前に始めて買ったミュージックテープが沢田研二だと書いた。
その頃の思い出をちょっと。
その頃私は湯沢の精密部品の製造工場に勤めていて、そこの寮に住んでいた。
寮は国道13号線に面しており、1階が工場、2階が総務と食堂、3階が多目的ホールなど、4階が男子、5階が女子となっていた。
入った当時、職場からシンナーやトルエンなどを持ち出し、屋上でラリっている先輩などもいたが、私は屋上には極力近寄らないようにしていた。
部屋のベランダから下を見下ろせば、13号線の市内からの道路が三関方面とバイパスに分かれる三叉路で三角の大きな安全地帯。春先から雪が降るまで暴走族の格好のUターンの場所でもあり、真夜中にバリバリとかタイヤのスリップ音など、それは賑やかなものだった。
しかし、いつの間にか安全地帯にガードレールが張られ、騒音もなくなっていた。
春などは、そのベランダから沈む夕日を眺めたりもした。
遠く山の向こうに鳥海山の頭が夕日に照らされて、赤く染まっている景色は今でも覚えている。
その頃の思い出をちょっと。
その頃私は湯沢の精密部品の製造工場に勤めていて、そこの寮に住んでいた。
寮は国道13号線に面しており、1階が工場、2階が総務と食堂、3階が多目的ホールなど、4階が男子、5階が女子となっていた。
入った当時、職場からシンナーやトルエンなどを持ち出し、屋上でラリっている先輩などもいたが、私は屋上には極力近寄らないようにしていた。
部屋のベランダから下を見下ろせば、13号線の市内からの道路が三関方面とバイパスに分かれる三叉路で三角の大きな安全地帯。春先から雪が降るまで暴走族の格好のUターンの場所でもあり、真夜中にバリバリとかタイヤのスリップ音など、それは賑やかなものだった。
しかし、いつの間にか安全地帯にガードレールが張られ、騒音もなくなっていた。
春などは、そのベランダから沈む夕日を眺めたりもした。
遠く山の向こうに鳥海山の頭が夕日に照らされて、赤く染まっている景色は今でも覚えている。