演説活動に暴行や妨害活動をする人が最近増えました。SNSによっては、そういう内容がたくさん上位に現れてきています。
そういった行動が主たる活動みたいになっている一般人がけっこういて、そんな時間はサラリーマンやってますよ・・・って、どこかでそう思うんです。
読んでるだけでも見てるだけでも疲れます。
演説活動に暴行や妨害活動をする人が最近増えました。SNSによっては、そういう内容がたくさん上位に現れてきています。
そういった行動が主たる活動みたいになっている一般人がけっこういて、そんな時間はサラリーマンやってますよ・・・って、どこかでそう思うんです。
読んでるだけでも見てるだけでも疲れます。
どこかでやってくればいいなと思っていた気持ち。
数々の自分を疲れさせた現実は、よくある話があてはまらないし、自分の実体験を万人にあてはめたらかなりの暴論になる。
しかし、それは、大切に内に秘めておく。
暴論を、大切にしている。
暴論の実行の向かう先はもはや無いかむしろ現存しないものもある。
頑張って生きたね、自分。
数年前から、かなりの金額の単位で、領収書を出さない会社が問題視されていた件について。
どこの会社かどこの団体かは伏せておきますが、
そもそも「領収書」って、
最終的な支払い金額だけ記載して、
途中経過の詳細は、
どういう経路であろうが、盛った金額を作ることであろうが、ある種、アリなんですよ?
ワタシはどこかの民間企業で働いていますが、
ワタシの場合だと、
その詳細がやましかったら、アウトなんですよ?
今は許されてる金銭感覚でも、今後は許されないだろうね。
「結果」を求めること、「お金」を求めることはどこにとっても大事ですが、
今後は「証明」を納得させられないといけなくなることが、時代の流れの本質のように捉えています。
一個人や会社との関係を断ち切ることに、理由を作ろうとすれば簡単に思いつくはず。
粗探しをすれば、すぐに簡単。
しかしだよ?
継続する理由、作ってるかってことで。
その努力、何も考えずに生きてると、できていない。