愉しい触れ合いを目指してゆとりの有る人生を歩みましょう

平凡な日常生活にまつわる拘り情報、写真、並びに体験談等を交えて皆さんとの交流を深めて参りたいと思います。

6年振りの日本想い出の旅を求めて:

2014-01-11 00:15:13 | 闘病・介護

8年間の闘病生活を経て

昨年2013年の10月に6年振りの日本旅行を決行しました。 家内が72歳で初めて初期の認知症状と診断されて以来8年経ちました。初期の診断から二年後になって圧水頭症の疑いが発覚されて脳の手術を施しましたが、既に手遅れとの事で回復の兆しは見受けられない侭、現在に至っております。 

2012年の8月には意識不明となり即時入院する事態となり9月に入って退院後は生命維持の安否に拠りホスピス介護管理施設に移され我が家で介護を続けて参りました。それ以来総ての服用していた飲み薬は直ちに中止された状態で週に二度の診察を受けて来ました。 体調は日増しに衰弱して朦朧とした日々を繰り返していました。 

所が2012年11月16日、金曜日の午後9時半頃から突然意外な嬉しい出来事が起こったのでした。 私達の親しい友人(女性)がラスベガスから訪問していた最終日の夜の事でした。 それまで長い間口もろくに利けなかった家内が何事も無かった様に突如として彼女に話し掛けて来て、驚いた私達は信じられない家内の話振りに次々に質問を投げ掛けて何時まで会話が続けられるのかと試して見たら何と1時間余り会話を続ける事が出来たのでした。 その時の信じられない嬉しさは生涯忘れられません。 その日以降の毎日はまるで目が覚めた様な別世界に暮らす楽しい日々を迎えました。

家内の容態が回復し始めたかの様に見えた様子を詳しく医師に説明した結果、医師にも不可解な結果に回答出来ませんでしたが、早速2013年の1月からリハビリを始めて見る事にしました。最初の数ヶ月は家内には厳しくて拒否していましたが、徐々に動作が機敏になり始め漸く歩行器具を利用して独りで歩行出来るまでに丈夫になったのです。

その頃から家内が漸く元気を取り戻した間に出来る事なら日本に居る身内に再会させて遣りたいと思う気持から日本旅行を決定したのです。 そして2013年7月18日に不意な事故を起こしたのでした。(ブログ 2013年12月27、29日参照)

9月月末まで一生懸命リハビリに専念して10月の季節を選んで30日間の日本旅行に踏み切ったのでした。 旅行には車椅子と歩行補助器具(Walker)を備えての旅仕度を整えて無事30日間の日程を完了させて元気にハワイの我が家に帰宅しました。 

異変が発生

10月31日に無事ホノルルの我が家に戻り30日間の終えた日本の長旅の疲れを一気にして寛いだのです。 つくづく我が家でゆっくり寛げられる良さ、嬉しさ、そして安心感に満たされ元の生活に戻ったのです。 11月は毎日身体を休めて元気を取り戻し日本での楽しかった想い出に耽って過ごしました。 11月もアッと言う間に過ぎ去り12月に入ってから少しづつ家内の体調に不安が募り始めたのです。 あれほどリハビリで頑張って体調の回復振りに日本の皆も驚いて喜んでいてくれて居たのに、又何時しか体調が崩れ始めました。 まるでリハビリを始める以前の状態になりつつ有るのです。 僅か一ト月の間の疲れの休息でこれ程までに素早く体調が衰弱するとは思いも寄らずうっかりしていました。 今までどんなに苦労して来た私とした事がこのような結果を生み出した事に凄く腹立たしく思われ、悔やまれています。 それとも家内は既に限界に達したのではと言う思いも大いに考えられます。 先ず気付いた事は家内が急に歩けなくなって来た事です。思えば、リハビリで鍛えた筈の足は日本の30日間の旅行中には殆ど車椅子に頼らざるを得なかった事、歩行は部屋内だけに留まっていたのが最大の原因かと思います。 だから11月に戻ってからも休まずに歩行訓練に励んでいたら良かったのです。 然し11月は私自身に取っても30日間の疲れを癒すのに必要な休息でした。
次に気付づいた事は家内の話し方に異状を感じました。舌が回らなくて言葉がはっきり話せなくなり、話したい言葉が思い出せなくなりました。 そして意味不明な言葉を発する様になった事。 その言葉は再び訊いても繰り返して言えないなど言語障害の状態が現れ始めました。 会話は何時も不完全で全てを言い切れずに終わってしまいますが、どうにか通じています。 それに全てに置いて動作が鈍くなって来ました。 痴呆症状を伴う認知症状だと言われて来ましたが、これが将にその状態である事を実感しています。年を取ると仕草がだんだん子供に戻ると言う事を良く耳にしていましたが、それも頷ける様になりました。 何とも言えぬ寂しさを感じます。


脳の活性化に依る回復の兆し?

