2003年、家内が69歳の年に長年住み慣れたロスアンゼルスからラスベガスに引っ越して第二の引退生活に入った。 初めて住むラスベガスの夏の気候は暑く冬は寒かったが、常に乾燥した澄み切った気候は以外と気持が良かった。
子宝には恵まれなかった私達夫婦は可愛い愛猫と共に元気で新たなラスベガスでの生活が始まり最初の2年はあっと云う間に過ぎ去った。 ラスベガスでの生活習慣はロスアンゼルスとは全く異なった日々を過ごし新しい環境には慣れて来た。
そうした或る日、友人と行き付けのカジノに出掛けてスロットミシンで愉しんでいた。 暫くして家内はお手洗いに立ち、其の侭30分経っても戻って来なかったので気になり始めて探しに行ったが、一向に姿が見えない。 カジノの中は凄く広くて何処を向いても同じ光景なので誰でも迷っても可笑しくない。 一時間探し始めてやっと見付けた家内は半べそを掻いていた。 今になって思えば其の頃から彼女の病気が始まり出していたのだ。 更に、良く喋っていた会話の中で同じ話を繰り返す事にも気付き始めたのだ。
2005年、健康には何ら問題は無かったが、定期健康診断の折、内科医に其の話を告げると脳精神科専門医を紹介してくれて診断を依頼した。早速色々な口頭審問や脳のMRIに拠る結果を検討して認知症状の初期の段階に来ていると初めて診断されたのだった。 その時以来認知症状の進行を抑える医薬を処方され服用し続けた。通常の生活を続ける事で特に指示された治療法などは無かったし、目立つ認知症状などは見られなかった。 其の年の5月には右足に僅かな痛みを感じる様になったので専門医の診断を受けたら股関節に支障が有るとの事で手術の必要性を勧められHip Replacementと云われる股関節の手術を受ける事となった。普通に歩行が可能となるまでには半年から一年のリハビリに拠って完全に完治すると云われていた。
リハビリは続けられたが其の頃から彼女の認知症状に拠る脳の機能が鈍り始め特に運動神経や意欲の鈍りが災いしてリハビリが順調に捗らなくなった。リハビリをする上では本人の意欲が満たされなければ筋肉の強化作用が得られず一向に快復されないのだ。 それでもリハビリは続けられてやっと如何にか歩行補助器具(Walker)や杖、車椅子などを使用しながらの毎日を過ごす事は出来た。 然し認知症状は徐々に目立つ様になり、最も独特な症状の一つとして先ず尿失禁、歩行困難、記憶喪失などの症状が酷くなって行くのを防ぐ手立ては無かったのだ。 服用していた薬の効果は何も見られなかったので後服用中止となった。
それから数年後に最初の診断を受けた脳精神科医の引退に拠り業務停止となった為新たな専門医を紹介をされた。 2008年にこの医師の判断で新たな試みとして或る可能性の治療を勧められたのだった。 其れがこの正常圧水頭症と呼ばれる症状で、この治療を施すには先ず特別な検査を行う必要が有った。
先ず正常圧水頭症と言う症状は精神活動の低下(痴呆)、歩行障害、尿失禁の三つが主な症状で、記憶症状が酷くなるアルツハイマー病の症状とは大きく異なり、集中力や意欲、自発性が低下し一日中ぼーっとしている。又呼び掛けにも応じない、表情が乏しくなると云う症状が見られる。 これは将に家内に当てはまる総てであった。リハビリで効果が得られないのも集中力や意欲の乏しいのが原因となっている。
特発性正常圧水頭症は認知症と診断される患者の5~6%を占めると云われている。原因は未だに定かではないが、脳室に脳脊髄液(髄液)が溜まり、歩行障害、認知症、尿失禁の三つの症状が進行する高齢者の病気とされている。
又、可能性の或る人は、高齢者人口(日本)の1.4%を占めているそうだ。
水頭症とは、脳脊髄は頭蓋骨で囲まれて居るが、骨との間には脳脊髄液があり脳脊髄を保護している。脳脊髄液は側脳室で産生され循回した後静脈に吸収される。 脳脊髄液は一日に3回入れ替わり、総量で150mlも産生される。
水頭症(Hydrocephalus)とは、脳脊髄液が過剰に作られたり、吸収され難くなったり、或いは其の循環経路のどこかで髄液の流れが悪くなったりして脳室が拡大し脳が圧迫されて機能が正常に作用しなくなる病気なのだ。
次回のブログでは特発性正常圧水頭症の治療法に就いて述べますのでご覧下さい。