愉しい触れ合いを目指してゆとりの有る人生を歩みましょう

平凡な日常生活にまつわる拘り情報、写真、並びに体験談等を交えて皆さんとの交流を深めて参りたいと思います。

木蓮とサボテンの花

2008-05-28 22:35:04 | Weblog
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<木蓮の花
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サムネイルの画像が開けない場合は題名か日付クリックして下さい。

今日は私のブログに初めてサムネイルを立ち上げる事が出来た喜びを噛み締め、ブログの触れ合いの場を通して親切な素晴らしい方々との出会いのお陰で色々とお力添え頂きました事、心より感謝しております。これ等の木蓮やサボテンの写真は以前に私のヤフーのブログにて紹介したものですが、此処に改めてその一部をこのサムネイルを利用して初試しに載せて見ました。これからはもっと素敵な写真を沢山撮って大いにサムネイルを利用して参りたいと思っております。 尤もこの砂漠の荒野に於いては何処を見ても殺風景な風景ばかりなのですが、その中から大自然の素晴らしさを見出す事が出来ればと思っております。これからも末永くお付き合いの程宜しくお願い致します。 ご訪問、有難うございました。 猶、このサムネイルのソースはゆらさんのご紹介でsakuraさんからお借りしたものです。




ラスベガスの日本レストランとマーケット情報

2008-05-28 15:16:35 | Weblog
今日、これ等の写真情報は私のヤフーブログのサムネイルに載せましたのでご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/bagevent111934/8006487.html
飽くまでも私の過去5年間のラスベガス在住の間に経験し、感じた事を述べさせて頂きました。 ラスベガスの繁華街より南西地区に当たる街に存在する日本レストランとマーケットの一寸した情報です。 

素敵な触れ合いに感謝!!

2008-05-26 15:31:44 | Weblog
ブログの世界に初めて足を踏み入れて未だ一ヶ月未満、やっと画像の貼り付けが如何にか出来るようになったばかりでもたもたしている間に、私には信じられない嬉しい事実が現れ始めています。それはブログを通して得られた新しい触れ合いの場で既に数人の素敵な方達との出会が叶えられている事です。昨年私の親友から初めてブログを紹介され、一方的に訪問させて頂いて来ましたが、先月になってやっと自分のブログを開設させる事が出来て以来、私の愚痴っぽい記事に目を向けて頂いた素敵な方達からの思い遣りの有る温かい励ましのお言葉を頂き大変元気付けられて居り感謝にたえません。皆さん、本当に有難うございます。


4年目を迎えた認知症状の妻

2008-05-23 15:48:03 | Weblog
私達の愛猫「ココ」です。
href="http://https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d8/b8eff946fe8f0a0d5fe362e652875f2b.jpg">


今年の2月を以って家内は4年目を迎えました。 症状は夫々人によって異なる事は当然の事ですが、過去3年間を振り返って見ますと、もっと自分に為すべき事、してやれる事は無かったのだろうかと考え込む様になりました。 専門医と掛かり付けのファミリードクターの指示による処方された薬とリハビリを頼る以外には何も出来なかったのであろうかと疑いたくなるのです。 認知症と診断された患者は医師からも見放されるのは当然の事の様に止むを得ないのだろうかなどと遣る瀬無い気持ちを抑え、耐えていますが如何する事も出来ません。 不治の病と承知の上で症状の進行を抑えて遅らせる高価な薬を2種類毎日服用させていますが、何とも空しい思いです。 

本人の意識が有る限り最善を尽くして楽にさせて遣りたい、然しその反面で本人の生命力が徐々に失われつつ有る事も否めない事実です。果たして意識が完全に麻痺してしまった後は如何程生き永らえる事が可能なのでしょうか? 体験者の方の話を伺いますと、完全に記憶喪失に陥った時期が取り残された家族にとって尤も辛い体験を負わさせられる時である事を知らされています。 何時の日か自分にもその日が必ず訪れてくる事を前以て心の準備を充分備えておかねばならないと言い聞かせております。 

此れまでに体力を維持さす為にずーっとリハビリを続けさせて参りましたが、一向に丈夫になる兆しは愚か、益々日増しに体力の減退を意識するようになりました。今では自ら自分の身体を支える体力も無く、真っ直ぐ立っている事も出来ません。意識だけが未だはっきりしており無口になりましたが、会話を交わす事は出来ます。会話を理解する事は出来ても動作の動きが鈍く思い通りに動かす事が出来ませんので、常に介護の援助が必要となります。 又、自らの個人的な身の嗜み(たしなみ)や生理的な管理を施す事は最早不可能な状態で、将に赤ん坊の世話を看るのと何ら変りは有りません。 当然の事ながら衣服の着替え、洗顔、歯磨き、入浴、頭髪の手当て、食事を取る事から下半身の世話に至るまで総て人の手に委ねざるを得ません。 それらの世話が今の私の日課となっています。 