長年の孤独な闘病生活から抜け出して久し振りに懐かしい身内の再会や新しい出会を体験し、更には愉しかった観光旅行の数々を観覧した事では、家内に取っては可なりの刺激を受け脳の活性化に繋がった事で見違える様に正常な行動や動作が身に着いて来た様に思われ、皆も同感して喜んでいました。

愉しかった記憶は未だ脳裏の隅に焼き付いて残っています。 記憶喪失の症状は決して回復した訳では有りませんが、何時までも良い想い出として覚えていて欲しいです。 
家内には最早一から遣り直しする事は不可能でしょうが、私の存在が記憶に留まっている間は最善の介護に努めて余生を送る覚悟でいます。

日本で大変お世話になったゆらさん、ぷうさん、ひろし爺さん、その他の方々には斯様な結果報告のブログとなり大変心苦しく思い、申し訳ない気持ちで一杯です。 然しお陰様で家内の脳裏には愉しかった一生の想い出をしっかり留めて居ります。 本当に有難うございました。心より感謝しております。 
  

認知症と宣言された妻の愛を求めて {其の二} ~ 日本30日の旅

2013-12-29 01:38:13 | 闘病・介護



{継続 12月27日}

7月18日に最寄りのデパートに買い物に出かけ駐車場から其のデパートに 入る手前の路上で家内を載せていた車椅子が地面の窪みに気付かず、車椅子と共に後ろ向けに横転して左の後頭部を地面に打ちつけたのでした。 瘤は出来でいたけど外傷は無く大丈夫と思って居たけど、帰る自動車の中で大量の嘔吐を繰り返していたので午後はずっとベッドで休ませていましたが嘔吐は繰り返し続けていました。早速翌朝医者に連絡をすると直ぐに病院に入院の手続きをするように指示されました。
CT Scanの結果では可なりの脳内出血を起こして居たので入院して様子を伺う事になり最 悪の場合には手術も必要となると言われて覚悟をして居ました。毎日スキャンで出血の状態を確認した結果では出血は完全に止まっている事が判明しました。安全確保のため26日まで監視状態を続けやっと退院出来ました。 

家内が未だ元気な内に日本の身内に逢わせて置きたい思いで日本訪問を決定し秋の季節を選んで10月から1ヶ月の日程に取り組みました。4年越しのブログで親しくなったぷうさんやひろし爺さん、並びにゆらさん達の暖かいご協力を得て部分的区域の観光案内をして頂く事になりました。 

先ずは家内の妹、弟、甥達が住む東京から始まって、名古屋、京都、琵琶湖、広島、宮島、岩国、更に九州の別府と長崎まで足を伸ばして参りました。 岩国には有名な錦帯橋や岩国城が有り、私の姉夫婦が長年住んでいる場所です。 東京ではゆらさんに築地の魚河岸市場を初めて視察させて頂き新鮮な大盛りの握り寿司でお腹を満たした後は隅田川の水上観光ボートで浅草まで約40分の水上旅行を愉しみました。 浅草まで来ますと其処から聳え立つ東京スカイツリーを臨む事が出来ました。
浅草では数多くの観光客と混じって修学旅行で来ている学生達で大賑わいの有様でした。
又他の日には私の姪夫婦の家族の案内で都内観光バスで見物させて貰いました。 

終戦直後から中学以来親しくなった親友のosamuさんとも元気な姿で再会する事が出来て凄く嬉しかったです。 彼との消息は途中で数回途切れましたが、縁が有ってやっと探し当てた古い親友です。
京都と琵琶湖方面では私の二番目のosamuさんと同期の親友の計らいで豪華なホテルに招待され彼とは何と68年振りに初めての再会で涙が出る程懐かしく嬉しかったです。 その後は先ず姉夫婦の住む岩国を訪れ、其処では有名な錦帯橋や岩国城をぷうさんとひろし爺さん達にご案内して頂きました。 岩国には更にもう一人私の三人目の同期の親友にも同じく68年ぶりの再会を果たしました。
更にその翌日には広島市内の原爆ドームや資料館を見学、ぷうさんには私の家内を乗せた車椅子を押しながらのご親切なご案内には本当に恐縮いたしました。 ひろし爺さんには寧ろ写真や動画を専門のカメラで撮影して頂きました。 因みに私が12歳の中学1年生の時に学徒動員の一員として原爆投下の前日までは市内の中心地で勤労奉仕に携わっていたのですが、原爆当日は2学年の上級生と交代させられたので運良く被爆から免れる事が出来たのでした。哀しい想い出を思い出しました。 昼食には近くに有る広島名物の「お好み焼き」を「お好み焼き村」と呼ばれる専門店で皆で楽しく頂きましたが、流石に美味しかったです。 

