自宅からほど近いショッピングモールの書籍店にて、
NHK出版から「100分で名著」と表題にある1冊に出会いました。
自分の世代としては歴史上の人物の人ですが、
年齢が半分の頃から、どうして著名なのかさえもわからないまま、名前だけは知ってましたが、
その入口であろう1冊を読了しました。
正直、100分以内に読めていません()。
著者さんはアドラー心理学に基づいた著書をこれまでに多数リリースしている方で、一番その冊数が多いのではないかなと思いました。
ちょうど今、入院のためにお休みしていて、
まとまった時間だからこそ、読みました。
これまでの平日の職務や、休日、ましてやオンの時間、オフの時間や、その合間にスマホを覗いている時でさえ、
人間関係に悩むことが増えてきました。
その根本にあるものが、
あらゆる言動や行動を受けて、
「…その言い方無くないか?」
とか、
「…いや、それはないだろう?」
というような、
第一印象だけでは解りかねる、
自分でも許容範囲を超えた、
どこかで「解釈の間違い」をされて、
災いとなって、ストレスになることが、
自分にはたくさんあって、
しかしそれは自分もどこかで放っていて、
じゃあ落とし所はどこなのよと、
そんな人間関係の中にある、人の「解釈」に日々疑問を感じていたことが、関心に結びつき、手に取ったんだろうと思っています。
あらゆる人の行動には意図があって、
その手前側の潜在意識下には思い込みがある。
誰かや何かには、そのままつながる。
対価を得るための生産性が、たとえその場で「即金」のようにはなくても、必ずつながるようになっている。
年齢層で言うと、両端にある、
赤ちゃんや高齢者さんは、生きているだけでありがたいものだから。
例えば自分の当事者性の話をすれば、
学歴、いわゆる偏差値がないことを理由に、
またはお手帳があることを理由に、
何もせずに、何のためにもならずに、
生きていくことは、それはできは、する。
しかし、
それで自分は許せるか?ってことで。
無理。
行動の「理由」がもっともらしくあればそう流されることは簡単だと思う。自分が納得さえすれば。
それについては、
文中の本人の記述をそのまんま書く…
…そのまま私が離職後からしてることです。
時間数とボリューム増やさなきゃな。
「必要であれば、今、勉強をすればいいのです。それなのに、学歴を理由に今できることをしない人は、現実的な努力をしない人であり、そのような努力をしたのに、思うような結果を出せないという現実に直面することを恐れるのです。」
…そこで、ワタシ?
…やり残したことをやってくうちに、そのうち年月終わるよ。