心の休憩室 パート2

何度か中断していますが、書きたいことがでてくると復帰しています。

般若心経その10 (別の本の意味と解説1)

2023-03-19 18:05:24 | 般若心経

【般若心経その10】

 

=== 別の本の意味と解説その1 ===

 

1冊の本を読んで、その5~その7の「訳と解説」を

まとめましたが、理解しにくい箇所があったため、

もう1冊の本を読んだところ、よく理解できました。

 

そこで、その10~その13では、「意味と解説」を

まとめてみます。

 

「仏説 摩訶般若波羅蜜多心経」

ぶっせつ まかはんにゃはらみつたしんぎょう

 

【意味】

・お釈迦様の言葉

・般若波羅蜜多の心(真言)を説いたお経

 

【解説】

・般若心経のサンスクリット原典の冒頭には、この題はない

・真言宗では、頭に「仏説魔訶」をつけるのが習わし

・「仏説」は「お釈迦様の教え」

・「魔訶」は「大きい」という意味

・「般若波羅蜜多」は原典の「プラジューニャ―・

  パーラミター」の音写語

・音写語とは、漢語に訳さずに、音だけを写した言葉。

・「般若」(プラジューニャ―)は「智慧」、波羅蜜多(パーラミター)は

 「完成」という意味。

・「心」は「心呪」(しんじゅ)、つまり真言(マントラ)のことである。

 

*****(1)

① 観自在菩薩 かんじざいぼさつ

② 行深般若波羅蜜多時 ぎょうじんはんにゃはらみたじ

③ 照見五蘊皆空 しょうけんごうんかいくう

④ 度一切苦厄 どいっさいくやく

 

【意味】

① 観世音菩薩(観音様)が、

② 深遠な般若波羅蜜多の修行を実践しているとき、

③ 五蘊あり、しかもそれらの本質が空であると見極めた

④ 一切の苦厄を度したもうた

 

【解説】

・観自在は、観世音、観音のこと

・仏教史上、最も人気のある菩薩が「観音菩薩」

「五蘊」とは「色」(身体がある)、「受」(感覚がある)、

 「想」(イメージを持つ)、「行」(深層意識がある)、

 「識」(判断をする)のこと。

・「(自分を構成する)五蘊は、皆、空なり」と理解せずに、

 「(わが身は)五蘊である」と見極め、次に「それらの

 五蘊は皆、空である」と見極めたと理解する必要がある。

・仏教の基本命題が「一切皆苦」(いっさいかいく)であり、

 観自在菩薩は、これら一切の苦を度したもうた(これらの

 一切の苦から解き放たれた)。

 

*****(2)

① 舎利子 しゃりし

② 色不異空 空不異色 しきふいくう くうふいしき

③ 色即是空 空即是色 しきそくぜくう くうそくぜしき

④ 受想行識 亦復如是 じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ

 

【意味】

① シャーリープトラよ、

② 色とは別に空生はなく 空生とは別に色はない

③ 色はすなわち空であり 空はすなわち色である

④ 受・想・行・識についても全く同じである。

 

【解説】

・「舎利子」は「シャーリープトラ」の音写語

・「舎利子」は、釈迦の十大弟子の筆頭

・「色」とは、「私たちが目にして触れることができる

 全てのもの」のことで、「物質的なもの」である。

・「空」=「無い」ではない。

・「コップが無い」と「コップが空(から)である」とは

 意味が異なる。後者の「空である性質」のことを

 「空生」(くうせい)と呼ぶ。般若心教の「空」は

 「空生」のことである。

・空生をスペースとみなすと、「コップにスペースがないと、

 そこに水は存在できない、水がないとスペースの意味が

 ない」 つまり、「形あるものすべては、空生(スペース)と

 不可分である」と言っている。

*****

 

(その11に続く)


般若心経その9 (業と因果について)

2023-03-19 18:00:54 | 般若心経

【般若心経その9】

 

=== 因果と業について ===

 

この世の法則性を、仏教では「因果」と呼ぶ。

因果とは、ものごとの原因と結果の法則のことである。

 

」とは、私たちがなんらかの意思を持って

ものごとを行おうとする際に発生するパワーで、

悪いことをすれば「悪業」のパワーが生まれ、

善いことをすれば「善業」のパワーが生まれる。

 

これらの「悪業」や「善業」が私たちを将来、

楽なところや嫌なところへ引っ張っていくが、

そこに関係するのが「輪廻」である。

 

輪廻とは「この宇宙には複数の違った生まれがあり、

生き物はそのいずれかの生まれを永遠に転生しつづけると

いう考え方」である。

 