昼食後からは今では世界遺産となった宮島(厳島)に渡って参拝して参りました。 宮島の近くで幼少の頃から育った場所なので此処も68年振りに訪れたので大変懐かしかったです。 宮島は美しいもみじの紅葉でも有名なのですが残念ながら未だ伺うことは出来ませんでした。 此処でも大勢の外国人の観光客や修学旅行の生徒達で大賑わいでした。 帰りがけには私が幼少の頃家族ぐるみで随分お世話になった親戚の家が現在も頑丈で昔の侭の懐かしい建物を見届けて胸が痛くなる程、懐かしく思いました。 私は原爆投下の日にもこの家の二階の部屋から原爆のきのこ曇を眺めていたのでした。

今も振り返って思い出しますとぷうさんやひろし爺さんご両人には実にご親切な「おもてなし」を授かり大変ご苦労様でした。 一生忘れられない素敵な想い出を沢山作らせて頂きました。 お陰で家内も記憶に残る想い出になった事と思います。 家内本人の口から直にお礼の言葉を掛ける事は出来ませんが大変感謝しております。  

最後の週には別府と長崎まで新幹線で乗り継いで参りましたが、別府では二日間雨模様の天気で、他の観光客も含めてホテルで足止めとなりましたが、別府を去る時、雨の中をタクシーで市内の案内をして頂き湯煙が立ち上る別府ならではの独特な風景をカメラに捉えただけでした。 其処から長崎には初めての場所で坂道の多い丘のある街でしたが、小高い丘の頂上にそびえ立つ様な大きいホテルで矢太楼(ヤタロウ)と言う名の知れたホテルに二泊する事になりました。 其処は特に名指しして見付けたホテルでは有りませんでしたが、綺麗で気持ちの良い大きいホテルでしたので安心して休めました。 最初に予約した部屋は一寸狭過ぎて車椅子も入れない位でしたので翌日広い部屋に移動させて頂いたら、別館の建物に空いていた部屋に案内されましたが、それが何と昭和初期に天皇がお泊まりになられたと言ういわれの有る立派で広くて眺めの良い部屋に案内され然も割安の価格でゆっくり泊まる事が出来ました。其処から眺める夜景は最高でした。 長崎では晴天に恵まれていたのでタクシーを雇って市内や原爆資料館などに案内して頂きました。 広島の原爆状態と比較して可なり違った内容の規模の状況でしたが、良い参考となりました。 残りの数日を残して再び東京に戻り、最後の日には又ゆらさんのご案内で横浜までドライブして頂き、港が見える丘の綺麗な薔薇公園やその近辺のチャイナタウンを散策、昼食には勿論中華料理をご馳走になり新たな想い出が出来ました。 
ゆらさんと優しい旦那さんに感謝感激でした。 旦那さんにも家内を乗せた車椅子を押して公園内を散策して頂き、お疲れ様で有難うございました。

愈々最終日の10月31日には成田空港からホノルルの我が家に無事戻りました。 丁度8時間掛かりハワイ時間では同日の31日の朝8時過ぎに着陸しました。 何と言っても我が家程ゆっくり寛げられる場所は他には有りませんね。 皆さんには本当に多大なお世話をお掛けして一生の素晴らしい想い出の旅を遂げる事が出来ました事に深くお礼を申し上げます。

11月に入ると毎日我が家でゆっくり寝そべって長旅の疲れを癒しました。 家内も人に気兼ねをせずに充分に休められる我が家に大喜びで、もう当分の間旅行には行きたくないと申しております。
旅に出掛ける前日まではリハビリで鍛えた両足で観光を楽しめると軽く思っていましたが、 30日間の殆どは色んな状況に依って車椅子に頼らざるを得ない事が多く、歩行をするのは部屋に居る時だけの短時間でした。 身体の疲れが解消された頃には思いもよらない事態が待ち受けていました。 

