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新快速と言えばJR西日本のアーバンネットワークの代表列車として、敦賀から播州赤穂まで運転される快速電車ですが、阪和線にも新快速が走っていた時期がありました。
昭和47年10月の改正から運転が開始され、昭和53年10月の紀勢本線電化により廃止になった快速電車で、当時は天王寺~和歌山間を46分で運転されていました。
昭和47年公社時刻表から
戦前の阪和線では45分運転を行っていましたのでそれより1分遅くなっていますが、戦前は天王寺~和歌山間をノンストップで走っていたことを考えるとほぼ同じ時間での運転と言えます。
運転開始当初の113系は、6両編成、当時の大鉄局の153系に準じたグレーの地に水色の帯を巻く新快速塗装登場しました。
天鉄局に配置された113系は元々万博輸送などで首都圏から転用された冷房付きのいわば大鉄局の「虎の子」だったそうですが、半ば無理やり取り上げられて天鉄局の鳳電車区(当時は日根野はまだできていない)に配置されたわけで、非冷房車ばかりだった阪和線にしてみれば新快速運用が始まったことは大変喜ばしいことでした。
特に梅雨時などの季節には蒸し暑さから解放されるだけに大好評を持って迎え入れられました。
新快速としての運用は、朝9:20~15:20までの毎時20分後の出発で、これは天王寺駅も和歌山も同じでした。
46分+14分(折り返し時間)で折り返すようになっていました。
さて、この新快速電車は天王寺を出発すると鳳駅までノンストップ、約15分で到達、鳳を出発すると次は和歌山まで停車しないため、鳳駅で乗車が無ければそのまま和歌山まで変わらないわけで、空気を運んでいると揶揄されるほど乗車率は良くありませんでした。
更に、当時は国鉄労使問題もあって運転席はもちろん、後部運転台の車掌も遮光幕を下ろしているので、隣は何をする人ぞ・・・よろしく全く見えなくなっていました。
さらに、線路の保守があまり良くなかったのか、酷く揺れる。
線路を眺めていると所々白くなっているところがあったりします。
路盤が白くなっているところは、線路が脆弱で道床から泥が噴き出しているのだと言った内容を本で読んだことがありましたので、きっとそうなんだろうなぁと思いつつ乗っていましたが、本当に良く揺れる。
揺れるだけならいいのですが時に脱線するのではないかと思わせるくらい揺れるものですから、乗っていて怖いと感じたことが何回もありました。
それでも、私自身が国鉄びいきだったので、利便性では南海の方が有利であったにも関わらず阪和線の113系を利用して大阪まで行くときには利用していました。
根っからの国鉄びいきでしたから。(^^♪
そんな新快速ですが、当然のことながら鳳のみ停車では空気輸送になってしまうので昭和52年の改正では、熊取・和泉砂川駅に停車するように改められました。
更に、翌年の昭和53年の紀勢本線電化開業で、阪和線快速の紀伊田辺まで直通運転と引き換えに新快速は廃止されてしまいました。
さらに、当初は立派なヘッドマークを付けていましたが、大きなヘッドマークは邪魔と言う意見が有ったのか否かは知りませんが。
途中から、下記のような、小さな丸いヘッドマークになってしまいました。
また、昭和48年の関西線電化以降は春日塗の113系も新快速運用に入る場合があり、この場合は新快速と言えども非冷房であり、見る分には楽しいのですが、乗る分には辛い新快速でした。にほんブログ村
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