Hirokaz' Diary

Ondangwa Life in NAMIBIA

入学おめでとう?

2008-01-31 15:21:09 | Weblog
 新学期、最初の全校集会。見慣れない顔が約半分もいました。私の学校では、毎年、新しい入学生が約500名も来ます。いつものように、全校生徒の前で、先生方の自己紹介が行われました。私は去年のような緊張はなく、普通に「笑い」をとりました。担当クラスを告げると、そのクラスの生徒から歓声や拍手がわき起こりました。ここが私の居場所になってきたことを実感しました。そして、この学期が私にとって最後であることを告げると、一斉に悲しみのどよめきが…。集会が終わった後、理科担当の先生方からも「今年はつまらない年になりそう…。だってHiroがいなくなるから」、生徒たちからも「絶対行っちゃダメ。もっといられるように日本にお願いして!」の声が。そう言われましても…。
 クラス名簿が教室前に貼り出されました。いわゆるクラス発表です。そして、生徒がそれぞれのクラスに移動していきました。クラス担任が教室に行って、机とイスの数をチェックしました。足らない分の移動や追加が行われました。日本だと、すべてを入学の前に整えますが、こちらは学校がはじまってからすべてを整えます。段取りが悪いようですが、休みと就業中の区別をはっきりさせているように思います。
 日本でいうと入学式にあたる日でも、それらしいイベントは何にもありません。全校集会のときも、規則の話があって、やぶると退学だとか、勉学のために集まっているんだから、修練の気持ちを忘れないように、とか説教じみていました。入学は「おめでとう」じゃないんだね。でも…

モスキートバスターズ

2008-01-29 15:09:39 | Weblog
 朝から大きなトラックが私の家に横付けされました。何の騒ぎだろうと外へ出てみると、寮母さんから「蚊を一斉退治するから、あなたの家もやってもらいなさい。そうしないと、すべての蚊がみんな集まってきちゃうよ」と聞かされました。銀のボンベを背負い、青の作業服に、白い防毒マスク、防塵ゴーグル、何やら仰々しいスタイルの人たちがたくさんいました。「モスキートバスターズ」です。寮を再開する前に、休み中、放置されていた寮の建物を一気に掃除、というわけです。クリーニングスタッフのみなさんも大忙しでした。
 午前中なのに、気の早い生徒がぞろぞろと集まりはじめていました。ホールの窓には、ホステルの部屋割りが貼り出され、そこに人だかりができていました。いまいちよくわからないのですが、ホステルのブロック(建物)は学年ごとでもないし、去年の生徒が他のブロックに移っていたり、残っていたりします。どんな基準で分けているんだろう?

2008年度スタート

2008-01-29 15:03:16 | Weblog
 休暇中の記事が多いと本当に遊んでばかりいるみたいなので、学校活動のようすを載せます。
 休み明けの職員室でのできごと。みんな久しぶりの再会に喜びを体で表現していました。私もたくさんの先生と握手やハグをしました。こちらの習慣ではごく普通のこと。ちょっぴり恥ずかしいのは、日本人だから?
 その後の話は決まって、休みはどうだった?、どこに行ってた?、何して過ごしてた?のオンパレード。この休み中に待望の「車」を購入した若い男の先生たちは、もうすでに30000kmを走っちゃったみたいです。よほどうれしかったのでしょう。理科主任の先生は、ナミビア南部のロシュ・ピナという小さな町(ここから約1500kmも離れています)に行って、亜鉛鉱山を見てきたと言っていました。生徒にナミビアの有名な鉱山を教えるときに、役立ちそうですね。
 ある先生は、職員室に入ってくるなり、いきなりみんなに宣伝を始めました。「カリーフィッシュ?」…最初、何のことかわからなかったけど、その先生の実家が港町なので、新鮮な魚をたくさん仕入れてきたのです。それをカレーで煮て、瓶詰めにして、1本N$30(約550円)で売りさばいていました。商売上手です。飛ぶように売れていました。この国では、海に縁のある人はかなり少ないですからね。私も1本買いました。写真は試食のようすです。手で受け取るのがこちらの常識です。ちょっと酸味のある味付けでしたが、いろんな香辛料が効いてておいしかったです。日本のカレールーと混ぜて、ちょっと変わったカレーライスを作ろうと思います。
 いよいよはじまっちゃいました。新しい学年、新しい体制、そして、最後の学期が…。

