私が家のものから稲刈りを許されたのは、多分小学校の高学年になってからだ。
刃の部分がギザギザの鋸状になっている稲刈り鎌。
下手をして手などを切ってしまうと手におえない傷口になってします。
そんなこともあり、なかなか持たせてもらえなかったようだ。
初めて鎌を持たせてもらい、母から稲の刈り方と縛り方を教わる。
今考えると、理にかなったものであったと思える。
中学にもなると、遠く4キロ近くも離れた田んぼ(実は通っていた中学校のすぐ下にも田んぼが3反部ほどあった)に、全員朝4時に起こされて、眠い目をこすりながら朝飯の握り飯を頬張り、40分ほどかけて暗い道を徒歩で行くのである。吐く息も白い。
現地についても、まだ薄暗い。星明りを頼りに作業を始めるのである。
半分ほど駆り終わった頃、学校に登校する生徒達がちらほら。
担任が通るときに、今日は学校を休むことを告げる。
山村である。農繁期は、学校を休む生徒も少なくない。
もっと昔は、農繁期に学校が休校ということが有ったらしいが、私の頃はなくなっていた。ちょっぴり残念に思ったものだ。
今はこうした光景はあるのだろうか。
刃の部分がギザギザの鋸状になっている稲刈り鎌。
下手をして手などを切ってしまうと手におえない傷口になってします。
そんなこともあり、なかなか持たせてもらえなかったようだ。
初めて鎌を持たせてもらい、母から稲の刈り方と縛り方を教わる。
今考えると、理にかなったものであったと思える。
中学にもなると、遠く4キロ近くも離れた田んぼ(実は通っていた中学校のすぐ下にも田んぼが3反部ほどあった)に、全員朝4時に起こされて、眠い目をこすりながら朝飯の握り飯を頬張り、40分ほどかけて暗い道を徒歩で行くのである。吐く息も白い。
現地についても、まだ薄暗い。星明りを頼りに作業を始めるのである。
半分ほど駆り終わった頃、学校に登校する生徒達がちらほら。
担任が通るときに、今日は学校を休むことを告げる。
山村である。農繁期は、学校を休む生徒も少なくない。
もっと昔は、農繁期に学校が休校ということが有ったらしいが、私の頃はなくなっていた。ちょっぴり残念に思ったものだ。
今はこうした光景はあるのだろうか。