先ず独り歩きが非常に困難になり始め夜間のトイレの用足しにベッドから立ち上がる事が難しくなり私の援助を必要とする様になったのです。 それに日常会話がたどたどしくなり中々はっきり喋られなくなり始めた事、話したい言葉が思い出せない等の言語障害が目立ち始めていますので気になっています。 一般に動作が鈍くなって来ました。 一度に脳の刺激が治まるとこれ程までに体調に影響するものかと驚かされています。 毎日決まった身体の動きは大変重要な事だと思い知らされています。 然し記憶の方は意外と覚えている事が多く逆に驚かされる事が多いくらいです。最近は以前の様に同じ質問を繰り返さなくなりました。 色んな状況に慣れて来たからでしょう。 今年は残す所数日で無事に新年を迎える事が出来る事は嬉しく思っていますが、来年は今年よりももっと厳しい日々が待ち受けている事を予期して前向きに頑張って参る所存です。 

皆様に取りましても何卒より良い年となります様に末永く、ご多幸とご健康をお祈り致します。

今回は一先ず東京スカイツリーのみの写真を掲載させて頂きその他は次回にご覧頂きます。 

ALOHA
   
         浅草から撮影した写真です。
         
         


         


         


         


         







認知症と宣言された妻の愛を求めて {其の一}

2013-12-27 03:21:25 | 闘病・介護
大変永らくお休みをしてご心配をお掛けし申し訳ございませんでしたが、この度新規に更新させて頂きましたので今後共宜しくお付き合いお願い申し上げます。

今年の1月7日に新年の挨拶を乗せ、嬉しい励ましのコメントも頂戴し、更に1月14日にはアウラニホテルに就いて簡単な紹介をしたのが最後のブログの記事となりました。ブログに相応しい内容の記事に有り付けなかったのです。

今になって振り返って見ますと、その後家内の病状が一転して以来、それまでの介護の対応がやや変わって来ました。 家内の日常の動作が幾分機敏になった事、会話の時間が増えた事、顔色やその日の体調を伺いながら新規に遣り始めたリハビリに取り組みました。最初は嫌がるリハビリの厳しさについて行けず、励ます事に一生懸命でした。 徐々に独自で食事が取れる様になり体力も少しづつ備わって来ました。親しくなった近所の人達からの励ましの声援も掛けられる様になり片言の会話も交わせる様になって順調に回復して行く様子が伺われました。 

こうした少しづつの変化に依って私の介護に費やしていた時間が何時の間にか日常日課となり、自分自身の纏まった時間が取れなくなっていました。 毎日の日記を継続するだけでもやっとの事で、ブログの記事を書く時間が取れなくなったのです。 私のパソコンに向かう纏まった時間は家内の頻繁に声を掛けられる事で邪魔をされていたのでした。 家内の頭の中には沢山の空間が出来ており、不安一杯の気持ちを私に投げ掛けていたのです。 認知症特有の健忘症に依る記憶喪失の為、毎回同じ質問を繰り返して訊かされる毎日でした。 その都度、私は同じ口調で家内の質問に応えてやっていましたが、その内にどうしても苛々する気持ちを抑える事が難しくなり時には声を荒げる事も屡々有りました。

そんな私に家内は今度からテープに同じ返事を録音して聞かせてくれれば良いからと自ら私への気配りをしてくれていました。
こんな日々を知らぬ間に過ごしていた7月の18日に不意のアクシデントが起こったのです。
この続きは次回の記事に記載させて頂きます。

特発性正常圧水頭症の家内と7年間の闘病・介護の実態 「其の二」

2012-08-02 07:36:04 | 闘病・介護




特発性正常圧水頭症の治療法に就いて

脳室内に溜まっている髄液の圧迫度を緩和させ流れを良くする「髄液シャント術」と呼ばれる手術によって行われる。これは流れの悪くなった髄液通路の替わりにカテーテルを体内に埋め込み、其処から脳室に過剰に溜まっている髄液を排除する事に拠って脳室のサイズを元に戻して脳の機能を正常化させる治療である。この方法には三通りの方法が有り、一般には脳室から腹腔に流し込む方法が使用される。2番目は脳室から心房に、3番目は腰推から腹推に流し込む方法が有る。 頭蓋骨に小さな穴を開け、脳室から腹推までカテーテルを挿入する方法は一見して大変な手術に思えるが脳外科分野の中でも比較的簡単で安全な手術で、30分から一時間程度で終了出来る。

一定の必用な髄液を保つ為には、適切な調節が必要となる。過剰排泄を防止する為に脳室に接続されるカテーテルに髄液圧の調整可能なバルブが取り付けられ、外部から変圧器具で髄液圧を患者の体調に応じて調整する事が出来る。
治療の成功率は早期治療によって症状改善が確認されているが、発病から長期間経過してしまうと、その治療効果を期待することは難しいとされている。 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

ウエブサイト参照:(www.nanbyou.or.jp/entry/131)

