愉しい触れ合いを目指してゆとりの有る人生を歩みましょう

平凡な日常生活にまつわる拘り情報、写真、並びに体験談等を交えて皆さんとの交流を深めて参りたいと思います。

フーバーダムの橋桁建設工事の現状を見る (其の#4)

2009-10-28 11:33:40 | Weblog


前回の9月13日付け「其の#3」に引き続いて今回は「其の#4」と題してアーチの接続完成した上に最終的なハイウエイを支える橋桁の建設工事の様子を紹介しています。この橋桁も間近に完成され左右から待ち臨んでいるハイウエイの接続も来年度には完全に完了する事でしょう。 この日25日は日曜日とあって観覧客の足並みも何時もより数多く観光バスも見られて賑わっていました。 

午前中の日差しを受けて橋桁建設工事の状態を撮るにはやや逆光線になり期待したほどの鮮明な画像には至りませんでしたが、Movieも並行して撮った中からの部分的なスナップ写真も含めてデジブックに乗せましたが、それらの写真は可なりぶれていて見難い映像ですがご了承下さい。 Movieで橋桁の建設工事の状態をクローズアップで詳しく見ることが出来ます。 デジブックで見る動画の枚数は52枚ですのやや時間が掛かり過ぎ(20分経過)に感じますがごゆっくりご覧下さい。
(訂正:終わりの湖の景色の左側がネバダ州です。右側がアリゾナ州になります。)

尚、Movieは後日編集してYou Tubeで紹介させて頂きますのでご覧下さい。

此処ネバダのラスベガスやアリゾナでは殆ど砂漠地帯で覆われていますので、秋の紅葉の季節には関係無く、殺風景な荒々しい自然のごつごつした岩肌ばかりの光景で、北部に足を踏み入れない限り紅葉の景色には有り付けません。

途絶えていた近況報告

2009-10-21 09:02:06 | Weblog
2週間半振りの息抜きをさせて頂き皆様にご心配をお掛け致しまして誠に申し訳ございませんでした。
季節の変わり目に入り朝夕の気温も徐々に冷えて参りましたが、何卒くれぐれもご注意なさって下さいます様に。

突然のパソコンの不調に暫くの間手足を奪われた事態に遭い、急遽新たなパソコンに取り替えてやっ
と立ち直ることが出来ました。 その間、同時に色んな雑用に追われ忙しい日々を過ごしていました。

家内の介護には今ではすっかり馴れてはいるものの、最近になって回復の兆しが衰え動作が可なり鈍くなって歩行が出来なくなりました。脳精神科医に依る再検診が施され様々なテストの結果を分析した説明を待っているところです。 丁度一年前までは初期のアルツハイマー病と診断されていましたが正常圧水頭症と診断を見直されてシャントと呼ばれる脳の手術を行った後は毎回一ヶ月半毎に脳脊髄液の圧迫度の調整を徐々に行って来ましたが、現在に至っても一時は良くなったと思われていた症状が期待した程に回復せず、未だにCT Scanの繰り返しを続けて調整を行っています。 如何やら正常圧水頭症と言えどもやはり認知症状も入り混じっている可能性が見受けられています。完全な回復は期待出来ない状態である事はそれなりの覚悟をしての介護を続けていますが、家内がはっきりした意識を持ち続けている間は私にも介護の遣り甲斐がありますので頑張っています。会話を交わしても話の内容が一定せず記憶力も時間の相違で内容が一致しません。然し昔の元気だった頃の記憶は意外としっかりと捕らえて居るのには驚きます。

認知症状でよく見られる尿失禁並びに歩行困難となる症状は当然起こり得る事で自律神経が禍しており、一概にリハビリで回復出来るものでは有りません。幾らリハビリをしても本人に遣る気力が無い限りどうにもならない事なのですが、それでもリハビリは勿論続ける必要が有ります。

私達には子供に恵まれなかったので老後の引退生活は二人で助け合う事しか出来ません。然しお互いに年齢を重ねて行く内に現在の様な生活状態になって来た事も前以て予期して置かねばならない事です。 幸いにしてこのアメリカで二人で頑張って来た甲斐が有って引退生活には恵まれた環境の中で日々を過ごしております。 誰も頼れる身内の者が近くに居ませんので近くに住む友人関係は大事にして居ります。 頼れるのは自分のみなので我が身の健康をしっかり維持して行く様に心掛けています。 人生は長い様で本当に短いものである事をつくづく思う様になったこの頃の私です。 