旅の記憶 その5

2008-01-24 18:10:22 | Weblog
 スワコプムンドに滞在している他の隊員をかき集めて、遊覧飛行を計画、実行しました。そう!世界最古のナミブ砂漠を空から見たのです!もう、1年以上も前からやりたかった遊覧ツアー。最後の最後で、ようやく念願が叶いました。
 数百万年間、その姿を変えていないという「世界最古」の異名をもつナミブ砂漠。広さではなく、その古さで世界一なのです。特徴はアプリコット色の砂。赤みがかったオレンジ色の砂漠は、何とも美しく、絵になります。ナミビアに来る観光客に「何がしたい?」と尋ねると、最も多いのが「赤い砂漠が見たい」と答えます。
 ナミブ砂漠は大西洋に面していることでも有名です。海と砂漠が隣接するのは、世界でもここだけです。乾燥と水…、相反する性質が共存するのも、南極からの寒流が原因です。海が冷たすぎて、海上の空気が湿気を帯びないのです。
 さて、空から見たナミブ砂漠は…、すごいの何のって、言葉にできない感動がありました。地球の地肌は、生き物のような躍動感、そして、地球の息づかいを感じることができました。めっちゃくちゃ高かったけど、お金が…。
 これで旅の報告を終わりますが、いや~、やりきりました(遊びすぎました)。もう、思い残すことはありません。

旅の記憶 その4

2008-01-24 18:05:14 | Weblog
 ナミビア最大のリゾート地、スワコプムンドに行きました。この時期、ナミビアの人口が北部とスワコプムンドに集中します。生まれ故郷に帰る組(北部行き)と、リゾートを楽しむ組(スワコプムンド行き)というわけです。もっとも、海外からの観光客も涼しいスワコプムンドに押し掛けるのですが…。現地の新聞でも、スワコプムンドにリゾートにやってくる人たちを「Swakopmunder」と呼んでいます。
 私は4日間の滞在のほとんどをのんびり過ごしました。タウンをぶらぶらしたり、海岸沿いの公園のベンチに座って、海を眺めたり、午後の日差しのきつい時間はプールにかぎります。他に誰もお客さんがいなかったので、ホテルのプールがまるでプライベートプールのように利用できました。プールサイドのベッドを日陰と日向に2つ確保しておいて、泳いでは日光浴したり、また泳いではプールサイドのベッドでくつろいだり、音楽を聴いたり、好き放題しました。
 とにかく避暑地ライフを満喫しました。いつも何かの観光目的で旅行をしているので、こんな過ごし方は初めてでした。もちろん、今回はこういう過ごし方をしようと思って、スワコプムンドに行ったのですが…。ちょっと贅沢?いいのかなぁ。

旅の記憶 その3

2008-01-23 17:53:34 | Weblog
 日帰り海外(ボツワナ)旅行を強行するために、前日から国境付近に泊まりました。そして、朝早く国境へ向かいました。ナミビアの出国手続きの事務所から、ボツワナ入国手続きの事務所は、大きな川をはさんでいるために、少し離れています。歩くしかないか…と困っていると、かっこいいサファリカーが登場しました。ツアーを申し込んだ会社が迎えに来てくれたのです。ラッキー!!
 そのままサファリツアーに出発しました。ボツワナで有名なチョベ国立公園を、車とボートでまわるという中身の濃いものでした。ナミビアの国立公園と違って、チョベは湿地帯なので、動物の種類が全然違っておもしろかったです。バッファロー、カバやワニなど、水場を好む動物もさることながら、シカの種類も豊富でした。ウォーターバク、レッド・リー、プクなど、見たこともないシカ類がいました。スプリングボックやオリックスはいませんでしたが、そのかわりクドゥとインパラがたくさんいました。
 午前中はサファリカー、午後はボートでの遊覧でした。ボートでいろいろまわれるほど、無数の川が公園内を走り、それぞれが繋がっています。数え切れないほどのカバを見たのは初めてでしたし、水鳥たちもたくさんいました。野鳥の種類がわかる人には最高におもしろいところかもしれません。飛行機で空から見た人の話では、無数の川が神経細胞のようにはりめぐらされているみたい、だそうです。
 いつの間にか、午後4時をまわっていました。再び車に乗り換え、国道を走って、国境までもどりました。その道沿いで、ゾウの大群に出くわしました。ナミビアのゾウと比べると、黒くて小さくて、種類が違うけど、ものすごい数のゾウが道路を横切っていきました。あまりにすごくて、言葉を失うほどの感動がありました。