1.わが国における認知症(痴呆)患者は現在約250万人に迫るとされ、今後更に増え続けるといわれております。
どのような原因にしろ、「認知症になると徐々に進行し一生治らない」と思われがちですが、じつは手術で治療可能な認知症があります。その一つである最近世界的に特に注目されている「特発性正常圧水頭症」について説明します。

2. どのような病気ですか?
精神活動の低下(痴呆症状)、歩行障害、尿失禁を呈する高齢者のうち、著明な脳室拡大を認めるにもかかわらず、腰椎穿刺で測定した脳脊髄圧は200mmH2O以下と正常範囲であり、しかし、髄液短絡術(シャント手術)を行うと上記の症状が著明に改善する患者さんがいます。このような患者さんを、正常圧水頭症(normal pressure hydrocephalus、以下NPHと略す)と呼びます。

3. 脳脊髄液と脳室とはどのような関係ですか?(発生機序)
私たちの頭の中には「髄液」と呼ばれる液体がいつも流れています。髄液は、脳の中心にある脳室(脈絡叢で産生)からしみ出し、脳と脊髄の周りをひと巡りすし、静脈に吸収されていきます(図2)。ところが、加齢に関わる何らかの原因により髄液の流れや吸収が妨げられ、脳室に髄液がたまると脳室が拡大し、脳が圧迫されることで症状が徐々に出現し、特発性正常圧水頭症といわれる病気を引き起こします。原因不明のものを特発性NPH(以下iNPH)、原因が明らかなものを続発性NPHと呼びます。続発性NPHの原因としては、くも膜下出血、頭部外傷、髄膜炎などがあげられます。

4. この病気の患者さんはどのくらいいるのですか(頻度)
NPHの正確な発生頻度は明らかではありませんが、痴呆症と診断された患者さんの5~6%が特発性NPHであると考えられています。特発性NPHの好発年齢は、おおむね60歳代以降であり、70歳代に多く確認されます。発生頻度にかんしてはやや男性に多いようです。最近の研究論文において、その発症頻度も徐々に明瞭になってきております。一般的に認知症患者は国内に現在、250万人にせまると言われ、これまで認知症のうち『iNPH』である患者は5%(約12.5万人)と考えられていました。これまでの分析調査の結果、『iNPH』が疑われる人の有病率は高齢者(65歳以上)の0.51~2.9(1.1)%であると推定されております。日本人口の高齢化率(約22%)で換算すると低く見積もっても約31万人(人口10万人あたり約250人)の方が罹患している可能性があると言えます。『iNPH』の有病率は、よく知られた疾患である認知症や歩行障害を呈するアルツハイマー病の有病率高齢者の約4%(人口10万人あたり1,000人)やパーキンソン病の有病率高齢者の0.4%~0.7%(人口10万人あたり100~150人)の間に位置すると考えられます。
5. 症状
NPHでは、精神活動の低下(痴呆)、歩行障害、尿失禁の三つが主症状(三徴候)とされています。記憶障害がひどくなるアルツハイマー病の症状とは大きく異なり、iNPHの認知症状では、集中力や意欲、自発性が低下し、一日中ボッーとしている、呼びかけに対して反応が悪くなるといったことがみられます。このような症状が比較的短時間に現れた場合は、iNPHである可能性が強く疑われます。また、歩行障害では、足が上げづらくなり小股でよちよち歩く、Uターンするときに足元がふらつく、うまく止まれないなどの特徴的な症状が現れます。とくにiNPHの初期には、このような歩行障害が出やすいといわれています。さらに、トイレが非常に近くなる頻尿の症状や、尿意が我慢できなくなり失禁するようなことも起こってきます。
日本正常圧水頭症研究会より2004年に「特発性正常圧水頭症診断ガイドライン」が出されており、重症度を次のように分類しております。皆さんは、如何でしょうか?
歩行障害 
何らかの歩行障害があるか、どの程度の歩行障害なのか

0 正常
1 ふらつき、歩行障害の自覚のみ
2 歩行障害を認めるが補助器具(杖、手すり、歩行器)なしで自立歩行可能
3 補助器具や介助がなければ歩行不能
4 歩行不能

認知症 
認知症があるか、どの程度の認知症なのか

0 正常
1 注意・記憶障害の自覚のみ
2 注意・記憶障害を認めるが、時間・場所の見当識は良好
3 時間・場所の見当識障害を認める
4 状況に対する見当識は全くない。または意味ある会話が成立しない

尿失禁 
尿失禁があるか、どの程度の尿失禁か

0 正常
1 頻尿または尿意切迫
2 時折の失禁(1-3回/週)以上
3 頻回の失禁(1回/日)以上
4 膀胱機能のコントロールがほとんどまたは全く不能


※上述の各重症度スコアでの症状の表現が実際の患者にうまくあてはまらない場合は、
0=正常、1=疑いがある、2=軽度、3=中等度、4=重症、をスコアの基本にして判定する。