今日は少し暗い内容の文章になって申し訳ございませんでしたが、このブログのお陰でどれだけ私の気持が癒され、又、力付けられた事かと皆様との交流に感謝いたしております。 これからも引き続き拙い私の独り言の記事ですが、努めて書き続けたいと思っておりますので宜しくお願い申し上げます。

勉強になるお裾分け「知らんかった!」の巻

2009-10-03 08:39:13 | Weblog
日本を離れて60年、{丁度60年前、1949年、の今日10月3日に単独でハワイのホノルル(生まれ故郷)に着いた日です}このアメリカで暮らして来ました。その殆どは日本人の多く住むロスアンゼルス、然し此処で使われている日本語はカリフォルニア独特な日本語で様々な地方の方言が入り混じり、表現の仕方もまちまちで便利の良い日本語化された英語?も取り入れて...。 日本語の難しさをしみじみと身に感じています。
(親しい知人からのお裾分けです...結構勉強になりますよ!)

『言葉』
中一まで、ニュースなどで「誤って転落」と聞くたびに、「ごめんなさい、ごめんなさい…」と謝りながら落ちていったんだなと本気で思ってた。

香辛料のウコンをウンコと認識し、カレーが食べられなくなった時期があった。

うちのじいさんは通販で「濃縮ウランくれ!」とのたまった。

「神のみぞ知る」を「神のみそ汁」と勘違いしていた私。

小学校高学年まで「汚職事件」を「お食事券」だと勘違いしていて、食事が何でそんなに深刻なんだろうと思っていた。
オイラの場合、お食事券を贈って贈賄で捕まったと思ってたからさらにタチが悪かった。

「ステレオタイプ」と聞いて真っ先にオーディオを連想する人は私だけではないはず。

「団塊の世代」をどうしても「男根の世代」と言い間違えてしまう。直らない。
何故だ!? ↑…第1次ベビーブーム世代の事だから「男根」が頑張った結果な訳で、あながち外れてもいない。

「発破をかける」(激をとばす、尻に火をつける。の意)の「発破」を「葉っぱ」だと思い、勝手に日本語の由来は奥が深い、きっと大きな桶いっぱいくらいの葉っぱを頭からかぶった話でもあるんだろぉ。と思っていた。

インピーダンスって、どんなダンスですか?

「一姫二太郎」ということわざは、男女関係なしに、最初の子に「姫」二番目の子に「太郎」と命名するのかと思っていた。
普通は娘が一人、息子が二人と勘違いする。
正しくは子供が二人生まれて、先に娘で二番目に息子という意味(知らんかった。娘一人、弟二人という意味かと)。
「一姫 煮たろう」だとオモテたよ。まんが日本昔話に出てきそうなタイトルだし。で、ストーリーは結構恐い感じ?

アフォーダンスって馬鹿踊りのことでしょ?

「毛細血管」を、「モー細血管」という牛だけにある血管だと思っていた。


『音楽』
高校生になるまで、拍(4/4とか)を約分しても良いと思っていた。

吹奏楽(すいそうがく)とは、アクアラングを装備し巨大な水槽に金管楽器を持ったまま飛び込んで演奏するものだと思ってた。そうじゃないと知ったのは高校で吹奏楽部を見たとき。私は水槽について研究してる部だと思っていました。

テストでバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスの写真を示し答えを求めたところ…
最初は正解『バイオリン』
次は…『すこし大きなバイオリン』
チェロを『それより大きなバイオリン』
コントラバスを『なまら(北海道弁ですごくの意)でかいバイオリン』
とやらかした奴がいた。

最近まで、1オクターブを1億ターブだと思っていた。

高校の頃まで「葬送行進曲」を「曹操行進曲」だと思っていて古代中国の曲だと思っていた。

中森明菜の「禁句」で「それはちょーっと出来ない相談ねー♪」を「そうだんねん」という関西弁だと信じていた。変わった歌詞だとずっと思っていた。明菜は出身が関西だったかな、とまで考えていた。

吉田拓郎の「旅の宿」の歌詞で「浴衣の君はススキの簪(かんざし)」を「額田王(ぬかたのおおきみ)はススキの簪(かんざし)」だと思っていた

デューク・エイセスの「女ひとり」の冒頭部分「京都 大原 三千院」が「京都 大原 三千里」に聞こえ、「大原ってところがどこだか知らんが、京都から三千里も離れた遠いところなんだなあ」と訳のわからない合点をしていた。

