「1990年代の沖縄旅行 渡嘉敷島でホエールウォッチング」
に書きました。
お暇な方はお読みいただくとありがたいです。
                                                                     
  
 
こちらも同じようにして城島を撮影。
 
休憩を兼ねて十数分程度の滞在でしたが、
再び独りで上り坂を歩いていきます。
 
次回以降に続きます。
 

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最新の画像もっと見る

最近の「1990年代の沖縄旅行 いろんな場所編」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事