愉しい触れ合いを目指してゆとりの有る人生を歩みましょう

平凡な日常生活にまつわる拘り情報、写真、並びに体験談等を交えて皆さんとの交流を深めて参りたいと思います。

53年振りのハワイへの帰郷

2009-06-27 00:59:20 | Weblog

ダイヤモンドヘッドのクローズアップ

アラモアナ ビーチから見たダイヤモンドヘッド



ダイヤモンドヘッドの突端から見下ろした風景


ダイヤモンドヘッドの噴火口への出入り口


ダイヤモンヘッドの噴火口内に入ると先ず広い駐車場に誘導される。其処から約20分掛けて頂上までハイキング出来るが、それ以外には何も見る所は無い。


クローズアップした様子

高層ビルの群れで最早やダイヤモンドヘッドの全景は見られなくなっていた。
私の生家は市内の中心地区で現在では全く昔の原型を留めていない場所となっていた。市内の殆どの道路は一方交通となっている為、中々目的地に辿り付けず迷ってしまう。 人口が凄く増えた上に観光客の足並みと更に彼らのレントカーの数で混雑して居り中々移動出来ない。駐車場は常に満杯状態で身動き出来ず、駐車して地図で現状地を確認する事すら不可能。ラスベガスのストリップの繁華街の渋滞以上の有様だった。
気温は然程に暑い感じはしなかったが、馴れない蒸し暑さには不快感を感じ、つくづくラスベガスの乾燥した空気が恋しく思われた。昔の記憶では綺麗で静かだった海岸や海岸沿いの公園は人込みと自動車の数の多さに昔の面影を見出す事は不可能で何となく狭苦しくさえ感じた。私の長年の念願だった夢は叶えられたものの此れが現在の観光地となったホノルルの現状とは些か裏切られた感じがして寂しくさえ思った。最早住む街では無く、観光するだけの街となっていた。
私が初めてホノルルに戻り伯母の世話になって生活をした当時の家は未だ昔のままの姿で残っていた。それとハイスクールの建物も其の儘の姿を見る事が出来て非常に懐かしく思ったが、それ以外の場所は総て変わり果てていた。 
次回は7日間の3島、マウイ、ハワイ、カワイ島などのクルージングにまつわる写真を含めて紹介させて頂く。 今回何故かサムネイルに上手く画像を取り入れる事が出来ず時間を取ってしまったので、遅くなったお許しを乞う。


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3 コメント

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ハワイ (osamu)
2009-06-28 15:09:35
高校生のころだったかな?「憧れのハワイ航路」?石本美由紀作詞(同窓の大竹の石本さんの親戚の方)この詩は、当時よく歌いました。ハーモニカでも吹きましたね。この写真を見るとなんだか現実と夢の差をみるようで・・・。蒸し暑さとは初めて聞きました。皆さんいい気候だ!いい気候だ!といわれるもので・・・そう思っていました。

お疲れさまでした。
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故郷ハワイ ()
2009-06-29 10:29:04
べんさん疲れは癒えましたか?
50年の月日は懐かしい故郷の思い出の様変わりに驚かれたようですね。
せめてお世話になった家とハイスクールがそのまま残っていて故郷へ来たを実感されたことでしょう。

私の中のハワイは前の記事のトップ写真です。
前面にダイヤモンドヘッドが見え、コバルトの海と空の美しい景観です。

観光地に変わっているベンさんの故郷のハワイ
もう一度訪ねたいです。
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osamuさん (ベン)
2009-06-29 23:53:35
遅くなってご免なさい。ハワイに初めて戻った当時は初めて出会った伯母や従兄達に囲まれ物珍しくあしらわれて、英語の判らない私にはとても親切にしてくれました。「憧れのハワイ航路」の歌は大好きで良く口ずさんで居ました。毎週土曜日の夜には日本放送局で喉自慢が行われ放送されていて、そんな或る日、ホームシックで日本恋しさ一杯だった私は友達と連れ立って見に行った時、一番最後に飛び入りで其の歌を歌い合格の鐘が気持ちよく鳴り響いて幕を閉じ、大きい薔薇の花束を頂いて写真まで撮って頂き喜び勇んで持ち帰った事は今も忘れません。石本美由紀さんは惜しくも亡くなられ事に驚いていますが、石本君の親戚だった事は知っていました。彼の話に依ると彼の母親と私の母親は親戚関係に有った事も聞かされていましたが確認はしていません。彼と親しくなれたのもそんな背後関係が有ったからかも知れません。
「常夏のハワイ」と良く言われて来ましたが、
このラスベガスの気候に馴れている為か、ハワイの蒸し暑さが特に感じられました。ハワイに住んでいた頃は気持ちの良い気候だと思い少しも気にはなりませんでしたが...何処に居ても「住めば都」なのですね。




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