「悲しい色やね」の「大阪ベイ・ブルース」を「大阪ベーブ・ルース」だと思っていて大阪の野球チームにいるそういうあだ名の強打者のことを歌った歌だと思っていた。

キャンディーズの「微笑がえし」の「可笑しく~って~涙が出~そう~」を「お菓子食っ~って~涙が出~そう~」と思っていた。

藤井フミヤの『下北以上・原宿未満』の「下北」を下北半島だと思っていた。

『浪花恋しぐれ』の歌い出し「芸のためなら女房も泣かす」を、「ゲイのためなら…」と勘違いし、「それじゃあ確かに女房も泣くわな」と勝手に納得していた。

毎日夕方になるとテレビから「you get a クインテット♪」と聴こえてきて、クインテットって手に入るものじゃないだろ・・・と思っていた。「ゆうがたクインテット」だと知った時はショックだった。

大学生になるまで「赤い靴」履いてた女の子は「良い爺さん」に連れられて行っちゃったんだと思っていた。良い人に連れられて行ったんならもっと明るい曲にすればよいのにと思っていた。
俺は高校卒業するまで「いい人さん」に連れて行かれたのかと思ってた。
俺は中学卒業するまで「ひいじいさん」に連れて行かれたのかと思ってた。

23歳まで童謡・赤トンボ「追われて見たのは・・」と、トンボに追いかけられる唄だと思っていた。
正「負われて」、誤「追われて」。背負われているのです。

ふるさとの「ウサギ追いしかの山」を「ウサギ美味しいかの山」だと思ってた。

君が代の「さざれいしの いわおとなりて」というフレーズを聞いて、岩が音を立ててぶつかり合うワイルドな光景を思い浮かべていた。
正解「さざれ石(細かい石)の巌(大きな岩)と成りて」

「アルプス壱万弱おヤギの上でアルペン踊りをさぁ踊りましょ♪」絶対にヤギだと思ってました。
正解 コヤリの上で「コヤリ」というのは槍ヶ岳の頂上にある数 m の小山のこと。これを知るまでずっと外国の歌だと思ってました (知らんかった)
「壱万弱」じゃなくて「壱万尺」。

「たなばた」の一番の歌詞↓の意味が未だにイマイチ解りません(T_T)
「ささのはさらさら のきばにゆれる おほしさまきらきら きんぎんすなご」
軒端は縁側のひさしが直角に折れているところで文字通り軒の端、砂子は色紙などに金箔や金粉が漉入れてあるもので、その様子を夜空に見立てているとのことです。

「春の小川」の「咲けよ咲けよとささやきながら」のところを「鮭よ鮭よ」だと信じ、この歌は「カムバック・サーモン(〇〇川に鮭を呼び戻そう)」運動を広めるための歌だと思い込んでいた。

「とおりゃんせ」先日友人の子どもが「こーこはどーこのほそみちだー。ペンギンさまのほそみちだー」と歌ってました。…どんな細道だ。

「雨雨降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎えうれしいな♪」の歌は、「ジャノメミシン教室に通うお母さんが雨の日だけは迎えに来てくれるからうれしい」の意味だと思っていた。ジャノメミシン教室なんてあるのかどうかは知らないけど。

母は「浦島太郎」の終盤の歌詞「帰って見れば此は如何に」を「帰って見れば怖い蟹」だと思っていたという。

「もりのくまさん」で「くまさんのいうことにゃ、おじょうさん、お逃げなさい」
は、くまさんがどんなことを言っても耳を貸さずにひたすら逃げろとナレーターのような第三者(声:キートン山田)か、物語とは関係なく歌っている本人が言っているのだと思っていた。

「か~ら~す~、なぜなくの~」の歌で、「やまにななつの子があるからよ」は、山には7歳になる子ガラスがいるのだとおもっていた。そのころは、「だいたい自分と同じくらいか~」と思っていた

ルパン三世のテーマ曲の出だし、「♪ルパンだぞ~ぉ」だと思っていました。
「ルパン、ルパ~ン♪」と思っていた友人はまだ良い方。「ルパンでさ~♪」と思っていた自分は酷い方。
正解は「Lupin the 3rd」(知らんかった!)