旅の記憶 その2

2008-01-23 17:49:35 | Weblog
 ちょうどクリスマスのとき、東端の町カティマムリロに行きました。ずっと移動で来たので、早めにロッジにチェックインして、夕食までのんびり過ごすことにしました。そして、夕方、衝撃の展開が…。「今日はコックがお休みを取ったから、夕食はありません」って、おい!これがこちらのクリスマスです。日本でいうクリスマスディナーなどもっての外。クリスマスディナーは家でお祈りしながら家族でいただくものです。コックも家に帰っちゃうほどの記念日。それがクリスマスなのです。困っている私たちを見て、オーナーが「もう1軒のロッジのレストランはやってるそうだから、そこに連れて行ってあげよう」と声をかけてくれました。しかし、このオーナー、手広い…。
 本場ではクリスマスはホントに大事な行事なんだね。キリストの生誕を祝うこの日は、当然祝日だし、1年の中でも特別な記念日なのです。定休日なしの営業を誇るスーパーも、この日だけは休業でしたから。いや~、それにしても、ものすごいところに建っているロッジでした。川縁の、しかも部屋が水上に浮いている設計なのです。写真はザンベジ川に沈む夕日を背景に撮ったものです。

旅の記憶 その1

2008-01-22 16:21:24 | Weblog
 南部へ行ったときのことです。長期旅行、最初の目的地は最南端の港町ルーデリッツでした。ペンギンのいる、寒~いところです。つまり避暑です。
 さて、はじめての寝台列車。なんだかわくわくしました。列車は古いけど、かなり寝心地のいい寝台でした。車窓からの景色もアフリカを感じさせる絶景が続いていました。何といっても「視界をさえぎるものがない」のがいいですね。線路脇の電柱1本すらありません。もう、おわかりですか?これ、電車じゃないのです。ディーゼルエンジンで走る機関車なのです。だから加速時には黒い煙がモクモク出ます。まるで汽車だね。環境には悪いけど、なんだか風情があっていい感じ。
 とにかく移動に次ぐ移動。ナミビアの北端から南端まで、日本でいうと陸続きの北海道から九州までのような旅です。南部の町キートマンシープ駅のホームで、ベンチに座って電車を待っているときでした。ホームに入っている停車中の整備車両の下から子どもたちが出てきました。きっと近くに住んでいる子どもたちだと思いますが、日本だったら、まず考えられません。駅で遊んでいたら、確実に駅員さんに怒られます。しかし、こちらは一日に1本しか走らないので、駅は閑散としているし、子どもたちの遊び場になっているのです。

新たな幕開け

2008-01-22 16:18:55 | Weblog
 久しく更新がなく、ご心配をかけております。年始から雨季に入ったせいで、昨年のように電話線が使えなくなりました。まったくどういう関係になっているんでしょう。
 だから、ようやく、苦労してネットに参上しているわけで、とにかく…
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
 新年の出足がかなり遅くなってしまいました。えっと、今年は…平成20年なんだね。「平成」の感覚は2年間も失われています。私にとって2006年はJOCVのスタートの年。2007年は本格活動の年。そして、2008年は締めくくりの年、それに、帰国後還元の年がスタートしたとも言えます。約2年間の活動をふり返り、どう締めくくっていくか、そして、帰国後にこれらの経験をどう還元していくか、をじっくり練っていきたいです。後任が来ないのはちょっと残念だけどね…。
 それでは、年末年始の長期休暇中の出来事を、ふり返るように載せますので、どうぞご笑納ください。写真は年越しのときのものです。首都の隊員の家でパーティをしました。