軽い昼食と腰を落ち着かせた休憩で、
誰もいない、
自動車の音も何も聞こえない、
時に風がざわめくだけの、
たった独りの時間。
そんな静寂さを満喫していました。
集団自決という悲劇の場所でもあるのに、
「満喫」と書けば、
その不謹慎さを責められるかもしれません。
しかし、このブログは「平和学習」が目的ではありませんし、
上から目線で「戦争の悲惨さ」を無理やり押し付けるような、
バカな真似事もしたくはありません。
もし「満喫」という表現に興味がわいたのであるならば、
是非一度、現地に赴いていただきたいです。
そして、ご自分で何かを感じ取っていただきたいです。
それぞれの人が、
それぞれの思いを感じるだけで、
もうそれだけで十分だと思っております。
自分は全てにおいて「満喫」を感じました。
ただそれだけです。
さて、時々立ち上がっては沢の石をひっくり返して、
カニか何か生き物がいないか探したりもしました。
その当時は何もいなかったけど、
このブログを書くついでに調べたところ、
渡嘉敷島には「ケラマサワガニ」が生息しているのですね。
ま、ヤツらは夜行性でしょうから、
昼間はどこかでジッと身を潜めていたんでしょうね。
そうこうするうちに、
腕時計は午後2時10分ぐらいになっていました。
現在地から石碑まで20分程度ですから、
今から渡嘉敷港に向かうと、
遅くとも3時30分には到着します。
那覇泊港行きは午後4時発ですから、
そろそろ自決跡地から出ようと思いました。
降りてきた谷間と同じルートで登っていきます。
やっぱり下りより上りのほうがキツいですね。
汗をダラダラかいたのを覚えています。
ま、帰りは小休止なしで一気に登りましたから…
自決跡地の石碑に到着したのは午後2時30分ごろ。
このペースだとフェリーの出発時刻に間に合います。
またいつか来ることができることを期待して、
今度は渡嘉敷島に一泊でもしながら、
ゆっくりとしたスケジュールで…と思いながら、
青年の家の敷地に戻ります。
残念ながらその夢はかなわずって感じですが…
そのまま渡嘉敷港へ直行しようかと思いましたが、
「東展望台」という案内掲示板がありましたので、
時間を気にしながら行ってみることにしました。
青年の家へ行く道の反対方向です。
時間がかかるのなら諦めようと思っていましたが、
5分もしないうちに、
とても見晴らしのいい場所に到着しました。
「東展望台」から撮影した東シナ海です。
遠くに見えるのは前島ですね、方角的にいえば。
この「東展望台」で白い自動車と、
初めて人に出会いました。
女性の方だったですね。
大きな双眼鏡と無線機を持ち、
時々海のほうを見ているんです。
最初は何をしているのか、
はたまた密猟の監視でもしているのか?
よくわかりませんでした。
特に会話もしていないので、
実際はわからずじまいでしたが、
多分、ホエールウォッチング関係なのかな?
クジラを見つけて船に連絡するみたいな…
腕時計を見ると午後2時40分ごろでした。
フェリーの出発時刻は午後4時です。
徒歩で渡嘉敷港へ向かえば約1時間の行程だろうから、
余裕をもって降りることにしました。
青年の家を出発してからは、
どこにも寄らずにひたすら、
下り坂の道路を歩き続けます。
走りはしませんでしたけど、
いつもより少し大股に歩いて…ってな感じです。
一応、往路で1時間という計算をしていましたから、
復路も同じように考えていました。
しかも下り坂ですから、
あるいはもっと早く到着するかもしれません。
でも「間に合わなかったらシャレにならないな…」
という、若干の不安もありましたから、
ちょっとだけ早足だったのも事実です。
でも結局は渡嘉敷港へ、
午後3時20分ぐらいに到着することができました。
帰りは40分程度歩いたことになります。
思ったより早かったな…
1997年と2019年現在では、
道路の位置が若干違いますから、
今は徒歩でどれぐらいの時間がかかるのか、
ちょっと想像がつきません。
フェリーが出発するまで、
港の周辺をブラブラする時間もありました。
当然のことながら、
予定通りフェリーに乗れました。
そして無事に那覇の泊港へ帰ることができました。
次回以降へ続きます。