巨人の星OPの出だし「思い込んだら」を「重いコンダラ」だと思ってた。
ちょうど飛雄馬がタイヤを引いているシーンなので「あれをコンダラって言うんだ」と納得 。
あの重いローラーを、誰かが冗談で「コンダラー」とか言い出したら、学年では皆そう呼んでましたけど。
既に全国で、かなりの高い率であのローラーは「コンダラ」と呼ばれている。

『おどるポンポコリン』の「タッタタラリラ~♪」が「さっさなりまさ(佐々成政)~♪」に聞こえて頭から離れない。(信長の野望中毒患者より)


『食べ物』

「鯛の尾頭付」を「鯛のお頭付」と勘違いしていた。どうせ食べないのになぜ頭だけついていてうれしいのかと…

中学3年生までピクルスはウリ科の一種の植物だと思っていた。
ちなみに友人はマックで「チーヅバーガーパピルス抜きで!」と注文していた。

きくらげは中一まで黄色のくらげかと思ってた・・・・ゆでると黒くなるのかと。

就職先に出入りしていた仕出し弁当屋のメニューを見て「餃子」を「サメコ」、「焼売」を「ヤキウリ」と読んでいたあいつは立派な大人になったか、最近気になりだした。

「おとなのふりかけ」は18禁だと思ってた。
酒を粒状にしたものが入っているので二十歳以下は食べられないんだと思い込んでいた

小学生の頃まで、パンはパン粉から出来てると思ってた。だってうどんはうどん粉、そばはそば粉から出来るじゃん。
俺はうどん粉はうどんの実というのを挽いたものだと思っていた。

ラー油の語源は「ラーメン屋さんで使うから」だと思っていた。

猪肉を使う「しし鍋」は「獅子鍋」つまりライオンの肉を使っていると思っていた。

「道明寺粉」という言葉を初めて聞いた時、「道明寺湖」という湖の名前だと思った。
初めて文字を見た時、「道成寺」(謡曲や歌舞伎の演目)と勘違いした。

先日まで八宝菜は野菜の名前だと思ってた。

「かやくご飯」のことを「火薬ご飯」とずっと勘違いしていて、ずいぶんと物騒な食べ物があるんだなあと思っていた。

人工甘味料の「アスパルテーム」。ついさっきまで「アステルパーム」だと思ってた(知らんかった)

シャトーブリアンはワインの銘柄だとずっと思ってた。
正解 牛肉の部位

素うどんは、汁が体にいい「お酢」で出来ているのかと思った。
初めて聞いたときは「すー丼」ていうどんぶりものだとおもった。
ラーメン屋でラーメンにお酢を入れて食べる人を初めて見た直後に「すうどん」という言葉を知ったため、ラーメンの時と同じく、普通のうどんにお酢を入れて食べるのを「酢うどん」と呼ぶのだと思ってた。

焼きうどんを「野球丼」という料理だと勝手に思い込んでいた。

給食の「ビーフン」をきっとビーフ味の何かだろうと楽しみに待っていたら、ただの油っぽい麺で少しがっかりした。

俺が子供の頃、スーパーに行くとうちの母親は素で「カップルヌードもっといで、カップルヌード!!」と連呼してた。ほんとは何かは言わずもがな。

5歳くらいの頃、柿の種を植えれば柿が生えてくると思っていた。

「天津甘栗」を「あまつあまぐり」だと信じていた私は千葉県民。

ラムネは駄菓子のラムネを炭酸水で溶かしたものだと思っていた。
ラムネ自体は「レモネード」が語源。 レモネード→ラムネード→ラムネと変化したらしい(知らんかった)。

某漫画に「ブルーマウンテンのウインナーコーヒー」として「青い絵の具・山芋・ウインナーソーセージ」を入れたコーヒーを作るシーンがあった。

「チュロス」と「チョリソー」は同じものだと思っていた。英語で「チュロス」というのをスペイン語で「チョリソー」というんだと思っていた。

「杏仁豆腐」を豆腐の一種と思ってました。当時20歳。

コーヒーはチョコレートと同じようにカカオ豆から取れると思っていた。

フレンチクーラーと思ってた。クルーラー?何それ?