毎朝目を覚ましても全く何事をする意欲も持たない人形同然で、唯為されるままに文句も言わずに応じています。 日中は毎日リビングのソファーかリクライニングチェアに座って特にテレビに注目するでも無く、読書する意欲も無く、殆ど居眠りして時を過ごしています。 眠りから目を覚ますとひっきりなしに私の名前を呼び続け、その都度返事をしてもその返事に応対する事無く、更に呼び続けています。傍に行き近着くと呼びながら手を差し伸べて手を握るように催促をして来ます。 手を握ってやると暫くの間大人しくなり、何時までも握り締めていますが、恐らく自分の心に不安を感じている為なのでしょうか?

彼女の動作には完全に頼り切って安心感を覚えた面と甘えが半分交差して、時折発する声に言語障害に似た症状も僅かながら見受けられるようになりました。 発する声は言葉になっておらず全く意味不明で聞き取れません。 何かを訴えている様子ですが、何度訊ねても唯意味無く頷くだけで応えてくれません。 こんな時の彼女は果たして何処まで正気で応対してくれているのだろうかと考えさせられます。
認知症状にも色々有ると思うのですが、一般には記憶喪失が伴い昨日、今日の出来事も直ぐに忘れてしまうのですが、未だ元気だった頃の出来事は総て鮮明に記憶に残っているのです。ですから古くから親しくしていた友人達からの電話を頂くと急に人が変わった様に昔の彼女に戻り元気を取り戻して、たどたどしくも話が出来るのです。日本に居る妹達からの電話の会話もちゃんと受け応え出来るので、妹達にとっては現実の状態が充分把握出来ません。然し話が少し長引くに連れて会話の内容が繰り返される様になります。 

今では毎日この様な生活を余儀なく過ごしていますが、果たして本人自身は自分の生き方に何処まで生き甲斐を感じているのか、又、満足出来ているのかに就いては最早考える気力さえ持ち合わせていないと思われますので、悩みも苦痛も感じる事は有り得ないと思います。 私がどんなに彼女に愛情を込めて介護に一生懸命尽くしても、その気持ちを感じ取る能力さえも消え失せているのではないかと思われます。 此れが私達に与えられた運命を生かされているのだと、ただただ最善を尽くすのみで、常に前向きに頑張るしか無いものと思っています。 人間は苦労を重ねる事で強くなれるものだと言う事を実感しています。 子宝に恵まれなかった孤独な二人だけの人生を荒波に揉まれながら此処まで辿り着いて来られた事を思いますと、今更此処で挫ける訳には参りません。必ず明日と言う日が訪れて来ますので強く生きて行きたいと思います。

まだまだ話し尽くせない事も多く有りますが、私達の人生の一こまを述べさせて頂きました。私よりもっと過酷な苦労をされて日夜悩まされておられる方々は大勢いらっしゃると思いますが、それに較べると私如きの苦労は未だ「苦労」とは言えるものでは無く序の口にも至っていないでしょう。皆さんのご苦労話も是非お聞かせ下さい。

ラスベガスのSenior Day Care Center

2008-05-19 04:33:41 | Weblog
今朝の木蓮の花です。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/ab/8804c8fe0b49fb06228c6089231bb36d.jpg
先ず5月11日付けのブログ「アルツハイマー病と診断された吾が妻」をご覧下さい。
先週紹介された施設を初めて見学させて頂きました。一階建ての広い建物の入り口は意外と厳重に閉ざされていてガラス越しに部屋の中が見られない様に赤い紙で覆われていたのに異常な雰囲気を感じました。ドアの取っ手の傍にドアの開け方が指示されてあった事も意外でした。 然しドアは簡単に開きませんでしたが、その内に中からスタッフの人が開けてくれてやっと中に入れて頂き施設の見学を依頼しましたら大変親切に説明しながら中に案内して頂きました。約10人位居る各担当者のスタッフを紹介され、非常に友好的に迎えてくれました。
この施設で受け持っている患者さんの数は平均して一日に5,60人程度で、殆どの患者は認知症状を患っている方達です。 患者さん達には趣味の手芸の好みに応じて自由に各部屋に出入り出来る様になっていました。又、部屋の外に出ると野菜造りが出来るように畑や植木鉢なども用意されて居り、既に数種類の野菜が育てられていました。運動部屋、テレビ室、食道などと一通りの設備が備わって居り食事は朝昼夕と支給されています。
建物の出入り口が厳重に閉められていたのは飽くまでも患者の安全確保の為で、勝手に出歩けない様にされているのです。 バスでの送迎も整っていますが、運賃や施設での実費は総て個人負担で保険は全く通用出来ません。 因みに一日の費用は午前6時半から午後6時半まで(週末の土、日は閉鎖)$65.00、但し5時間以内であれば一時間に付き14.00(?)で月払いとなっています。
看護婦並びに介護士も常に待機しており、患者の病状、容態などに就いても各自の主治医からの報告書に基づき必要に応じて対処出来るようになっています。
この様な施設を利用するのは初めての事なので何となく不安が感じられ、出来る限り利用しないで済む様に頑張ってはいますが、飽くまでも緊急事態が発生した時のみに利用する為の施設ですからその体制を作って置く必要性が有ると思っています。家内の容態は自らの身体の動きが出来なくなっている状態ですが、意識は未だしっかりしていて会話も出来、理解も出来る状態ですので果たして本人に取ってこの様な施設が適切で有るか如何か、又、不安感を感じないか等と考えますと独り残して預ける事は私も辛い事です。 

