心の休憩室 パート2

何度か中断していますが、書きたいことがでてくると復帰しています。

「思考力」から

2014-11-30 19:50:52 | 日記

今、外山滋比古さんの「思考力」を読み返しているけど、

感じたことを書くね。

 

Knowlege is power. (知識は力なり)

 

これは、イギリスの哲学者のフランシスコ・ベーコン(1521-1626)の言葉。

 

それから五十年もたたないうちに、フランス人のデカルト(1596-1650)が、

知識より「考える」ことの方が進んでいる、と言い出した。

 

Je pense donc je suis. (われ思う、ゆえにわれあり)

 

知識だけでなく、自分自身で、それでいいのだろうかと、疑ったり、

考えたりすることが大事なのだ、というのである。

人間の本質は、ものを考えることにある。

 

知識を教えるのは簡単だが、思考力というものは、知識のように

うまく教えられない。だから、趨勢としては、依然として

ベーコンの「知識は力なり」という考えがいまもつづいている。

 

大学で学生たちに知識を教えるだけではいけないと思うように

なったよ。覚えた知識を活用しようと思ったら、自分で考える力が

必要だよね。

 

これは日常生活にもあてはまるんじゃないかな。

毎日、いろんな情報が入ってくるけど、情報を入手するだけでは、

充実した人生を過ごすための「力」にならないよね。

 


2014-11-19 21:17:28 | 日記

空を見上げることはしょっちゅうあるけれど、それは

農民や漁師とはまったく違う見上げ方でしょうね。

空を物としては見ていない。

空に自分の生活がかかっていない。

だから私には空を一種の抽象として扱う傾向があります。

青空の青の濃さや薄さ、動いていく白い雲、さまざまな夕焼け・・・

空はいつも美しい。でも、もどかしく、どこか苛立たしい。

空と一体になりたいと思いながら、それは決してかなえられない

夢だと分かっているから。

 

今、読んでいる谷川俊太郎さんの「ひとり暮らし」という

エッセイ集に書いてあった言葉だけど、確かに空には

自分の生活はかかってないよね。同じ空を見ても、

その時の気分によって空の感じが変わるけど、それが

空を一種の抽象として扱っている、ということになるのかなぁ。

 

一日は夕焼けで成り立っているんじゃないから

その前で立ちつくすだけでは生きていけないのだから

それがどんなに美しかろうとも

 

谷川さんが60歳の時に書いた詩句だけど、谷川さんが

人生で学んでいたことが表現されているという感じがするね。

20代とか30代の時には、たぶんこんな詩句は浮かんで

こないんじゃないかな。

 

 


思考力

2014-11-15 16:16:05 | 日記

 外山滋比古さんの「思考力」という本を読み終わったけど、

なるほどと思えることがいくつも書いてあったので紹介するね。

 

*****

勉強すると、頭は悪くなる。 知れば知るほど、バカになる。

頭の中に、いくらよけいなゴミをつめこんでも、頭が

よくなるわけではない。頭をよくしたければ、逆に、頭の中に

入っているよぶんなものを捨ててしまうことだ。

 

勉強をしなくても、ただでさえ、頭の中には雑多なものが

無差別につめこまれている。本から入ってくる知識などは

ほんのわずかで、まわりの人の話、見た風景、あるいは

テレビやラジオ、携帯電話やインターネットからの情報など、

あまり役に立たないものが、これでもかというくらいに、

ためこまれている。

 

頭につめこまれたガラクタの山をとりこわし、不要なものは

始末し、頭の中をいつもきれいに整理しておけば、

思考力、記憶力、創作力、想像力、判断力、洞察力など、

あらゆる知的活動が活性化する。

*****

 

日常生活の中では、定期的に燃えるゴミや不燃物を捨てていると

思うけど、頭の中も同じようにしないといけないよね。

同じように、「断捨離」も頭の中についても当てはまるよね。

 

頭の中に入っている知識や情報が多ければ多いほど嬉しいかと

いうと、そうじゃないよね。頭の中が百科事典のようになってしまうと、

自分で考えることをしなくなってしまうもんね。

 

部屋の中が片付いているかどうかは目で確かめることができるけど、

頭の中が片付いているかどうかを調べるのは難しいよね。

だから、頭の中を片付けようと思ったら、まずは頭の中に入ってくる

知識や情報を選ばないといけないんじゃないかな。