チョコレートのトリュフは世界三大珍味のトリュフをチョコに包んでるから高価なんだと昨日まで思っていた。

小2までモンブランのクリームの渦の部分はスパゲッティで出来ていると思っていた。ずっと食わず嫌いしていた。

高校までプレーンヨーグルトはプルーンが入ってると思ってた。「プレーンオムレツ」はそのヨーグルトを使っているんだと。

マスクメロンの値段が高いのはお百姓さんがメロン一個一個に一生懸命すじを彫っているからだと友人に教えられて25になるまで信じていた。玉が小さい時にすじを彫っておくと甘味が増して美味くなり、表面の模様はその証拠だと・・・その手間を考えれば高くて当り前だと思ってた


『日本地理』

小学生のころ日本の中国地方は外国だと思っていた。

8歳ごろ、九州地方の天気予報で大分(おおいた)県を、「オーブン」と読んでいた。

「しゅとこう」は「首都口」で、鎌倉の切り通しみたいにそこを通らないと首都に入れないからいつも渋滞してるんだと思ってた。

18歳まで「茨城」は「いばらぎ」だと思っていた(茨城県の人ゴメンナサイ...)
一生気付かない奴もいるくらいなので気にしないでください。(by茨城県民)
正解はイバラキ

つい最近まで「Shiodome」を「シオドーム」と読んでいた。正しくは「シオドメ」。
「ShioSite(シオサイト)」とかあるから、ドームもあるのかと…。

「我孫子(あびこ)」のことをついこの間まで「がそんし」って読んでいた.

親に「富士山は山梨県と静岡県にある」と教えられ、富士山は日本に2つあるんだとおもっていた

義理の妹は中学まで「都道府県」を「とどうふ県」という県だと思っていたらしい。

中学2年生の頃まで「熱海」の事を「ねっかい」と読んでいた。

どっかのテレビ番組で旧中山道(きゅうなかせんどう)を「いちにちじゅうやまみち」って言ってた人がいたな。

歌舞伎座と歌舞伎町の区別がつかなくて、歌舞伎座が新宿にあると思っていた。

東京都葛飾区の「柴又」「亀有」は架空の地名だと思っていた。

武蔵の国を宮本武蔵が作った国と思っていた。

三重県四日市市はどうして市が二個あるのかずっと意味不明だった。(「よっかしし」だと思っていた)

八日市場市(現:匝瑳市)を幼いころずっと「妖怪千葉市」だと思っていた。

札幌と函館は快速列車で1時間で着くと思っていた。
正解 札幌-函館間の陸上距離は東京-名古屋間に等しい(知らんかった)。

どうしても「茅場町」を「カバヤ町」と言ってしまう。

JR八高線を23才まで「ハチ公線」と表記する渋谷が始点の路線だと思ってた。
正解 八王子と高崎で八高線です。

『世界地理』

21歳まで「サグラダ・ファミリア」は日本人の桜田さんが作ったと思っていた。

大学生まで「マサチューセッツ工科大学」を「正中摂津工科大学」という名前の摂津にある中堅大学だと思っていた。
ぼくは、「マサツーセッチュ工科大学」だと思っていた。

中学2年のころまでイギリスの「大英博物館」を「ダイエー博物館」だと思っていた。 日本のスーパーは世界進出してるのかと驚いていた。

どうしても「スコットランド」を「スットコランド」と言ってしまう。


『歴史』

小6までクロマニョン人に対して「シロマニョン人」がいると思ってた。
黒魔児四陣だと思ってた。

学徒動員、学徒出陣をずっとGackt動員、Gackt出陣だと思っていた。

徳川吉宗を「米将軍」ではなく「暴れん坊将軍」とテストに書いた奴は俺だけじゃないはずだ!

毛沢東を「けざわひがし」と言う日本人だと思っていた。

「スカーレット・オハラ」は「スカーレット小原」で、「小原庄助」と血縁関係にあると思っていた。

つい最近まで、「風林火山」は、昭和新山とかの「火山」の類かと思っていた。

中臣鎌足を「なかとみのかたまり」って読んでた。

社会の授業中、六波羅探題とノートに書こうとして「六波羅短大」と書いてしまった。それからしばらくして、京都所司代が出てきたら「京都女子大」と書いていた。

時代劇のナレーションで出てきてた「高利貸し」を「氷貸し」だと思っていた。
なんでそれが悪なんだろ??? って悩んでいた小学生時代。

切捨御免を数学用語だとずっと思っていた。

以上です。 面白いお話が有ればお裾分けして下さい。