木蓮と サボテンの花

2008-05-17 15:21:21 | Weblog

今年は木蓮が今までの数倍の数の蕾が芽生えて先週やっと咲き始めた。 咲き始める寸前の蕾は真っ白で丸くて綺麗だ。 咲いた花は凄く優雅で美しいが僅か3,4日で萎んでしまう短い命だ。萎んだ花弁は直ぐに薄い茶色に変色して果てる。葉っぱは鮮やかなグリーンだが裏側は薄茶色な為に枯れた葉っぱに見える。 木蓮にも色々な種類が有るようだが、隣の家の木蓮は可なり大型で葉っぱのサイズで分るが未だ蕾も芽生えていない。 サボテンにも多数の種類が有るが、何と言っても色が凄く鮮やかで綺麗だ。 このサボテンは朝早くゴルフ場に散歩に出掛けた際に見付けたもので、その美しい花の色に惹かれて3枚ほど失敬して持ち帰ったもの。サボテンの表面には目に見えない細かい棘が無数にある。皮の手袋を嵌めて掴み取ったのだがそれでも棘が指の彼方此方に刺さってちくちくと何時までも痛みが洗っても取れない。サボテンの花は陽が沈むと窄み、陽が昇ると綺麗に開く。咲いてから約1週間くらい経ったら萎んで二度と開く事は無かった。来年の春までのお楽しみ?だ。 その他の薔薇や草花は地質が悪い為に総て植木鉢に入れられた儘の状態で地面に大きい穴を掘って埋められて育てられているのだ。私が載せられる花の写真は寂しいけれど今は精々この程度のものしか見付からない。 何しろ庭には芝生の代わりに大小の岩や庭石、砂利などで敷き詰められているのでご想像にお任せ。芝生の庭も見受るが厳しい水不足のこのベガスの土地には不経済で費用が掛かり過ぎるので余り見られない。因みにゴルフ場の芝生の管理には莫大な維持費で賄っている。 
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アルツハイマー病と診断された吾が妻

