学校がお休みになって、学校内はとても静まりかえっています。学校の外に一歩出てみると、近くの空き地で、たくさんの子どもたちがボール一つで遊んでいました。大きい子から小さい子まで、学年もバラバラで、私が子どものころの日本みたいです。独自にルールを決めて、サッカーのような遊びをしていました。ゴールは棒2本が両サイドに立っていて、その間だそうです。写真のように、壊れた車が観覧席になっていて、とてもアフリカらしい感じがしました。
でもよく見ると、この壊れた車、鉄板がむき出しで、腐食(さび)も進んでいるし、足を踏み外したりすれば、ケガをしそうです。日本だったら、こんな所に車を放置した人が悪いという話になって、責任問題が浮上しますね。しかし、こちらではそんなことにはなりません。万一、ケガをしたとしても、ケガをした人が悪いということで片付けられます。日本では、用水路に落ちれば、柵がないからとか、鉄塔に昇って感電すれば、囲いがないからとか、すぐに管理側の責任が問われます。管理側も責任を問われる以上、気を遣いますし、配慮も行き届きます。安全対策上、ものすごい効率がよさそうに感じるけど、こちらに来て、このことに疑問を感じるようになりました。
今までは当たり前だと思っていたんですが、ふと考えてみると、日本は守られすぎているんじゃないかな?あるいは責任を逃れるための策(理屈)に思えてきました。何の解決にもなっていないのでは?つまり、どういうことかというと、逆に、日本の子どもたちは無警戒すぎます。危険が察知できない状態を育てているのです。こちらの子どもたちは、かなり危険な状況下でもケガをしません。こうしたらどうなるか、危険を予測しているからです。もし、こちらに日本の子どもを連れてくれば、ものの数分以内に重大なケガをすると思います。
私の学校をみても、割れたガラスがそのままになっていたり、金属製の樋が壊れてめくれていたり、有刺鉄線のフェンスが倒れていたり、すごく危険な箇所がたくさんあります。しかし、誰一人、ケガをしません。日本だったら、誰かがすぐにケガをして、速攻、学校側の責任問題に発展しちゃうんだけどなぁ…。
でもよく見ると、この壊れた車、鉄板がむき出しで、腐食(さび)も進んでいるし、足を踏み外したりすれば、ケガをしそうです。日本だったら、こんな所に車を放置した人が悪いという話になって、責任問題が浮上しますね。しかし、こちらではそんなことにはなりません。万一、ケガをしたとしても、ケガをした人が悪いということで片付けられます。日本では、用水路に落ちれば、柵がないからとか、鉄塔に昇って感電すれば、囲いがないからとか、すぐに管理側の責任が問われます。管理側も責任を問われる以上、気を遣いますし、配慮も行き届きます。安全対策上、ものすごい効率がよさそうに感じるけど、こちらに来て、このことに疑問を感じるようになりました。
今までは当たり前だと思っていたんですが、ふと考えてみると、日本は守られすぎているんじゃないかな?あるいは責任を逃れるための策(理屈)に思えてきました。何の解決にもなっていないのでは?つまり、どういうことかというと、逆に、日本の子どもたちは無警戒すぎます。危険が察知できない状態を育てているのです。こちらの子どもたちは、かなり危険な状況下でもケガをしません。こうしたらどうなるか、危険を予測しているからです。もし、こちらに日本の子どもを連れてくれば、ものの数分以内に重大なケガをすると思います。
私の学校をみても、割れたガラスがそのままになっていたり、金属製の樋が壊れてめくれていたり、有刺鉄線のフェンスが倒れていたり、すごく危険な箇所がたくさんあります。しかし、誰一人、ケガをしません。日本だったら、誰かがすぐにケガをして、速攻、学校側の責任問題に発展しちゃうんだけどなぁ…。