しかし、これらの症状は、いずれも年をとると出現しやすいもので、しばしば見落とされたり、他の原因による認知症と間違われたりすることがあります。つまり、手術すれば治るにもかかわらず、多くの人が治療されないまま、放置されている現状があるのです。

したがって、3大症状のうち一つでも症状が現れ、その原因がはっきりしない場合、あるいは、すでにアルツハイマー病やパーキンソン病であると診断され、治療を行っている人でも、症状がいっこうに改善しない場合はiNPHを疑い、神経内科、脳神経外科を受診し、専門医にご相談することをお進めします。

6. 診断

上記の三徴候のいずれか一つ、あるいは複数を認め、頭部CTやMRIで脳室の拡大が確認されれば、NPHを疑うことになります。ただし、老人性痴呆でも脳萎縮にともなって脳室が拡大してくるので、NPHとの鑑別が問題になります。そこで、腰椎穿刺によりまず,正常な脳脊髄圧(200mmH2O以下)であるかどうかを確認します.その後、約20~40mlの髄液を排除して、症状の改善がするかどうかを試す検査(髄液排除試験:タップテスト)を行います。入院の必要はなく、外来で安全にできる検査です。この検査により,手術後の効果が多くの症例で患者さんやご家族の方に実感していただけるメリットがあります。髄液タップテストの翌日以降、症状の改善がみられる場合は、手術が有効であると診断されます。髄液排除により症状が改善した患者さんでは、シャント手術の有効率が極めて高いといえます。その他、RI脳槽造影・CT脳槽造影、頭蓋内圧測定、脳血流測定などを行うこともあります。これらの画像検査では「髄液により脳が圧迫されているかどうか」、その状態を確認するほか、髄液の循環を妨げている原因についても観察します。また、同時に他の脳の病気がないことも確かめます。
7. 治療法

iNPHの治療では、髄液の流れをよくする「髄液シャント術」と呼ばれる手術が行われます。これは、流れの悪くなった髄液通路の替わりにカテーテル(管)を体内に埋め込み、そこから脳室に過剰にたまっていた髄液を排除することによって、脳室のサイズを元に戻し、脳の機能を正常化させる治療法です。

髄液シャント術の方法には、①脳室-腹腔シャント、②脳室-心房シャント、③腰椎-腹腔シャント(図参照)があり、わが国においては、脳室-腹腔シャントがいちばん多く行われています。頭蓋骨に小さな穴をあけ、脳室から腹腔までカテーテルを挿入する脳室-腹腔シャント術は一見すると大手術のように思えますが、脳外科分野の中でも比較的かんたんで安全な手術で、30分〜1時間程度で終了するものです。症状の改善を得るためには、ある一定量の髄液を排出させる必要がありますが、髄液の排出が過剰になると硬膜下水腫や血腫が発生します。このような合併症を防ぐために、最近では体外から磁石を使って圧を変更することができる圧可変式バブルや、より積極的に髄液の過剰排泄を防止する抗サイフォン機構付きのバルブなどを用いることが多くなっています。

8. 予後
2004年から日本でINPHの前向き臨床試験(SINPHONI)が厳格に行われました.その結果、適切な手術適応に準じると、特発性NPHの80~90%以上の患者さんで、術後になんらかの症状改善が確認されました。髄液シャント術による3大症状の改善率は、歩行障害が9割前後、認知症と尿失禁が7~8割前後と、高い効果がみられます。とくに、歩行障害では劇的な改善を示す例が少なくありません。また、最近は治療の技術が進歩し、あらかじめ「可変式差圧バルブ」と呼ばれる機器を埋め込んでおくことで、体外より髄液圧を変更できるようになりました。つまり、患者さんの状況に合わせて、脳室から流れ出る髄液量を適切に調節できるため、より安全に髄液シャント術による効果が長く持続できるようになってきています。このような治療により、認知症をともなう高齢者のQOL(生活の質)や医療費の面からも改善が確認されており、ご家族の介護も楽になるというメリットがあります。ただし、iNPHは緩徐進行性の病気であり、シャント手術が有効な患者さんであっても、発病から長期間経過してしまうと、治療効果を期待することは難しいとされています。

