まだまだふとした瞬間に悲しくなりますが、
どこかに残しておかないと、忘れてしまいそうな自分がいます。
実は2、3年前から些細な事で母との関係がギクシャクし、旦那や子供達が顔を出す事はあっても、私が実家に行く事はありませんでした。
しかし、今年は父の米寿でもあるという事で、
父のたっての願いで子供や孫達も集まる事になりました。
その少し前から打ち合わせ的な事で、私も実家に行くようになり、母との仲も元通りとなりました。
これは、遠回しに父の計らいだったと思います。
以前から腎臓を患っていたものの、週に一度のデイサービスに通い、訪問マッサージを受け、母の手料理を食べ、長年の趣味だった俳句を作り、穏やかに暮らしていました。
月1の通院が在宅になりましたが、
孫が夏に留学から帰るまでは、
秋に米寿を迎えるまでは、
と頑張っていました。
頭はしっかりしていましたが歩く事がままならなくなり、トイレに間に合わない事もあったので、
最後の方はオムツでした。
オムツを替える母に、ニコニコしながら手を合わせ、ごめんね、ごめんねと言っていたそうです。
母は幸せにしてくれたから倍返しだよ、と返していました。
長くなったのと、込み上げてくるものがありますので
一旦この辺で。
お読みいただきありがとうございます。
うちの父は頑固一徹で厳しくて挨拶程度の会話しかなかったから羨ましいです。
まだまだ悔むことはあるだろうけど大病して親に心配はかけたけど逆縁にならずにお見送りできてよかったと、思う日が来るといいなぁ
いつもひと言多くてごめんなさい
いつもコメントありがとうございます。
ここでのお話、本当にうれしいです。
またよかったらお付き合いくださいね。