輪廻には、五道輪廻六道輪廻があり、六道

輪廻に含まれる6つの生まれは以下である。

① 天(てん):神々

② 人(じん):人間

③ 阿修羅(あしゅら):悪しき神々

④ 畜生(ちくしょう):牛馬などの動物

⑤ 餓鬼(がき):飢餓などで苦しみ続ける生き物

⑥ 地獄(じごく):ひたすら苦しむ恐ろしい状態

③を覗いたものが、五道輪廻である。

 

端的に言えば、

・善い行いをすれば善業エネルギーに導かれて、

 「天」に生まれ変わる

・悪い行いをすれば悪業エネルギーに導かれて、

 餓鬼道や地獄に落ちる。

 

注:

「天」に生まれたとしても、天にも寿命があり、身心の

衰えはあり、死の恐怖があるので、業が生じ、輪廻が続く。

 

【業の法則1】

・いったん発生してしまった業は自然消滅することはない。

・必ず報いとしてなにがしかの結果をもたらす。

(結果が、いつ現れるかはわからない。百回生まれ変わった

後かも知れない)

 

【業の法則2】

業と、その結果との関係は一回限りである。

(結果が原因となって、その次に別の結果が現れると

いうことはない)

 

=== 釈迦の仏教(小乗仏教) ===

 

善業にせよ悪業にせよ業がある限り輪廻が続く。

よって、輪廻そのものが究極の苦である。

しかし、この世界の因果則は厳然たるもので

変えることができない。

 

そこで、(業の原因となる)煩悩を消すことによって

業のパワーを消して、輪廻を止めることで涅槃を目指す

(つまり、特別な努力をして自分の心のあり方を

変える、ということである)

 

注:涅槃とは、「完全に輪廻を滅した安らぎの境地のこと」である。

 

これが、釈迦が考えた仏教の目的である。

 

なお、輪廻を止めることができるのは「業の法則2」を

前提としている。

 

さらに、この目的を果たすために、釈迦が考えた方法は、

「この世の在り方を正しく理解し、その知識を土台にして

煩悩(苦しみ)を消すために個人的な修行を行うこと」である。

正しく理解することに関係するのが、「五蘊」、「十二処」、「十八界」で、

修行に関係するのが「四諦」、「八正道」である。

 

=== 大乗仏教 ===

 

これに対して、「自分を変えるのではなく、逆に世界の

因果律の方を変えられるようにした」のが大乗仏教である。

 

そのポイントとなるのが、「利他」と「廻向」(えこう)である。

 

釈迦の仏教の場合は、まず自己救済の「自利」があり、

それが回り回って結果的に他者の救済、つまり「利他」に

転ずるという「自利⇒利他」の流れである。

 

これに対して、大乗仏教では、最初から「他利」に目を

向けている。

 

すなわち、最初から人のために身を捧げることを奨励している。

そうした「善行」を日常の中で積んでいけば、出家して仏道修行を

行わなくても悟りに近づけるという考え方である。

 

よって、他者を救った結果として最終的に自分が救われるので、

大乗仏教は「利他⇒自利」の流れとなり、「釈迦の仏教」とは

流れが反対となる。

 

この流れを実現するために、この世で自分がなした善行の

エネルギーは、そのまま輪廻の中で使ってしまうのではなく、

ぐっとため込んでおいて別のほうへ振り向けることが可能だと

考えた。

 

別のほう:

悟りをひらき、ブッダとなって、二度と生まれ変わることのない

涅槃にはいること。

 

このように、本来ならば絶対に転換不可能な原因と結果の

関係にひねりを入れて、望む方向に結果を転向させることを

「廻向」と言う。

このような廻向ができるのは、「空」という概念によって、

それまでの世界のあり方の決まりごとをまぼろしに

してしまったからである。

 

なお、「般若経」では、善行エネルギーを溜めるために、

「般若経を唱えることが最も効果的である」としている。

*****

 

(その10に続く)


般若心経その8 (訳と解説3)

2023-03-18 17:53:41 | 般若心経

【般若心経その8】

 

=== 訳と解説その3 ===

*****(6)

以無所得故 いむしょとくこ

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 ぼだいさった えはんにゃはらみったこ

心無罜礙 無罜礙故 しんむけいげ むけいげこ

無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 むうくふ おんりいっさいでんどうむそう

究竟涅槃 くぎょうねはん

 