2008-05-11 12:23:05 | Weblog
痴呆症、認知症、アルツハイマーなどと言う言葉を良く耳にする様になったのはかれこれ数十年も以前の事で、当時は全く他人事の事としか認識していませんでした。その頃から年老いた従姉が アルツハイマーになりその特有な症状や凶暴性な振る舞いの怖さを知る切っ掛けとなったのですが、まさかそのどう仕様も出来ない病気に家内の身に降り懸って来るとは全く思いも寄らない悲しい出来事となりました。
彼女の日頃の繰り返す会話の内容や質問に違和感を感じる様になったのは今から3年くらい前になります。 数人の専門医に依るMRIやその他の診断で初期の認知症状を患っている事が認定されました。 当初は症状の進行を遅らす為の薬を処方され、以後現在では二種類の薬を毎日服用しておりますが、果たしてその薬の効果がどの程度影響しているかは定かでは有りませんが、現在でも意識が通じている事からそれらの薬の効果を信じています。 然しながら、体力の減退は日増しに目に見えて毎週3回のリハビリを続けているにも拘らず、現在では自分の身体を支える体力すら無く真っ直ぐ立ち上がる事も出来なくなりました。 時々意識が朦朧(もうろう)として言語障害の兆しも感じられるまでになりました。 ごく最近までは自分で食事を食べる事は可能でしたが、箸やスプーンを握る力も衰えてか、手が震えてよく食べ物を溢すようになりました。日頃の日常生活で当然のように出来ていた事、常識として考えられて来た事などが彼女には最早不可能にさえなって来ました。自分の取るべき動作が次の動作に働く能力、機能に欠けて一々指示されないとどうして良いか分からない状態なのです。例えば、朝起きて歯ブラシで歯を磨いた後口を濯ぐ事など、当然の動作が言われないと出来ないのです。
元気だった頃の彼女は健康の為にと毎朝早く6時に開店するフィットネス センターに共に通っていました。実に友好的、話し好きのお節介焼きで、積極的な性質の持ち主でした。 若かった頃から活花に興味を持ち教授の資格を取得。 その他、日本人形作り、編み物、チャイナペイント等の手芸にも興味を持ち活動的な女性でした。
長年暮らしたロスアンゼルスで引退し、老後生活をこのラスベガスに夢を託して新築の我が家で第二の人生を歩み始めやっと此方の暮らしに慣れてきた矢先の事でした。 
彼女が認知症と診断されて以来、私達の生活習慣が少しづつ変化して来ました。 同じ年に今度は彼女の右股関節に痛みを感じるようになり診察の結果、股関節の部分を切断してステンレスステイ―ル製の金具に置き換える手術を行いました。一般的に行われる手術なので心配は有りませんでしたが、完治するまでには半年から1年半くらい掛かると説明されていました。手術後2週間目から早速毎日のリハビリを続けながらの病院生活が1ヶ月続き、以後ずーっと毎週リハビリを続けて現在に至っていますが、彼女の認知症状が禍してリハビリを続けていても自ら良くなりたいと思う意志 (遣る気持)が無い為に、一向にリハビリの効果が現れないで良くなるどころか、益々筋肉が衰弱して行くばかりで、現在では真っ直ぐ立つ事すら出来なくなって来ています。
普通ならば股関節の手術後のリハビリで今では歩行が完全に出来る状態になっている筈でしたが、其処まで達成する事が出来ないまま認知症状の影響を受けて遂に元気で歩行できる日を見る事は適えられませんでした。 良く耳にする事で認知症の患者が夜昼と無く徘徊して道に迷う、又は狂気的に暴力を振るうなど聞かされますと、付き添いの介護人は大変な労力を強要される辛さは想像する以上に大変だと思います。 その点、私の家内は以前の性質に似合わず大人しく従順ですが最早自分の力で我が身を支える事も生理上の管理も不可能な状態になっています。 今までに数多くの体験話やテレビ番組で紹介される放送などは見逃さないで見て参りました。 このアメリカと比較して見ますと介護施設の内容は日本の方が遥かに充実していて素晴らしいと思います。日本での 施設に於ける色んなサービスはきめ細かく親切です。 私達には子宝に恵まれませんでしたので夫婦二人暮らしの生活で喧嘩をしながらもお互いに助け合って行くしか有りませんでしたが、現在に至っては私が総ての家事を余儀なく勤める様になりました。 介護の総ても私が出来る範囲の事は賄っております。共倒れに成らぬ様に健康維持には充分注意を払っています。 
私と同じ境遇の方々のご体験やご忠告など是非とも受け承りたいと思いますので、ご苦労なさっておられる事何でもお聞かせ下さいませ。 猶、私は決して皆様の同情を乞う積りは毛頭ございませんのでご了承お願い致します。飽くまでも体験談の一こまに過ぎず、語り合う事で少しでも気持ちが癒される事を願っての事です。 又お訊ねになりたい事がございましたらご遠慮なく申し付け下さい。色んな情報交換を願っております。

三度目の正直

2008-05-10 11:15:48 | Weblog
友人の紹介により初めてブログに巡り合い細かい手解きの元にやっと自分のブログを開設する事が出来て2週間の間に随分色んな事を学びました。初心者の私に決してすんなりと此処まで来られた訳では有りません。毎日色んな障害に出会い、悩まされましたが、同時にその都度友人や新たに出会った方達からの励ましの言葉を頂き今日は三度目のブログを新規に開設するに至りました。此れまでに至った経緯は画像の貼り付け及び削除する操作を充分に把握していなかった不手際な操作がその原因となり、画像の総てが一瞬にして画面から削除されたばかりか、gooブログ会員の方達のブログの総ての画像までも見る事が不可能と言う思いも寄らぬ出来事に出食わしたのでした。何でも間違えれば元に戻せば直ると言う考えは必ずしも正解では有りませんでした。未知な事程怖いものは無いと言う事を今更に実感させられました。 削除する場合は慎重に良く確認した上で行うべきでした。未解決だった原因が今日自分自身の手で究明されるまで流石の私も随分と苛立つ気持ちを抑えるのがやっとでしたが、それも常に励まし続けて下さった方達のお陰です。本当に有難うございました。これからもご指導の程宜しくお願い致します。今日は私のブログに取って最高に輝いた嬉しい日となりました。頑張ります。 今まで載せて参りました私の記事は退会した事によって総てが削除されましたのでご了承下さい。