「母の日」の出来事
今年も例年の5月10日と云えば『母の日』。 「母の日」に備えて先ず尤も目を惹くのは色鮮やかな贈り物の花束や綺麗なコサージ等、又はレストランでの宣伝等も含めて幅広く暖かく迎える風習は可なり強い。 私は82才の年齢に達して供に苦労を重ねて来た伴侶は既に私の介護を必要とする身体で既に10年近くになる。 子供に恵まれなかった私達夫婦に取って父、母と呼んでくれる我が子は居ない。 まして両親との縁も薄かったので早く死に別れ、父、母と呼べる親も居なかった。 然し母親は居なくても、長く付き添った愛妻が何時も傍にいて呉れる。 例え何も出来ない不具者になり果てていても、私に取ってはたった独りの愛妻だ。 彼女は私の名を呼ぶより、ダデイーと呼ぶ事が多い。 然し私は妻の事を『お母さん』と呼ぶことは無く、何時もニックネームで 「ミキ」と呼んでいる。 2人だけの食事は余り愉しくないが、たまに「母の日」を理由にレストランに出掛けた事は有ったが、アメリカ式に花束を贈った事は殆んど無かった。 一度だけ妻が家に居た「母の日」に仕事場から家に花屋さんを通して花瓶に入れた花束を贈った事が有った。 妻が驚いて喜んだのは束の間で、花は花瓶ごと愛猫に拠って床に叩き落とされたのでした。 其れが最初の最後となりました。
今年の「母の日」は何時も世話になっている近所の友人夫婦から彼等の娘夫婦と一緒に夕食に出掛けるが、一緒に出かけないかと誘われたのでした。 此の数日、風邪をこじらせていた妻が気掛かりだったが、一応行く事に決めていたので今朝方コサージを三つ買って用意しておいた。 他にも、一組大変世話になっている夫婦もいるので、彼等には日頃のお世話を感謝して「母の日」の為に薄紫のシクラメンの植木をそっと玄関口に置いて帰ったまでは良かったが、直ぐ其の後に気付いた事は、全く違う家の玄関口に置いて来た事だった。 何とした事かと其のしくじりに恥ずかしく思いながらも、恥を忍んで其の家のドアをノックして、訳を説明して無事取り戻したのでした。 今まで彼等の家を間違えた事は一度も無かったのに、この度に限って間違うそそっかしさには自分ながら呆れましたが、無事彼等の手に収まって喜ばれて良かった此の日は私の「母の日」でした。 残念ながら夕食に誘われた友人夫婦との夕食には妻の風邪の具合を気にしてお断りさせて頂きました。
普段に遣りつけない事をするとこんな羽目に合う事を肝に銘じて今度の教訓とします。
今年も例年の5月10日と云えば『母の日』。 「母の日」に備えて先ず尤も目を惹くのは色鮮やかな贈り物の花束や綺麗なコサージ等、又はレストランでの宣伝等も含めて幅広く暖かく迎える風習は可なり強い。 私は82才の年齢に達して供に苦労を重ねて来た伴侶は既に私の介護を必要とする身体で既に10年近くになる。 子供に恵まれなかった私達夫婦に取って父、母と呼んでくれる我が子は居ない。 まして両親との縁も薄かったので早く死に別れ、父、母と呼べる親も居なかった。 然し母親は居なくても、長く付き添った愛妻が何時も傍にいて呉れる。 例え何も出来ない不具者になり果てていても、私に取ってはたった独りの愛妻だ。 彼女は私の名を呼ぶより、ダデイーと呼ぶ事が多い。 然し私は妻の事を『お母さん』と呼ぶことは無く、何時もニックネームで 「ミキ」と呼んでいる。 2人だけの食事は余り愉しくないが、たまに「母の日」を理由にレストランに出掛けた事は有ったが、アメリカ式に花束を贈った事は殆んど無かった。 一度だけ妻が家に居た「母の日」に仕事場から家に花屋さんを通して花瓶に入れた花束を贈った事が有った。 妻が驚いて喜んだのは束の間で、花は花瓶ごと愛猫に拠って床に叩き落とされたのでした。 其れが最初の最後となりました。
今年の「母の日」は何時も世話になっている近所の友人夫婦から彼等の娘夫婦と一緒に夕食に出掛けるが、一緒に出かけないかと誘われたのでした。 此の数日、風邪をこじらせていた妻が気掛かりだったが、一応行く事に決めていたので今朝方コサージを三つ買って用意しておいた。 他にも、一組大変世話になっている夫婦もいるので、彼等には日頃のお世話を感謝して「母の日」の為に薄紫のシクラメンの植木をそっと玄関口に置いて帰ったまでは良かったが、直ぐ其の後に気付いた事は、全く違う家の玄関口に置いて来た事だった。 何とした事かと其のしくじりに恥ずかしく思いながらも、恥を忍んで其の家のドアをノックして、訳を説明して無事取り戻したのでした。 今まで彼等の家を間違えた事は一度も無かったのに、この度に限って間違うそそっかしさには自分ながら呆れましたが、無事彼等の手に収まって喜ばれて良かった此の日は私の「母の日」でした。 残念ながら夕食に誘われた友人夫婦との夕食には妻の風邪の具合を気にしてお断りさせて頂きました。
普段に遣りつけない事をするとこんな羽目に合う事を肝に銘じて今度の教訓とします。