9. 新しいINPH診療ガイドライン
2004年のガイドラインの発表後,iNPHの認知度は格段に上がり,全国のシャント術件数も着実に増え,臨床研究や基礎研究も増えてきており、エビデンス・レベルの高い論文も増加してきました。そこで日本正常圧水頭症研究会は厚生労働科学研究費補助金難治性疾患克服研究事業「正常圧水頭症の疫学・病態と治療に関する研究」班(班長:新井一 順天堂大学医学部教授)との共同事業として、2011年7月に改訂版ガイドラインが発刊されました.このガイドラインではINPHの特徴的なMRIの画像所見に重きを置き診療を進めることで適切な診断や疫学調査を可能としており、今後の発展が望まれています。

*************** 以上はウエブサイトから* * * * * * * * * * * * * *

これは私の家内の場合に該当するもので、残念ながら治療効果は期待出来ない。 家内は手術を行う前の脊髄液を排除した直後の検査ではちゃんと立ち上がって歩行が可能であった事は信じられなかったのだが・・・。  シャント手術後は2ヶ月毎に髄液圧の調整を半年続けた結果は何も期待出来ないものだった。 症状の変化は殆ど見られないまま現在に至っている。  髄液シャント術後に一旦症状の改善が得られた場合でも、その後時間が経つにつれて元の状態に戻ってしまう場合もあり、その場合は検診が必用とされる。 圧可変式バルブは直ぐに適正な圧設定を行う事に拠って再度症状の改善出来る可能性が有ると云われている。 埋め込まれたシャントシステムが詰まったり、圧可変式バルブの設定圧が変わったりする事もある為医師の定期的検診を受ける事が必用であると勧められているので未だ改善の可能性がある事は否定出来ないと信じて頑張っている。

この正常圧水頭症の病に関しては近年になってやっと少しづつ知られるようになって来ているが、現在でも未だ余り知られていない病気だ。 私は数年前にもこの件に就いてブログに載せていたが、当事は殆どの人の目には触れられなかった。尤も高齢者に起こる症状なので若年層の間では興味が湧かないのが当然の事かもしれない。
幸い私自身は未だ健康を維持出来ているので現在の家内の介護には何ら問題は無いが、同時に年々年齢を重ねているので気はゆるせない。 せめて認知症状の様な俳諧や凶暴性を帯びないだけでも、介護の面では比較的楽な方だと思っている。 然し敢えて言えばシャワーを浴びせる事と廃便処理には梃子摺っている。

昨年の10月まではリハビリに通って如何にか歩行運動を続けていたのだが、愈々足の筋肉の衰弱で立つ事が不可能となった。 同時に手がパーキンソン病で震える様になりペンや箸を握る事も出来なくなって来た。 意識が朦朧としている日が多くなり、無口になって名前を呼ぶだけで応答は一切無し。 二人の生活には会話が完全に途絶えてしまった。 毎日ベッドと按摩椅子を交互に移動さすだけの日課でたまに車椅子で散歩に出掛けるかドライブに連れ出すのが精一杯だ。 せめて本人には今の所病の苦痛を感じない毎日を過ごしており食事は最低限量食べ、良く寝るので助かっている。  昔、元気だった頃は良く笑い良く喧嘩をしていた当時が思い出される。
家内は何時も口癖に「健康管理は私がする」と言っていた彼女だったのに・・・・・。
最近では介護の要領に慣れているので殆ど問題は無いが、当初は随分友人達に迷惑を掛けた事が有った。 外出先での粗相や自動車内での粗相には随分悩まされたが、これが逆の立場だったらどんな生活状態を過ごしているだろうかと想像するだけでもぞーっとする。 家内には同じ苦労はさせたくないので、これで良いのだと自分をなだめている。 此れから先も不安では有るが総て前向きに頑張るしか無い。

私が体験した事で、この記事を読まれた方々にご忠告させて頂きたい事を付け加えますと、この病気に限らず、必ず主治医以外の専門医のセカンド オピニオンをお受けになる事を是非お勧めいたします。 私は今も悔やまれて仕方が有りませんが家内を最初に診断してくれた脳精神科医は何故最初から正常圧水頭症の疑いは無かったのか検診して欲しかった事です。総てに於いて早期発見出来ていたら家内の場合もこの病から改善されていた筈だと思わずには居られません。 現在に至っては既に何も成す術も無く植物人間同様の扱いのみが残された現状です。 如何にかして脳の活性化を促す事は出来ないものかと僅かな希望は持ち応えています。 家内の介護は私にとって最も大事な日課の一つで残された生き甲斐です。 未だ僅かながら私を意識できる家内が傍に身近に居てくれるだけで幸せだと思っています。家内から聞ける言葉は最早無く、私を慕って呼ぶ声だけです。