【訳】

(涅槃の)「獲得」がないのであるから、

菩薩は般若波羅蜜多(知恵の完成)に依り、

心になんの妨げもなく過ごしている。

 

心になんの妨げもないから、恐怖することがなく、

倒錯した思いを超越しており、涅槃に入った人なのである。

 

【解説】

・菩提薩埵は、菩提、つまり仏になるために修行中の人のことである。

 

・「菩提は般若波羅蜜多、すなわち「般若経」をひたすら崇め敬うことで、

 心には迷いも苦しみも恐怖もなくなり、間違った考えからも離れて、

 最高の涅槃に至ることができた」と「般若経」の素晴らしさを讃えている。

 

*****(7)

三世諸仏 さんぜしょぶつ

依般若波羅蜜多故 えはんにゃはらみったこ

得阿耨多羅三藐三菩提 とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

 

【訳】

過去、現在、未来におられるすべてのブッダは、

般若波羅蜜多 (智慧の完成)に依って、

この上ない正しい悟りを完全に悟られたのである。

 

【解説】

・「この世のすべての仏は、般若波羅蜜多の徳のおかげで

 無上の悟りを手にできた」と説明している。

 

*****(8)

故知般若波羅蜜多 こちはんにゃはらみった

是大神呪 是大明呪 ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ

是無上呪 是無等等呪 ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ

能除一切苦 のうじょいっさいく

真実不虚 しんじつふこ

 

【訳】

ゆえに以下のことを理解せよ。

 

般若波羅蜜多(智慧の完成)は大いなる

真言(マントラ)であり、大いなる知力を

持つ真言であり、最上の真言であり、

比類なき真言であり、一切の苦しみを

鎮める真言であり、ウソいつわりが

ないから、真実なのである。

 

【解説】

・「般若心経」の最後の山場となる部分である。

 

・これさえ唱えれば苦しみはすべて取り除かれる、

 どのようなことにも効く、万能の呪文だと、言葉を

 重ねて説明している。

 

・この後、いよいよ聖なる呪文が登場する。

 

*****(9)

故説般若波羅蜜多呪 こせつはんにゃはらみったしゅ

即説呪曰 そくせつしゅわつ

羯諦羯諦波羅羯諦 ぎゃていぎゃていはらぎゃてい

波羅僧羯諦 はらそうぎゃてい

菩提薩婆訶 ぼじそわか

般若心経 はんにゃしんぎょう

 

【訳】

般若波羅蜜多(智慧の完成)において、真言が

説かれた。それは以下の如し。

 

「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩 婆訶

(ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガチー

ボーディ スヴァーハー)」

 

(行った者よ、行った者よ、彼岸に行った者よ、

向かい岸へと完全に行った者よ、悟りよ、幸いあれ)

 

以上、「般若波羅蜜多心」が終わった。

 

【解説】

・「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩 婆訶」が

 般若心経の心臓部、「呪文の本体」である。

・不思議な響きを持っているのは、原典のサンスクリットの

 読みがそのまま生かされているからである。

・このような呪文のことを真言(マントラ)と呼ぶ。

 

*****

 

(その9に続く)


般若心経その7 (訳と解説2)

2023-03-17 17:48:01 | 般若心経

【般若心経その7】

 

=== 訳と解説その2 ===

*****(4)

是故空中無色 ぜこくうちゅうむしき

無受想行識 むじゅそうぎょうしき

無眼耳鼻舌身意 むげんにびぜつしんい

無色声香味触法 むしきしょうこうみそくほう

無眼界乃至無意識界 むげんかいないしむいしきかい

 

【訳】

それゆえに、「実体がないという状態」(空)においては、

「物質要素」(色)はなく、

「感受作用」(受)はなく、

「構想作用」(想) はなく、

「意思作用およびその他の様々な心の作用」(行)はなく、

「認識作用」 (識)はない。

 

「眼」はなく、「耳」はなく、

「鼻」はなく、「舌」はなく、

「触覚器官(身)」はなく、

「意(心)」はない。

 

「いろかたち」はなく、「音」はなく、

「香り」はなく、「味」はなく、

「感触」はなく、「思い浮かぶもの」はない。

 

「眼によって起こる視覚」はなく、

「耳によって起こる聴覚」はなく、

「鼻によって起こる嗅覚」はなく、

「舌によって起こる味覚」はなく、

「触覚器官によって起こる触覚」はなく、

「意によって起こる意識」はない。

 

【解説】

・最初の2行では「五蘊」はないと言っている。

・3行目では、六根(眼耳鼻舌身意)はないと言っている。

・4行目では、六境(色声香味触法)はないと言っている。

 

・5行目では、六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、

 身識、意識)はないと言っている。

 

・「無眼界乃至無意識界」は「眼識界~意識界は

 ないという意味である。「無眼界」は正しくは

 「無眼識界」となるはず。

・以上により、釈迦が考えた「十八界」を否定している。

 

*****(5)

無無明 むむみょう

亦無無明尽 やくむむみょうじん

乃至無老死 ないしむろうし

亦無老死尽 やくむろうしじん

無苦集滅道 むくしゅうめつどう

無智亦無得 むちゃくむとく

 

【訳】

「無明」はなく、また「無」が尽きることもない。

(以下十二支縁起を順にたどって最後にくる)

「老いと死」はなく、また「老いと死」が尽きることもない。

 

「苦」「集」「減」「道」という「四諦」はない。

「悟りの智」もなく、(涅槃の)「獲得」もない。

 

【解説】

・釈迦が悟った真理に十二支縁起がある。

 

・十二支縁起は、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって

 苦悩を滅するための12の条件を系列化したもので、

  無明(むみょう)⇒行(ぎょう)⇒識⇒名色(みょうしき)⇒

  六処(ろくしょ)⇒触(そく)⇒受⇒愛⇒取⇒有⇒生⇒老死

 の順になる。

 

・無明は無知のことで、人間の煩悩のうちで最大のもので

 「煩悩の親分」のようなもの

 

・老死は、老いて死ぬという「苦悩の親玉」のようなものである。

・1行目~4行目は十二支縁起を否定している。

・5行目は四諦を否定している。

 

*****

ここまでの(2)~(5)で釈迦の教えを全て否定している。

この後が般若心経の素晴らしさを説明する部分である。

 

(その8に続く)


般若心経その6 (訳と解説1)

2023-03-16 17:57:31 | 般若心経

【般若心経その5】

 

***訳と解説その1****

では、今回から訳と解説を示します。

 

*****(1)

観自在菩薩 かんじざいぼさつ

行深般若波羅蜜多時 ぎょうじんはんにゃはらみたじ

照見五蘊皆空 しょうけんごうんかいくう

度一切苦厄 どいっさいくやく

 

【訳】

聖なる観自在菩薩が、深遠な般若波羅蜜多(智慧の

完成)の行を行じながら観察なさった。

 

五蘊があり、そしてそれらの本質が空であると

見たのである。

そして一切の苦しみや厄いを超えたのである。

 

【解説】

・観自在菩薩は観音様のことである

・観音様は、菩薩の一尊

・釈迦が考え出した「五蘊」(=色、受、想、 行、敷)を

 「実体のないもの」(空、くう)だと主張している。

 (釈迦の考えを否定している)

 

*****(2)

舎利子 しゃりし

色不異空 空不異色 しきふいくう くうふいしき

色即是空 空即是色 しきそくぜくう くうそくぜしき

受想行識 亦復如是 じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ

 

【訳】

舎利子よ、

「物質要素」(色)は「実体がないという状態」(空性)と

別ものではなく、「実体がないという状態」は

「物質要素」とは別ものではない。

 

「物質要素」(色)が「実体がないという状態」(空性)なのであり、

「実体がないという状態」が「物質要素」なのである。

 

[五蘊のその他の要素である]「感受作用」(受)、

「構想作用」(想)、「意思作用およびその他の

様々な心の作用」(行)、「認識作用」(識)についても、

「物質要素」(色) と全く同じことが言える。

 

【解説】

・五蘊の「色、受、想、行、識」は全て「空」と

 同じだと言っている。

・「色」は五根(眼耳鼻舌身)と五境(色声香味触)の

 全てを意味する。

 

*****(3)

舎利子 しゃりし 

是諸法空相 ぜしょほうくうそう 

不生不滅 不垢不浄 不増不減 ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん

 

【訳】

 

舎利子よ、

この世のすべての基本的存在要素(法)の特性は、

「実体がないという状態」である。

 

それらは起こってくることもなく、消滅することもない。

汚れることもなく、清らかになることもない。

減ることもなく、一杯になることもない。

 

【解説】

・「意」(六根の一つ)によって認識される

 「法」(六境の一つ)には実体がないと言っている。

・実体がないので、それらが生まれたり消えたり、

 汚れたりきれいになったり、増えたり減ったり

 している(ようにみえる)のも、すべて錯覚である。

・「意(心)」によって思い浮かべられるものが

 「法」である。(例えば、昨日の出来事を

  思い出すとか)

*****

 

(その7に続く)