だらだらと長い記事となりましたが、引退年齢をお迎えになる方々の為に、少しでもご参考となれば幸甚に存じます。最後までお付き合い頂き有難うございました。

特発性正常圧水頭症の家内と7年間の闘病・介護の実態 「其の一」

2012-07-30 07:44:35 | 闘病・介護


2003年、家内が69歳の年に長年住み慣れたロスアンゼルスからラスベガスに引っ越して第二の引退生活に入った。 初めて住むラスベガスの夏の気候は暑く冬は寒かったが、常に乾燥した澄み切った気候は以外と気持が良かった。

子宝には恵まれなかった私達夫婦は可愛い愛猫と共に元気で新たなラスベガスでの生活が始まり最初の2年はあっと云う間に過ぎ去った。 ラスベガスでの生活習慣はロスアンゼルスとは全く異なった日々を過ごし新しい環境には慣れて来た。 

そうした或る日、友人と行き付けのカジノに出掛けてスロットミシンで愉しんでいた。 暫くして家内はお手洗いに立ち、其の侭30分経っても戻って来なかったので気になり始めて探しに行ったが、一向に姿が見えない。 カジノの中は凄く広くて何処を向いても同じ光景なので誰でも迷っても可笑しくない。 一時間探し始めてやっと見付けた家内は半べそを掻いていた。 今になって思えば其の頃から彼女の病気が始まり出していたのだ。 更に、良く喋っていた会話の中で同じ話を繰り返す事にも気付き始めたのだ。

2005年、健康には何ら問題は無かったが、定期健康診断の折、内科医に其の話を告げると脳精神科専門医を紹介してくれて診断を依頼した。早速色々な口頭審問や脳のMRIに拠る結果を検討して認知症状の初期の段階に来ていると初めて診断されたのだった。 その時以来認知症状の進行を抑える医薬を処方され服用し続けた。通常の生活を続ける事で特に指示された治療法などは無かったし、目立つ認知症状などは見られなかった。 其の年の5月には右足に僅かな痛みを感じる様になったので専門医の診断を受けたら股関節に支障が有るとの事で手術の必要性を勧められHip Replacementと云われる股関節の手術を受ける事となった。普通に歩行が可能となるまでには半年から一年のリハビリに拠って完全に完治すると云われていた。

リハビリは続けられたが其の頃から彼女の認知症状に拠る脳の機能が鈍り始め特に運動神経や意欲の鈍りが災いしてリハビリが順調に捗らなくなった。リハビリをする上では本人の意欲が満たされなければ筋肉の強化作用が得られず一向に快復されないのだ。 それでもリハビリは続けられてやっと如何にか歩行補助器具(Walker)や杖、車椅子などを使用しながらの毎日を過ごす事は出来た。 然し認知症状は徐々に目立つ様になり、最も独特な症状の一つとして先ず尿失禁、歩行困難、記憶喪失などの症状が酷くなって行くのを防ぐ手立ては無かったのだ。 服用していた薬の効果は何も見られなかったので後服用中止となった。

それから数年後に最初の診断を受けた脳精神科医の引退に拠り業務停止となった為新たな専門医を紹介をされた。 2008年にこの医師の判断で新たな試みとして或る可能性の治療を勧められたのだった。 其れがこの正常圧水頭症と呼ばれる症状で、この治療を施すには先ず特別な検査を行う必要が有った。

先ず正常圧水頭症と言う症状は精神活動の低下(痴呆)、歩行障害、尿失禁の三つが主な症状で、記憶症状が酷くなるアルツハイマー病の症状とは大きく異なり、集中力や意欲、自発性が低下し一日中ぼーっとしている。又呼び掛けにも応じない、表情が乏しくなると云う症状が見られる。 これは将に家内に当てはまる総てであった。リハビリで効果が得られないのも集中力や意欲の乏しいのが原因となっている。

特発性正常圧水頭症は認知症と診断される患者の5~6%を占めると云われている。原因は未だに定かではないが、脳室に脳脊髄液(髄液)が溜まり、歩行障害、認知症、尿失禁の三つの症状が進行する高齢者の病気とされている。
又、可能性の或る人は、高齢者人口(日本)の1.4%を占めているそうだ。 

水頭症とは、脳脊髄は頭蓋骨で囲まれて居るが、骨との間には脳脊髄液があり脳脊髄を保護している。脳脊髄液は側脳室で産生され循回した後静脈に吸収される。 脳脊髄液は一日に3回入れ替わり、総量で150mlも産生される。
水頭症(Hydrocephalus)とは、脳脊髄液が過剰に作られたり、吸収され難くなったり、或いは其の循環経路のどこかで髄液の流れが悪くなったりして脳室が拡大し脳が圧迫されて機能が正常に作用しなくなる病気なのだ。

次回のブログでは特発性正常圧水頭症の治療法に就いて述べますのでご覧下さい。